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翻訳【15】

第三の法ならざるものの経

「比丘たちよ、そして、法(正義)ならざるものが知られるべきであり、かつまた、法(正義)〔知られるべきであり〕、さらに、義(利益)ならざるものが知られるべきであり、かつまた、義(利益)〔知られるべきです〕。そして、法(正義)ならざるものを知って、かつまた、法(正義)〔知って〕、さらに、義(利益)ならざるものを知って、かつまた、義(利益)〔知って〕、法(正義)のとおり、義(利益)のとおり、そのとおりに実践するべきです。

比丘たちよ、そして、どのようなものが、法(正義)ならざるものであり、かつまた、どのようなものが、法(正義)なのですか。さらに、どのようなものが、義(利益)ならざるものであり、かつまた、どのようなものが、義(利益)なのですか。

(1)比丘たちよ、命あるものを殺すことは、法(正義)ならざるものであり、命あるものを殺すことから離れている〔生き方〕は、法(正義)です。そして、すなわち、命あるものを殺すという縁あることから、無数の悪しき善ならざる法(性質)が発生します。これは、義(利益)ならざるものです。さらに、命あるものを殺すことから離れている〔生き方〕という縁あることから、無数の善なる法(性質)が修行の円満成就に赴きます。これは、義(利益)です。

(2)比丘たちよ、与えられていないものを取ることは、法(正義)ならざるものであり、与えられていないものを取ることから離れている〔生き方〕は、法(正義)です。……。(3)比丘たちよ、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないは、法(正義)ならざるものであり、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離れている〔生き方〕は、法(正義)です。……。(4)比丘たちよ、虚偽を説くことは、法(正義)ならざるものであり、虚偽を説くことから離れている〔生き方〕は、法(正義)です。……。(5)比丘たちよ、中傷の言葉は、法(正義)ならざるものであり、中傷の言葉から離れている〔生き方〕は、法(正義)です。……。(6)比丘たちよ、粗暴な言葉は、法(正義)ならざるものであり、粗暴な言葉から離れている〔生き方〕は、法(正義)です。……。(7)比丘たちよ、雑駁な虚論は、法(正義)ならざるものであり、雑駁な虚論から離れている〔生き方〕は、法(正義)です。……。(8)比丘たちよ、強欲〔の思い〕は、法(正義)ならざるものであり、強欲〔の思い〕なき〔生き方〕は、法(正義)です。……。(9)比丘たちよ、憎悪〔の思い〕は、法(正義)ならざるものであり、憎悪〔の思い〕なき〔生き方〕は、法(正義)です。……。

(10)比丘たちよ、誤った見解は、法(正義)ならざるものであり、正しい見解は、法(正義)です。さらに、すなわち、誤った見解という縁あることから、無数の悪しき善ならざる法(性質)が発生します。これは、義(利益)ならざるものです。そして、正しい見解という縁あることから、無数の善なる法(性質)が修行の円満成就に赴きます。これは、義(利益)です。

『比丘たちよ、そして、法(正義)ならざるものが知られるべきであり、かつまた、法(正義)〔知られるべきであり〕、さらに、義(利益)ならざるものが知られるべきであり、かつまた、義(利益)〔知られるべきです〕。そして、法(正義)ならざるものを知って、かつまた、法(正義)〔知って〕、さらに、義(利益)ならざるものを知って、かつまた、義(利益)〔知って〕、法(正義)のとおり、義(利益)のとおり、そのとおりに実践するべきです』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました」と。〔以上が〕第七となる。

注釈【0】