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翻訳【18】

「何を義として」の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティー舎衛城に住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園祇園精舎において。そこで、まさに、尊者アーナンダが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダは、世尊に、こう言いました。

(1・2)「尊き方よ、諸々の善なる戒は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、諸々の善なる戒は、後悔なくあることを義(目的)とし、後悔なくあることを福利とします」と。

(3)「尊き方よ、また、後悔なくあることは、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、後悔なくあることは、歓喜を義(目的)とし、歓喜を福利とします」と。

(4)「尊き方よ、また、歓喜は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、歓喜は、喜悦を義(目的)とし、喜悦を福利とします」と。

(5)「尊き方よ、また、喜悦は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、喜悦は、静息を義(目的)とし、静息を福利とします」と。

(6)「尊き方よ、また、静息は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、静息は、安楽を義(目的)とし、安楽を福利とします」と。

(7)「尊き方よ、また、安楽は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、安楽は、禅定を義(目的)とし、禅定を福利とします」と。

(8)「尊き方よ、また、禅定は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、禅定は、事実のとおりの知見を義(目的)とし、事実のとおりの知見を福利とします」と。

(9)「尊き方よ、また、事実のとおりの知見は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、事実のとおりの知見は、厭離と離貪を義(目的)とし、厭離と離貪を福利とします」と。

(10)「尊き方よ、また、厭離と離貪は、何を義(目的)とし、何を福利とするのですか」と。「アーナンダよ、まさに、厭離と離貪は、解脱の知見を義(目的)とし、解脱の知見を福利とします。

アーナンダよ、かくのごとく、まさに、諸々の善なる戒は、後悔なくあることを義(目的)とし、後悔なくあることを福利とします。後悔なくあることは、歓喜を義(目的)とし、歓喜を福利とします。歓喜は、喜悦を義(目的)とし、喜悦を福利とします。喜悦は、静息を義(目的)とし、静息を福利とします。静息は、安楽を義(目的)とし、安楽を福利とします。安楽は、禅定を義(目的)とし、禅定を福利とします。禅定は、事実のとおりの知見を義(目的)とし、事実のとおりの知見を福利とします。事実のとおりの知見は、厭離と離貪を義(目的)とし、厭離と離貪を福利とします。厭離と離貪は、解脱の知見を義(目的)とし、解脱の知見を福利とします。アーナンダよ、かくのごとく、まさに、諸々の善なる戒は、順次に、至高なるものへと至り行きます」と。〔以上が〕第一となる。

注釈【0】