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翻訳【18】

「出家者によって、幾度となく」の経

「比丘たちよ、十のものがあります。これらの、出家者によって、幾度となく注視されるべき法(性質)です。どのようなものが、十のものなのですか。(1)〔わたしは〕階級の外に到達した者として〔世に〕存している』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(2)『わたしの生計は、他者に縛られている(在家者たちに依拠している)』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(3)『わたしの為すべき営為は、〔在家者たちとは〕他のものである』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(4)『さてまた、どうであろう、まさに、わたしの自己が、戒〔の観点〕から批判しないだろうか』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(5)『さてまた、どうであろう、まさに、わたしのことを、随知して〔そののち〕、梵行を共にする識者たちが、戒〔の観点〕から批判しないだろうか』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(6)『わたしにとって、一切の愛しく意に適うものから、種々なる状態となり、変じ異なる状態となる』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(7)〔わたしは〕行為を自らのものとする者として、行為を相続する者として、行為を根源とする者として、行為を眷属とする者として、行為を帰依所とする者として、〔世に〕存している⸺その行為を、あるいは、善きものであれ、あるいは、悪しきものであれ、〔わたしが〕為すなら、その〔行為〕の相続者と成るのだ』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(8)『どのような状態にわたしはあり、諸々の昼夜は過ぎ行くのか』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(9)『さてまた、どうであろう、まさに、わたしは、空家を喜び楽しんでいるであろうか』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。(10)『さてまた、どうであろう、まさに、わたしに、人間の法(性質)を超える、十全にして聖なる知見という殊勝〔の境地〕が、到達するところとなり、存在するであろうか。その〔知見〕によって、わたしは、最後の時に、梵行を共にする者たちに尋ねられたとして、愕然と成ることなくあるのだ』と、出家者によって、幾度となく注視されるべきです。比丘たちよ、これらの十の、出家者によって、幾度となく注視されるべき法(性質)があります」と。〔以上が〕第八となる。

注釈【0】