読み込み中

翻訳【14】

言争の経

或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、大勢の比丘たちが、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、集会所において着坐し参集し、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を諸々の口の刃で突き刺しながら〔世に〕住んでいます。

そこで、まさに、世尊は、夕刻時に、静坐から出起し、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、いったい、どのような議論のために、ここにおいて、今現在、着坐し参集しているのですか。また、そして、どのようなものが、あなたたちの〔いまだ決着なく〕中断した合間の議論なのですか」と。

「尊き方よ、ここに、わたしたちは、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、集会所において着坐し参集し、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を諸々の口の刃で突き刺しながら〔世に〕住んでいます」と。「比丘たちよ、また、まさに、このことは、信によって家から家なきへと出家した良家の子息たちである、あなたたちにとって、適切なることではありません。すなわち、あなたたちが、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、集会所において着坐し参集し、言争を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を諸々の口の刃で突き刺しながら〔世に〕住むことです。

比丘たちよ、十のものがあります。これらの記憶されるべき法(性質)です。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。どのようなものが、十のものなのですか。(1)比丘たちよ、ここに、比丘が、戒ある者として〔世に〕有り、戒条による統御によって統御された者として〔世に〕住み、〔正しい〕習行と〔正しい〕境涯を成就した者として、諸々の微量の罪過について恐怖を見る者として、〔戒を〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、戒ある者として〔世に〕有り……略……〔戒を〕受持して、諸々の学びの境処において学ぶなら、これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(2)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、多聞の者として、所聞の保持ある者として、所聞の蓄積ある者として、〔世に〕有ります⸺すなわち、それらの法(教え)が、最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとしてあり、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとしてあり、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を宣説するなら、彼には、そのような形態の諸々の法(教え)が有ります⸺多聞のものとして、充足のものとして、言葉によって蓄積されたものとして、意によって点検されたものとして、〔正しい〕見解によって善く理解されたものとして。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、多聞の者として、所聞の保持ある者として、所聞の蓄積ある者として、〔世に〕有るなら……略……〔正しい〕見解によって善く理解されたものとして⸺これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(3)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、善き朋友ある者として、善き道友ある者として、善き友人ある者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、善き朋友ある者として、善き道友ある者として、善き友人ある者として、〔世に〕有るなら、これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(4)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、素直で、諸々の〔人を〕素直に作り為す法(性質)を具備し、忍耐があり、〔他者の〕教示を上手に把握できる者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、素直で、諸々の〔人を〕素直に作り為す法(性質)を具備し、忍耐があり、〔他者の〕教示を上手に把握できる者として〔世に〕有るなら、これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(5)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、すなわち、梵行を共にする者たちに、それらの高下諸々の業務があり、そこにおいて、能ある者として、怠けない者として、為すに十分なるものがあり、差配するに十分なるものがあり、そこにあって手段と考察を具備した者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、すなわち、梵行を共にする者たちに、それらの高下諸々の業務があり、そこにおいて、能ある者として、怠けない者として、為すに十分なるものがあり、差配するに十分なるものがあり、そこにあって手段と考察を具備した者として、〔世に〕有るなら、これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(6)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、法(教え)を欲する者であり、愛慕ある応接者であり、高次の法理において、高次の律において、秀逸なる歓喜ある者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、法(教え)を欲する者であり、愛慕ある応接者であり、高次の法理において、高次の律において、秀逸なる歓喜ある者として〔世に〕有るなら、これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(7)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、精進に励む者として〔世に〕住みます⸺諸々の善ならざる法(性質)の捨棄のために、諸々の善なる法(性質)の成就のために、諸々の善なる法(性質)において、強靭なる者となり、断固たる勤勉ある者となり、重荷を捨て置かない者となり。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、精進に励む者として〔世に〕住むなら⸺諸々の善ならざる法(性質)の捨棄のために、諸々の善なる法(性質)の成就のために、諸々の善なる法(性質)において、強靭なる者となり、断固たる勤勉ある者となり、重荷を捨て置かない者となり⸺これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(8)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、いかなる衣料や〔行乞の〕施食や臥坐具や病のための日用品たる薬の必需品によっても満ち足りている者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、いかなる衣料や〔行乞の〕施食や臥坐具や病のための日用品たる薬の必需品によっても満ち足りている者として〔世に〕有るなら、これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(9)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、気づきある者として〔世に〕有ります⸺最高の気づきと賢明さを具備した者となり、長きにわたり為したことをもまた、長きにわたり語ったことをもまた、思念し随念する者として。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、気づきある者として〔世に〕有るなら⸺最高の気づきと賢明さを具備した者となり、長きにわたり為したことをもまた、長きにわたり語ったことをもまた、思念し随念する者として⸺これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。

(10)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、智慧ある者として〔世に〕有ります⸺聖なる洞察にして、正しく苦しみの滅尽に至るものである、生成と滅至の智慧を具備した者として。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、智慧ある者として〔世に〕有るなら⸺聖なる洞察にして、正しく苦しみの滅尽に至るものである、生成と滅至の智慧を具備した者として⸺これもまた、記憶されるべき法(性質)となります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します。比丘たちよ、まさに、これらの十の記憶されるべき法(性質)があります。愛慕〔の思い〕を作り為すものであり、尊重〔の思い〕を作り為すものであり、愛護のために、論争なきために、和合のために、一なる状態のために、等しく転起します」と。〔以上が〕第十となる。

罵倒の章が第五となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「論争、そして、二つの根元、クシナーラーと入ること、釈迦〔族〕の者たち、マハーリ、『幾度となく』があり、そして、肉体に依って立つもの、言争があり、〔章となる〕」と。

第一の五十なるものは〔以上で〕完結となる。

注釈【0】