「比丘たちよ、思欲あるもの(思・故思:明確な意志)として為され蓄積された諸々の行為には、〔報いを〕得知せずして、終息の状態があると、わたしは説きません。そして、それを、まさに、まさしく、所見の法(現世)において〔得知し〕、あるいは、再生において〔得知し〕、あるいは、他の時機において〔得知します〕。比丘たちよ、かくのごとく、このように、思欲あるものとして為され蓄積された諸々の行為には、〔報いを〕得知せずして、苦しみの終極を為すことがあると、わたしは説きません。
比丘たちよ、そこで、三種類の身体の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成り、四種類の言葉の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成り、三種類の意の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、では、どのように、三種類の身体の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成るのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、(1)命あるものを殺す者として〔世に〕有ります⸺残忍で、血の手をもち、殺しては殺すことに〔思いが〕固着し、一切の命ある生類たちにたいし憐憫〔の思い〕を起こさない者として。
(2)与えられていないものを取る者として〔世に〕有ります。すなわち、それが、他者のものであり、あるいは、村に置かれ、あるいは、林に置かれた、他者の富や資益物であるなら、〔まさに〕その、〔誰にも〕与えられていない、〔取ると〕盗みと見なされるものを取る者として〔世に〕有ります。
(3)諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないある者として〔世に〕有ります。すなわち、それら〔の女性〕たちが、母によって守られた者であり……略……もしくは、花環を巻いた者であるもまた、そのような形態〔の女性〕たちにたいし関係を持つ者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、このように、まさに、三種類の身体の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、では、どのように、四種類の言葉の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成るのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、(4)虚偽を説く者として〔世に〕有ります。あるいは、集会に赴き、あるいは、衆に赴き、あるいは、親族の中に赴き、あるいは、組合の中に赴き、あるいは、王宮の中に赴き、〔証人として〕連れ出され、『さて、人士たる者よ、さあ、〔おまえが〕それを知るなら、それを説け』と、証言を尋ねられたなら、彼は、あるいは、知っていないのに、『知る』と言い、あるいは、知っているのに、『知らない』と言い、あるいは、見ていないのに、『見る』と言い、あるいは、見ているのに、『見ない』と言います。かくのごとく、あるいは、自己を因として、あるいは、他者を因として、あるいは、何らかの或る財貨を因として、正知しつつ虚偽を語る者として〔世に〕有ります。
(5)中傷の言葉ある者として〔世に〕有ります。こちらで聞いて〔そののち〕、こちらの者たちを分裂させるために、そちらで告知する者として、あるいは、そちらで聞いて〔そののち〕、そちらの者たちを分裂させるために、こちらの者たちに告知する者として、かくのごとく、あるいは、和合の者たちを分裂させる者として、あるいは、分裂した者たちに〔さらなる分裂を〕付与する者として、党派を喜びとする者として、党派を喜ぶ者として、党派を愉悦とする者として、党派を作り為す言葉を語る者として、〔世に〕有ります。
(6)粗暴な言葉ある者として〔世に〕有ります。すなわち、その言葉が、激越で、粗野で、他者に辛辣で、他者を不機嫌にし、忿激に近いものであり、禅定を等しく転起しないものであるなら、そのような形態の言葉を語る者として〔世に〕有ります。
(7)雑駁な虚論ある者として〔世に〕有ります。〔正しい〕時ならずに説く者として、事実ならざることを説く者として、義(意味)ならざることを説く者として、法(教え)ならざることを説く者として、律ならざることを説く者として、安置する〔価値〕なき言葉を⸺〔正しい〕時ならずに、理由なく、結末なく、義(道理)を伴わない〔言葉〕を⸺語る者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、このように、まさに、四種類の言葉の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、では、どのように、三種類の意の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成るのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、(8)強欲〔の思い〕ある者として〔世に〕有ります。すなわち、それが、他者のものであり、他者の富や資益物であるなら、『ああ、まさに、それが、他者のものであるなら、それは、わたしに存するべきである』と、それを貪り求める者として〔世に〕有ります。
(9)憎悪している心の者として、汚れた意と思惟ある者として、〔世に〕有ります。『これらの有情たちは、あるいは、殺害されてしまえ、あるいは、結縛されてしまえ、あるいは、断絶されてしまえ、あるいは、消失してしまえ、あるいは、〔世に〕有ってはならない』と。
(10)誤った見解ある者として、転倒した見ある者として、〔世に〕有ります。『布施された〔施物の果〕は存在しない』……略……『すなわち、そして、この世を、さらに、他の世を、自ら、証知して、実証して、〔他者に〕知らせる、世における正しい至達者にして正しい実践者たる沙門や婆羅門たちは存在しない』と。比丘たちよ、このように、まさに、三種類の意の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものが、苦痛を生成し苦痛の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、あるいは、三種類の身体の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。比丘たちよ、あるいは、四種類の言葉の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。比丘たちよ、あるいは、三種類の意の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、投げ上げられた純正品のさいころが、まさしく、そのところ、そのところに止住するなら、まさしく、しっかりと止住したものとして止住するように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、あるいは、三種類の身体の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生し、あるいは、四種類の言葉の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生し、あるいは、三種類の意の行業の等しき汚点と衰滅ある、善ならざる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。
比丘たちよ、思欲あるものとして為され蓄積された諸々の行為には、〔報いを〕得知せずして、終息の状態があると、わたしは説きません。そして、それを、まさに、まさしく、所見の法(現世)において〔得知し〕、あるいは、再生において〔得知し〕、あるいは、他の時機において〔得知します〕。比丘たちよ、かくのごとく、このように、思欲あるものとして為され蓄積された諸々の行為には、〔報いを〕得知せずして、苦しみの終極を為すことがあると、わたしは説きません。
比丘たちよ、そこで、三種類の身体の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成り、四種類の言葉の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成り、三種類の意の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、では、どのように、三種類の身体の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成るのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、(1)命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者として〔世に〕有ります。棒を置いた者として、刃を置いた者として、恥を知る者として、憐憫〔の思い〕を起こした者として、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、〔世に〕住みます。
(2)与えられていないものを取ることを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者として〔世に〕有ります。すなわち、それが、他者のものであり、あるいは、村に置かれ、あるいは、林に置かれた、他者の富や資益物であるなら、〔まさに〕その、〔誰にも〕与えられていない、〔取ると〕盗みと見なされるものを取る者として〔世に〕有りません。
(3)諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないを捨棄して、諸々の欲望〔の対象〕にたいする誤った行ないから離間した者として〔世に〕有ります。すなわち、それら〔の女性〕たちが、母によって守られた者であり……略……もしくは、花環を巻いた者であるもまた、そのような形態〔の女性〕たちにたいし関係を持つ者として〔世に〕有りません。比丘たちよ、このように、まさに、三種類の身体の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、では、どのように、四種類の言葉の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成るのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、(4)虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者として〔世に〕有ります。あるいは、集会に赴き、あるいは、衆に赴き、あるいは、親族の中に赴き、あるいは、組合の中に赴き、あるいは、王宮の中に赴き、〔証人として〕連れ出され、『さて、人士たる者よ、さあ、〔おまえが〕それを知るなら、それを説け』と、証言を尋ねられたなら、彼は、あるいは、知っていないなら、『知らない』と言い、あるいは、知っているなら、『知る』と言い、あるいは、見ていないなら、『見ない』と言い、あるいは、見ているなら、『見る』と言います。かくのごとく、あるいは、自己を因として、あるいは、他者を因として、あるいは、何らかの或る財貨を因として、正知しつつ虚偽を語る者として〔世に〕有りません。
(5)中傷の言葉を捨棄して、中傷の言葉から離間した者として〔世に〕有ります。こちらで聞いて〔そののち〕、こちらの者たちを分裂させるために、そちらで告知する者ではなく、あるいは、そちらで聞いて〔そののち〕、そちらの者たちを分裂させるために、こちらの者たちに告知する者ではなく、かくのごとく、あるいは、分裂した者たちを和解する者として、あるいは、融和している者たちに〔さらなる融和を〕付与する者として、和合を喜びとする者として、和合を喜ぶ者として、和合を愉悦とする者として、和合を作り為す言葉を語る者として、〔世に〕有ります。
(6)粗暴な言葉を捨棄して、粗暴な言葉から離間した者として〔世に〕有ります。すなわち、その言葉が、無欠で、耳に楽しく、愛すべきで、心臓に至り、上品で、多くの人々にとって愛らしく、多くの人々の意に適うものであるなら、そのような形態の言葉を語る者として〔世に〕有ります。
(7)雑駁な虚論を捨棄して、雑駁な虚論から離間した者として〔世に〕有ります。〔正しい〕時に説く者として、事実を説く者として、義(意味)を説く者として、法(教え)を説く者として、律を説く者として、安置する〔価値〕ある言葉を⸺〔正しい〕時に、理由を有し、結末がある、義(道理)を伴った〔言葉〕を⸺語る者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、このように、まさに、四種類の言葉の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、では、どのように、三種類の意の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成るのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、(8)強欲〔の思い〕なき者として〔世に〕有ります。すなわち、それが、他者のものであり、他者の富や資益物であるなら、『ああ、まさに、それが、他者のものであるなら、それは、わたしに存するべきである』と、それを貪り求めない者として〔世に〕有ります。
(9)憎悪していない心の者として、汚れた意と思惟なき者として、〔世に〕有ります。『これらの有情たちは、怨念〔の思い〕なく、憎悪〔の思い〕なく、煩悶〔の思い〕なく、安楽なる者たちとして〔世に〕有り、自己を守り抜け』と。
(10)正しい見解ある者として、転倒なき見ある者として、〔世に〕有ります。『布施された〔施物の果〕は存在する』……略……『すなわち、そして、この世を、さらに、他の世を、自ら、証知して、実証して、〔他者に〕知らせる、世における正しい至達者にして正しい実践者たる沙門や婆羅門たちは存在する』と。比丘たちよ、このように、まさに、三種類の意の行業の得達ある、善なる思欲あるものが、安楽を生成し安楽の報いあるものと成ります。
比丘たちよ、あるいは、三種類の身体の行業の得達ある、善なる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。比丘たちよ、あるいは、四種類の言葉の行業の得達ある、善なる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。比丘たちよ、あるいは、三種類の意の行業の得達ある、善なる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、投げ上げられた純正品のさいころが、まさしく、そのところ、そのところに止住するなら、まさしく、しっかりと止住したものとして止住するように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、あるいは、三種類の身体の行業の得達ある、善なる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生し、あるいは、四種類の言葉の行業の得達ある、善なる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生し、あるいは、三種類の意の行業の得達ある、善なる思欲あるものを因として、有情たちは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生します。比丘たちよ、思欲あるものとして為され蓄積された諸々の行為には、〔報いを〕得知せずして、終息の状態があると、わたしは説きません。そして、それを、まさに、まさしく、所見の法(現世)において〔得知し〕、あるいは、再生において〔得知し〕、あるいは、他の時機において〔得知します〕。比丘たちよ、かくのごとく、このように、思欲あるものとして為され蓄積された諸々の行為には、〔報いを〕得知せずして、苦しみの終極を為すことがあると、わたしは説きません」と。〔以上が〕第七となる。
注釈【0】