或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、尊者アーナンダは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、ミガサーラー女性在俗信者の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。そこで、まさに、ミガサーラー女性在俗信者が、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者アーナンダを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ミガサーラー女性在俗信者は、尊者アーナンダに、こう言いました。
「尊き方よ、アーナンダよ、どうして、まさに、どうして、世尊によって説示された、この法(教え)が了知できるというのでしょう。なぜなら、そこで、まさに、そして、梵行者も、さらに、梵行者ならざる者も、両者ともに、未来の運命として、赴く所(趣)を等しくする同等の者たちと成るからです。尊き方よ、わたしの父のプラーナは、梵行者として、遠く離れて歩む者として、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者として、〔世に〕有りました。彼は、命を終え、世尊によって授記されました。『一来たる有情として、兜率〔天〕の身体に再生したのです』と。尊き方よ、わたしの叔父のイシダッタは、梵行者ならざる者として、妻を有し満ち足りている者として、〔世に〕有りました。彼もまた、命を終え、世尊によって授記されました。『一来たる有情として、兜率〔天〕の身体に再生したのです』と。
尊き方よ、アーナンダよ、どうして、まさに、どうして、世尊によって説示された、この法(教え)が了知できるというのでしょう。なぜなら、そこで、まさに、そして、梵行者も、さらに、梵行者ならざる者も、両者ともに、未来の運命として、赴く所を等しくする同等の者たちと成るからです」と。「婦人よ、また、まさに、このように、このことはあり、世尊によって授記されたのです」と。
そこで、まさに、尊者アーナンダは、ミガサーラー女性在俗信者の住居地において、〔行乞の〕施食を収め取って、坐から立ち上がって、立ち去りました。そこで、まさに、尊者アーナンダは、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、ここに、わたしは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、ミガサーラー女性在俗信者の住居地のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。尊き方よ、そこで、まさに、ミガサーラー女性在俗信者は、わたしのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、わたしを敬拝して、一方に坐りました。尊き方よ、一方に坐った、まさに、ミガサーラー女性在俗信者は、わたしに、こう言いました。
『尊き方よ、アーナンダよ、どうして、まさに、どうして、世尊によって説示された、この法(教え)が了知できるというのでしょう。なぜなら、そこで、まさに、そして、梵行者も、さらに、梵行者ならざる者も、両者ともに、未来の運命として、赴く所を等しくする同等の者たちと成るからです。尊き方よ、わたしの父のプラーナは、梵行者として、遠く離れて歩む者として、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者として、〔世に〕有りました。彼は、命を終え、世尊によって授記されました。「一来たる有情として、兜率〔天〕の身体に再生したのです」と。尊き方よ、わたしの叔父のイシダッタは、梵行者ならざる者として、妻を有し満ち足りている者として、〔世に〕有りました。彼もまた、命を終え、世尊によって授記されました。「一来たる有情として、兜率〔天〕の身体に再生したのです」と。
尊き方よ、アーナンダよ、どうして、まさに、どうして、世尊によって説示された、この法(教え)が了知できるというのでしょう。なぜなら、そこで、まさに、そして、梵行者も、さらに、梵行者ならざる者も、両者ともに、未来の運命として、赴く所を等しくする同等の者たちと成るのです』と。尊き方よ、このように説かれたとき、わたしは、ミガサーラー女性在俗信者に、こう言いました。『婦人よ、また、まさに、このように、このことはあり、世尊によって授記されたのです』」と。
「アーナンダよ、さてまた、どうして、愚かで、明敏ならず、鈍き者であり、鈍き表象の者である、ミガサーラー女性在俗信者が、さてまた、どうして、人士たる人の上下についての知恵ある者(如来)たちと、〔等しくあるというのでしょう〕。
アーナンダよ、十のものがあります。これらの人たちが、世において等しく見出されつつ存しています。どのようなものが、十のものなのですか。(1)アーナンダよ、ここに、一部の人は、劣戒の者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その劣戒の資質が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知しません。彼には、聴聞によってもまた、為されていないものが有り、多聞によってもまた、為されていないものが有り、見解によってもまた、理解されていないものが有り、暫時の解脱をもまた得ません。彼は、身体の破壊ののち、死後において、退失〔の境地〕に至り行きます⸺殊勝〔の境地〕ではなく。まさしく、退失〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺殊勝〔の境地〕に至る者ではなく。
(2)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、劣戒の者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その劣戒の資質が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知します。彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得ます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、殊勝〔の境地〕に至り行きます⸺退失〔の境地〕ではなく。まさしく、殊勝〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺退失〔の境地〕に至る者ではなく。
アーナンダよ、そこで、思量者たちは思量します。『この者にもまた、まさしく、かくのごとく、〔これらの〕法(性質)があり、他の者にもまた、まさしく、かくのごとく、〔これらの〕法(性質)がある。何ゆえに、彼らのなかの、或る者は下劣なる者となり、或る者は精妙なる者となるのか』と。アーナンダよ、まさに、彼ら(思量者たち)にとって、その〔思量〕は、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ります。
アーナンダよ、そこで、すなわち、この人が、劣戒の者として〔世に〕有り、そして、そこにおいて、彼の、その劣戒の資質が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知し、彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得るなら、アーナンダよ、この人は、あの前者の人よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙でもあります。それは、何を因とするのですか。アーナンダよ、なぜなら、法(真理)の流れが、この人を引き抜くからですが、その機微を、如来よりの他の、誰が知るというのでしょう。アーナンダよ、それゆえに、ここに、〔それらの〕人たちについての思量者と成ってはいけません。〔それらの〕人たちについての思量を収め取ってはいけません。アーナンダよ、なぜなら、〔それらの〕人たちについての思量を収め取っていると、〔思量者自身が〕傷つくからです。アーナンダよ、あるいは、わたしが、〔それらの〕人たちについての思量を収め取るべきであり、また、あるいは、その者が、わたしのような者として存しているなら、〔その者が収め取るべきです〕。
(3)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、戒ある者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その戒が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知しません。彼には、聴聞によってもまた、為されていないものが有り、多聞によってもまた、為されていないものが有り、見解によってもまた、理解されていないものが有り、暫時の解脱をもまた得ません。彼は、身体の破壊ののち、死後において、退失〔の境地〕に至り行きます⸺殊勝〔の境地〕ではなく。まさしく、退失〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺殊勝〔の境地〕に至る者ではなく。
(4)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、戒ある者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その戒が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知します。彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得ます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、殊勝〔の境地〕に至り行きます⸺退失〔の境地〕ではなく。まさしく、殊勝〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺退失〔の境地〕に至る者ではなく。
アーナンダよ、そこで、思量者たちは思量します。……略……。アーナンダよ、あるいは、わたしが、〔それらの〕人たちについての思量を収め取るべきであり、また、あるいは、その者が、わたしのような者として存しているなら、〔その者が収め取るべきです〕。
(5)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、強き貪欲ある者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その貪欲が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知しません。彼には、聴聞によってもまた、為されていないものが有り、多聞によってもまた、為されていないものが有り、見解によってもまた、理解されていないものが有り、暫時の解脱をもまた得ません。彼は、身体の破壊ののち、死後において、退失〔の境地〕に至り行きます⸺殊勝〔の境地〕ではなく。まさしく、退失〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺殊勝〔の境地〕に至る者ではなく。
(6)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、強き貪欲ある者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その貪欲が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知します。彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得ます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、殊勝〔の境地〕に至り行きます⸺退失〔の境地〕ではなく。まさしく、殊勝〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺退失〔の境地〕に至る者ではなく。
アーナンダよ、そこで、思量者たちは思量します。……略……。アーナンダよ、あるいは、わたしが、〔それらの〕人たちについての思量を収め取るべきであり、また、あるいは、その者が、わたしのような者として存しているなら、〔その者が収め取るべきです〕。
(7)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、忿激する者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その忿激が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知しません。彼には、聴聞によってもまた、為されていないものが有り、多聞によってもまた、為されていないものが有り、見解によってもまた、理解されていないものが有り、暫時の解脱をもまた得ません。彼は、身体の破壊ののち、死後において、退失〔の境地〕に至り行きます⸺殊勝〔の境地〕ではなく。まさしく、退失〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺殊勝〔の境地〕に至る者ではなく。
(8)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、忿激する者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その忿激が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知します。彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得ます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、殊勝〔の境地〕に至り行きます⸺退失〔の境地〕ではなく。まさしく、殊勝〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺退失〔の境地〕に至る者ではなく。
アーナンダよ、そこで、思量者たちは思量します。……略……。アーナンダよ、あるいは、わたしが、〔それらの〕人たちについての思量を収め取るべきであり、また、あるいは、その者が、わたしのような者として存しているなら、〔その者が収め取るべきです〕。
(9)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、〔心が〕高揚した者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その〔心の〕高揚が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知しません。彼には、聴聞によってもまた、為されていないものが有り、多聞によってもまた、為されていないものが有り、見解によってもまた、理解されていないものが有り、暫時の解脱をもまた得ません。彼は、身体の破壊ののち、死後において、退失〔の境地〕に至り行きます⸺殊勝〔の境地〕ではなく。まさしく、退失〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺殊勝〔の境地〕に至る者ではなく。
(10)アーナンダよ、また、ここに、一部の人は、〔心が〕高揚した者として〔世に〕有ります。そして、そこにおいて、彼の、その〔心の〕高揚が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知します。彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得ます。彼は、身体の破壊ののち、死後において、殊勝〔の境地〕に至り行きます⸺退失〔の境地〕ではなく。まさしく、殊勝〔の境地〕に至る者として〔世に〕有ります⸺退失〔の境地〕に至る者ではなく。
アーナンダよ、そこで、思量者たちは思量します。『この者にもまた、まさしく、かくのごとく、〔これらの〕法(性質)があり、他の者にもまた、まさしく、かくのごとく、〔これらの〕法(性質)がある。何ゆえに、彼らのなかの、或る者は下劣なる者となり、或る者は精妙なる者となるのか』と。アーナンダよ、まさに、彼ら(思量者たち)にとって、その〔思量〕は、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ります。
アーナンダよ、そこで、すなわち、この人が、〔心が〕高揚した者として〔世に〕有り、そして、そこにおいて、彼の、その〔心の〕高揚が完全に残りなく止滅する、〔まさに〕その、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、事実のとおりに覚知し、彼には、聴聞によってもまた、為されたものが有り、多聞によってもまた、為されたものが有り、見解によってもまた、理解されたものが有り、暫時の解脱をもまた得るなら、アーナンダよ、この人は、あの前者の人よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙でもあります。それは、何を因とするのですか。アーナンダよ、なぜなら、法(真理)の流れが、この人を引き抜くからですが、その機微を、如来よりの他の、誰が知るというのでしょう。アーナンダよ、それゆえに、ここに、〔それらの〕人たちについての思量者と成ってはいけません。〔それらの〕人たちについての思量を収め取ってはいけません。アーナンダよ、なぜなら、〔それらの〕人たちについての思量を収め取っていると、〔思量者自身が〕傷つくからです。アーナンダよ、あるいは、わたしが、〔それらの〕人たちについての思量を収め取るべきであり、また、あるいは、その者が、わたしのような者として存しているなら、〔その者が収め取るべきです〕。
アーナンダよ、さてまた、どうして、愚かで、明敏ならず、鈍き者であり、鈍き表象の者である、ミガサーラー女性在俗信者が、さてまた、どうして、人士たる人の上下についての知恵ある者たちと、〔等しくあるというのでしょう〕。アーナンダよ、まさに、これらの十の人たちが、世において等しく見出されつつ存しています。
アーナンダよ、そのような形態の戒を具備した者として、プラーナは〔世に〕有ったのですが、イシダッタが、そのような形態の戒を具備した者として〔世に〕有ったなら、ここに、プラーナは、イシダッタの赴く所さえも了知しなかったでしょう。アーナンダよ、そのような形態の智慧を具備した者として、イシダッタは〔世に〕有ったのですが、プラーナが、そのような形態の智慧を具備した者として〔世に〕有ったなら、ここに、イシダッタは、プラーナの赴く所さえも了知しなかったでしょう。アーナンダよ、かくのごとく、まさに、これらの人たちは、両者ともに、一つの支分が劣っているのです」と。〔以上が〕第五となる。
注釈【0】