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翻訳【15】

第一のコーサラ〔国〕の経

(1)比丘たちよ、すなわち、カーシ〔国〕とコーサラ〔国〕があるかぎり、すなわち、コーサラ〔国〕のパセーナディ王の領土があるかぎり、そこにおいて、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、至高の者と告げ知らされます。比丘たちよ、まさに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王にもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(2)比丘たちよ、すなわち、月と日が、〔天空を〕行き渡り、方々に遍照しながら光り輝くかぎり、そのかぎりが、千種の世となります。その千種の世において、千の月があり、千の日があり、千の山の王たるシネール須弥山があり、千のジャンブ・ディーパ贍部洲・閻浮提があり、千のアパラ・ゴーヤーナ西牛貨洲があり、千のウッタラ・クル北倶廬洲があり、千のプッバ・ヴィデーハ東勝身洲があり、四つの千の大海があり、四つの千の大王があり、千の四大王〔天〕があり、千の三十三〔天〕があり、千の耶摩〔天〕があり、千の兜率〔天〕があり、千の化楽〔天〕があり、千の他化自在〔天〕があり、千の梵の世があります。比丘たちよ、すなわち、千の世の界域があるかぎり、そこにおいて、大いなる梵〔天〕は、至高の者と告げ知らされます。比丘たちよ、まさに、大いなる梵〔天〕にもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(3)比丘たちよ、すなわち、この世が展転する、その時と成ります。比丘たちよ、世が展転しているとき、多くのところとして、有情たちは、光音〔天〕に等しく転起する者たちと成ります。彼らは、そこにおいて、意によって作られる者たちとして、喜悦を食物とする者たちとして、自ら光輝ある者たちとして、空中を歩む者たちとして、浄美なる境位ある者たちとして、〔世に〕有り、長きにわたり、長時のあいだ、〔世に〕止住します。比丘たちよ、世が展転しているとき、光音天〔の神々〕たちは、至高の者たちと告げ知らされます。比丘たちよ、まさに、光音天〔の神々〕たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(4)比丘たちよ、十のものがあります。これらの遍満の〔認識の〕場所です。どのようなものが、十のものなのですか。(4─1)或る者は、地の遍満を、上に、下に、横に、無二なるものと〔表象し〕、無量なるものと表象します。(4─2)或る者は、水の遍満を……略……表象します。(4─3)或る者は、火の遍満を……表象します。(4─4)或る者は、風の遍満を……表象します。(4─5)或る者は、青の遍満を……表象します。(4─6)或る者は、黄の遍満を……表象します。(4─7)或る者は、赤の遍満を……表象します。(4─8)或る者は、白の遍満を……表象します。(4─9)或る者は、虚空の遍満を……表象します。(4─10)或る者は、識知〔作用〕の遍満を、上に、下に、横に、無二なるものと〔表象し〕、無量なるものと表象します。比丘たちよ、まさに、これらの十の遍満の〔認識の〕場所があります。

比丘たちよ、これらの十の遍満の〔認識の〕場所のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、識知〔作用〕の遍満を、或る者が、上に、下に、横に、無二なるものと〔表象し〕、無量なるものと表象するなら。比丘たちよ、まさに、このような表象ある有情たちもまた存在します。比丘たちよ、まさに、このような表象ある有情たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(5)比丘たちよ、八つのものがあります。これらの征服ある〔認識の〕場所勝処です。どのようなものが、八つのものなのですか。(5─1)或る者は、内に形態の表象ある者として、外に諸々の形態を、微小にして、善き色艶と悪しき色艶あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第一の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─2)或る者は、内に形態の表象ある者として、外に諸々の形態を、無量にして、善き色艶と悪しき色艶あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第二の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─3)或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、微小にして、善き色艶と悪しき色艶あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第三の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─4)或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、無量にして、善き色艶と悪しき色艶あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第四の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─5)或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、青にして、青の色艶と青の外見と青の似姿あるものと見ます。それは、たとえば、また、まさに、亜麻の花が、青にして、青の色艶と青の外見と青の似姿あるように、また、あるいは、それは、たとえば、バーラーナシー産のその衣が、両面が艶やかで、青にして、青の色艶と青の外見と青の似姿あるように、まさしく、このように、或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、青にして、青の色艶と青の外見と青の似姿あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第五の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─6)或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、黄にして、黄の色艶と黄の外見と黄の似姿あるものと見ます。それは、たとえば、また、まさに、カニカーラの花が、黄にして、黄の色艶と黄の外見と黄の似姿あるように、また、あるいは、それは、たとえば、バーラーナシー産のその衣が、両面が艶やかで、黄にして、黄の色艶と黄の外見と黄の似姿あるように、まさしく、このように、或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、黄にして、黄の色艶と黄の外見と黄の似姿あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第六の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─7)或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、赤にして、赤の色艶と赤の外見と赤の似姿あるものと見ます。それは、たとえば、また、まさに、バンドゥジーヴァカの花が、赤にして、赤の色艶と赤の外見と赤の似姿あるように、また、あるいは、それは、たとえば、バーラーナシー産のその衣が、両面が艶やかで、赤にして、赤の色艶と赤の外見と赤の似姿あるように、まさしく、このように、或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、赤にして、赤の色艶と赤の外見と赤の似姿あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第七の征服ある〔認識の〕場所です。

(5─8)或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、白にして、白の色艶と白の外見と白の似姿あるものと見ます。それは、たとえば、また、まさに、明けの明星が、白にして、白の色艶と白の外見と白の似姿あるように、また、あるいは、それは、たとえば、バーラーナシー産のその衣が、両面が艶やかで、白にして、白の色艶と白の外見と白の似姿あるように、まさしく、このように、或る者は、内に形態の表象なき者として、外に諸々の形態を、白にして、白の色艶と白の外見と白の似姿あるものと見ます。〔彼は〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成ります。これは、第八の征服ある〔認識の〕場所です。比丘たちよ、まさに、これらの八つの征服ある〔認識の〕場所があります。

比丘たちよ、これらの八つの征服ある〔認識の〕場所のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、内に形態の表象なき者として、或る者が、外に諸々の形態を、白にして、白の色艶と白の外見と白の似姿あるものと見、〔彼が〕『それらを征服して、〔わたしは〕知り、〔わたしは〕見る』と、このような表象ある者と成るなら。比丘たちよ、まさに、このような表象ある有情たちもまた存在します。比丘たちよ、まさに、このような表象ある有情たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(6)比丘たちよ、四つのものがあります。これらの〔実践の〕道です。どのようなものが、四つのものなのですか。(6─1)苦なるものにして遅き証知ある〔実践の〕道であり、(6─2)苦なるものにして速き証知ある〔実践の〕道であり、(6─3)楽なるものにして遅き証知ある〔実践の〕道であり、(6─4)楽なるものにして速き証知ある〔実践の〕道です。比丘たちよ、まさに、これらの四つの〔実践の〕道があります。

比丘たちよ、これらの四つの〔実践の〕道のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、楽なるものにして速き証知ある〔実践の〕道です。比丘たちよ、まさに、このような〔実践の〕道ある有情たちもまた存在します。比丘たちよ、まさに、このような〔実践の〕道ある有情たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(7)比丘たちよ、四つのものがあります。これらの表象です。どのようなものが、四つのものなのですか。(7─1)或る者は、微小なるものを表象します。(7─2)或る者は、莫大なるものを表象します。(7─3)或る者は、無量なるものを表象します。(7─4)或る者は、『何であれ、存在しない』と、無所有なる〔認識の〕場所を表象します。比丘たちよ、まさに、これらの四つの表象があります。

比丘たちよ、これらの四つの表象のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、『何であれ、存在しない』と、或る者が、無所有なる〔認識の〕場所を表象するなら。比丘たちよ、まさに、このような表象ある有情たちもまた存在します。比丘たちよ、まさに、このような表象ある有情たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(8)比丘たちよ、諸々の外部の悪しき見解のなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、『かつまた、〔わたしは〕存するべくもなく、かつまた、わたしのものは、〔何も〕存するべくもなく、〔わたしは〕有ることなくあるであろうし、わたしのものは、〔何も〕有ることなくあるであろう』という〔見解です〕。比丘たちよ、このような見解ある者には、このことが期待できます⸺かつまた、すなわち、この、生存にたいし嫌悪なきことも、そして、それも、彼には有ることなくあるであろうし、かつまた、すなわち、この、生存にたいし嫌悪あることも、そして、それも、彼には有ることなくあるであろう、という、〔このことが〕。比丘たちよ、まさに、このような見解ある有情たちもまた存在します。比丘たちよ、まさに、このような見解ある有情たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(9)比丘たちよ、最高の義勝義の清浄を〔人々に〕報知する、或る沙門や婆羅門たちが存在します。比丘たちよ、最高の義(道理)の清浄を〔人々に〕報知する者たちのなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、全てにわたり、無所有なる〔認識の〕場所を超越して、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を成就して、〔彼が、世に〕住むなら。彼らは、それを証知して、それの実証のために、法(教え)を説示します。比丘たちよ、まさに、このような論ある有情たちもまた存在します。比丘たちよ、まさに、このような論ある有情たちにもまた、まさしく、他化が存在し、変化が存在します。比丘たちよ、このように見ながら、有聞の聖なる弟子は、それにたいしてもまた厭離します。その至高のものにたいし厭離している者は、離貪します。ましてや、下劣なるものについては〔言うまでもありません〕

(10)比丘たちよ、最高の所見の法(現世)における涅槃を〔人々に〕報知する、或る沙門や婆羅門たちが存在します。比丘たちよ、最高の所見の法(現世)における涅槃を〔人々に〕報知する者たちのなかでは、これを至高のものとします。すなわち、この、六つの接触ある〔認識の〕場所六触処の、そして、集起を、さらに、滅至を、そして、悦楽を、かつまた、危険を、さらに、出離を、事実のとおりに見出して、〔何も〕執取せずして〔到達する〕解脱です。比丘たちよ、まさに、このように説き、このように告げ知らせる、わたしを、或る沙門や婆羅門たちは、正しからざることによって〔誹謗し〕、虚妄なるまま虚偽なるままに、事実ならざることによって誹謗します。『沙門ゴータマは、諸々の欲望の遍知を報知せず、諸々の形態の遍知を報知せず、諸々の感受の遍知を報知しない』と。比丘たちよ、わたしは、そして、諸々の欲望の遍知を報知し、かつまた、諸々の形態の遍知を報知し、さらに、諸々の感受の遍知を報知し、まさしく、所見の法(現世)において、無欲の者として、涅槃に到達した者として、〔心が〕清涼と成った者として、〔何も〕執取せずして、完全なる涅槃を報知します」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【0】