「比丘たちよ、獣の王たる獅子は、夕刻時に、巣から出立します。巣から出立して、〔身体を〕屈伸します。〔身体を〕屈伸して、遍きにわたり、四方を見回します。遍きにわたり、四方を見回して、三回、獅子吼を吼え叫びます。三回、獅子吼を吼え叫んで、餌場へと進み行きます。それは、何を因とするのですか。『平坦ならざるところを赴く小さな命あるものにたいし、わたしが殺害を犯すことがあってはならない』と〔思うからです〕。
比丘たちよ、『獅子』とは、これは、阿羅漢にして正等覚者たる如来の同義語です。比丘たちよ、すなわち、まさに、如来が、衆に、法(教え)を説示するなら、これは、彼にとって、獅子吼として有ります。
比丘たちよ、十のものがあります。これらの、如来にとって、如来の力となるものです。それらの力を具備した如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪(不滅の真理)を転起させます。どのようなものが、十のものなのですか。(1)比丘たちよ、ここに、如来は、そして、状況あること(道理あること)を状況あることとして、さらに、状況なきこと(道理なきこと)を状況なきこととして、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、そして、状況あることを状況あることとして、さらに、状況なきことを状況なきこととして、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(2)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、過去と未来と現在の諸々の行為(業)の受持の報い(異熟)を、状況〔の観点〕から、因〔の観点〕から、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、過去と未来と現在の諸々の行為の受持の報いを、状況〔の観点〕から、因〔の観点〕から、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(3)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、一切所に至る〔実践の〕道を、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、一切所に至る〔実践の〕道を、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(4)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、無数なる界域と種々なる界域ある世〔の一切〕を、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、無数なる界域と種々なる界域ある世〔の一切〕を、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(5)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、有情たちの種々なる信念あることを、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、有情たちの種々なる信念あることを、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(6)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、他の有情たちと他の人たちの機能(根)の上下あることを、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、他の有情たちと他の人たちの機能の上下なることを、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(7)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、瞑想と解脱と禅定と入定の汚染と浄化と出起を、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、瞑想と解脱と禅定と入定の汚染と浄化と出起を、事実のとおりに覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(8)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念します。それは、すなわち、この、一生をもまた、二生をもまた、三生をもまた、四生をもまた、五生をもまた、十生をもまた、二十生をもまた、三十生をもまた、四十生をもまた、五十生をもまた、百生をもまた、千生をもまた、百千生をもまた、無数の展転されたカッパ(壊劫:世界が拡散し崩壊する期間)をもまた、無数の還転されたカッパ(成劫:世界が収縮し再生する期間)をもまた、無数の展転され還転されたカッパをもまた。『〔わたしは〕某所では〔このように〕存していた⸺このような名の者として、このような姓の者として、このような色(色艶・階級)の者として、このような食の者として、このような楽と苦の得知ある者として、このような寿命を極限とする者として。その〔わたし〕は、その〔某所〕から死滅し、某所に生起した。そこでもまた、〔このように〕存していた⸺このような名の者として、このような姓の者として、このような色の者として、このような食の者として、このような楽と苦の得知ある者として、このような寿命を極限とする者として。その〔わたし〕は、その〔某所〕から死滅し、ここ(現世)に再生したのだ』と、かくのごとく、行相を有し、素性を有する、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念するなら、それは、すなわち、この、一生をもまた、二生をもまた……略……かくのごとく、行相を有し、素性を有する、無数〔の流儀〕に関した過去における居住を随念するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(9)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見ます。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇(善趣)の者たちとして、悪しき境遇(悪趣)の者たちとして⸺〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知します。『まさに、これらの尊き有情たちは、身体による悪しき行ないを具備し、言葉による悪しき行ないを具備し、意による悪しき行ないを具備し、聖者たちを批判する者たちであり、誤った見解ある者たちであり、誤った見解と行為を受持する者たちである。彼らは、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生したのだ。また、あるいは、これらの尊き有情たちは、身体による善き行ないを具備し、言葉による善き行ないを具備し、意による善き行ないを具備し、聖者たちを批判しない者たちであり、正しい見解ある者たちであり、正しい見解と行為を受持する者たちである。彼らは、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇に、天上の世に、再生したのだ』と、かくのごとく、人間を超越した清浄の天眼によって、有情たちが、死滅しつつあるのを、再生しつつあるのを、見ます。下劣なる者たちとして、精妙なる者たちとして、善き色艶の者たちとして、醜き色艶の者たちとして、善き境遇の者たちとして、悪しき境遇の者たちとして⸺〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知します。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、人間を超越した清浄の天眼によって……略……〔為した〕行為のとおり〔報いに〕近しく赴く者たちとして、有情たちを覚知するなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
(10)比丘たちよ、さらに、また、他に、如来は、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。比丘たちよ、すなわち、また、如来が、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むなら、比丘たちよ、これもまた、如来にとって、如来の力として有ります。その力に由来して、如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます。
比丘たちよ、まさに、これらの十の、如来にとって、如来の力となるものがあります。それらの力を具備した如来は、雄牛たる境位を明言し、諸々の衆のなかで獅子吼を吼え叫び、梵の輪を転起させます」と。〔以上が〕第一となる。
注釈【0】