「(1)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)が、世において等しく見出されないなら、阿羅漢にして正等覚者たる如来が、世に生起することはなく、如来によって知らされた法(教え)と律が、世において点灯することはないでしょう。どのようなものが、三つのものなのですか。そして、生であり、かつまた、老であり、さらに、死です。比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)が、世において等しく見出されないなら、阿羅漢にして正等覚者たる如来が、世に生起することはなく、如来によって知らされた法(教え)と律が、世において点灯することはないでしょう。比丘たちよ、しかしながら、すなわち、まさに、これらの三つの法(性質)が、世において等しく見出されることから、それゆえに、阿羅漢にして正等覚者たる如来が、世に生起し、如来によって知らされた法(教え)と律が、世において点灯します。
(2)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、生を捨棄することも、老を捨棄することも、死を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。貪欲を捨棄せずして、憤怒を捨棄せずして、迷妄を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、生を捨棄することも、老を捨棄することも、死を捨棄することも、不可能となります。
(3)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、貪欲を捨棄することも、憤怒を捨棄することも、迷妄を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。身体を有するという見解(有身見)を捨棄せずして、疑惑〔の思い〕(疑)を捨棄せずして、戒や掟への偏執(戒禁取)を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、貪欲を捨棄することも、憤怒を捨棄することも、迷妄を捨棄することも、不可能となります。
(4)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、身体を有するという見解を捨棄することも、疑惑〔の思い〕を捨棄することも、戒や掟への偏執を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。根源のままならずに意を為すことを捨棄せずして、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄せずして、心の畏縮を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、身体を有するという見解を捨棄することも、疑惑〔の思い〕を捨棄することも、戒や掟への偏執を捨棄することも、不可能となります。
(5)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、根源のままならずに意を為すことを捨棄することも、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄することも、心の畏縮を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。気づきの忘却を捨棄せずして、正知なきことを捨棄せずして、心の散乱を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、根源のままならずに意を為すことを捨棄することも、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄することも、心の畏縮を捨棄することも、不可能となります。
(6)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、気づきの忘却を捨棄することも、正知なきことを捨棄することも、心の散乱を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄せずして、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄せずして、咎め立ての心を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、気づきの忘却を捨棄することも、正知なきことを捨棄することも、心の散乱を捨棄することも、不可能となります。
(7)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄することも、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄することも、咎め立ての心を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。〔心の〕高揚を捨棄せずして、統御なき〔生き方〕を捨棄せずして、劣戒の資質を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄することも、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄することも、咎め立ての心を捨棄することも、不可能となります。
(8)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、〔心の〕高揚を捨棄することも、統御なき〔生き方〕を捨棄することも、劣戒の資質を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。信なき〔生き方〕を捨棄せずして、寛容ならざることを捨棄せずして、怠惰を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、〔心の〕高揚を捨棄することも、統御なき〔生き方〕を捨棄することも、劣戒の資質を捨棄することも、不可能となります。
(9)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、信なき〔生き方〕を捨棄することも、寛容ならざることを捨棄することも、怠惰を捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。慇懃ならざることを捨棄せずして、頑固であることを捨棄せずして、悪しき朋友あることを捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、信なき〔生き方〕を捨棄することも、寛容ならざることを捨棄することも、怠惰を捨棄することも、不可能となります。
(10)比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄せずして、慇懃ならざることを捨棄することも、頑固であることを捨棄することも、悪しき朋友あることを捨棄することも、不可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。恥〔の思い〕なき〔生き方〕を捨棄せずして、〔良心の〕咎めなき〔生き方〕を捨棄せずして、放逸を捨棄せずして⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄せずして、慇懃ならざることを捨棄することも、頑固であることを捨棄することも、悪しき朋友あることを捨棄することも、不可能となります。
比丘たちよ、この者は、恥〔の思い〕なき者であり、〔良心の〕咎めなき者であり、放逸の者として〔世に〕有ります。彼は、放逸の者として〔世に〕存しつつ、慇懃ならざることを捨棄することも、頑固であることを捨棄することも、悪しき朋友あることを捨棄することも、不可能となります。彼は、悪しき朋友ある者として〔世に〕存しつつ、信なき〔生き方〕を捨棄することも、寛容ならざることを捨棄することも、怠惰を捨棄することも、不可能となります。彼は、怠惰の者として〔世に〕存しつつ、〔心の〕高揚を捨棄することも、統御なき〔生き方〕を捨棄することも、劣戒の資質を捨棄することも、不可能となります。彼は、劣戒の者として〔世に〕存しつつ、聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄することも、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄することも、咎め立ての心を捨棄することも、不可能となります。彼は、咎め立ての心ある者として〔世に〕存しつつ、気づきの忘却を捨棄することも、正知なきことを捨棄することも、心の散乱を捨棄することも、不可能となります。彼は、散乱した心の者として〔世に〕存しつつ、根源のままならずに意を為すことを捨棄することも、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄することも、心の畏縮を捨棄することも、不可能となります。彼は、畏縮した心の者として〔世に〕存しつつ、身体を有するという見解を捨棄することも、疑惑〔の思い〕を捨棄することも、戒や掟への偏執を捨棄することも、不可能となります。彼は、疑惑ある者として〔世に〕存しつつ、貪欲を捨棄することも、憤怒を捨棄することも、迷妄を捨棄することも、不可能となります。彼は、貪欲を捨棄せずして、憤怒を捨棄せずして、迷妄を捨棄せずして、生を捨棄することも、老を捨棄することも、死を捨棄することも、不可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、生を捨棄することが、老を捨棄することが、死を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。貪欲を捨棄して、憤怒を捨棄して、迷妄を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、生を捨棄することが、老を捨棄することが、死を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、貪欲を捨棄することが、憤怒を捨棄することが、迷妄を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。身体を有するという見解を捨棄して、疑惑〔の思い〕を捨棄して、戒や掟への偏執を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、貪欲を捨棄することが、憤怒を捨棄することが、迷妄を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、身体を有するという見解を捨棄することが、疑惑〔の思い〕を捨棄することが、戒や掟への偏執を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。根源のままならずに意を為すことを捨棄して、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄して、心の畏縮を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、身体を有するという見解を捨棄することが、疑惑〔の思い〕を捨棄することが、戒や掟への偏執を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、根源のままならずに意を為すことを捨棄することが、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄することが、心の畏縮を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。気づきの忘却を捨棄して、正知なきことを捨棄して、心の散乱を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、根源のままならずに意を為すことを捨棄することが、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄することが、心の畏縮を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、気づきの忘却を捨棄することが、正知なきことを捨棄することが、心の散乱を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄して、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄して、咎め立ての心を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、気づきの忘却を捨棄することが、正知なきことを捨棄することが、心の散乱を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄することが、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄することが、咎め立ての心を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。〔心の〕高揚を捨棄して、統御なき〔生き方〕を捨棄して、劣戒の資質を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄することが、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄することが、咎め立ての心を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、〔心の〕高揚を捨棄することが、統御なき〔生き方〕を捨棄することが、劣戒の資質を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。信なき〔生き方〕を捨棄して、寛容ならざることを捨棄して、怠惰を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、〔心の〕高揚を捨棄することが、統御なき〔生き方〕を捨棄することが、劣戒の資質を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、信なき〔生き方〕を捨棄することが、寛容ならざることを捨棄することが、怠惰を捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。慇懃ならざることを捨棄して、頑固であることを捨棄して、悪しき朋友あることを捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、信なき〔生き方〕を捨棄することが、寛容ならざることを捨棄することが、怠惰を捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、三つのものがあります。これらの法(性質)を捨棄して、慇懃ならざることを捨棄することが、頑固であることを捨棄することが、悪しき朋友あることを捨棄することが、可能となります。どのようなものが、三つのものなのですか。恥〔の思い〕なき〔生き方〕を捨棄して、〔良心の〕咎めなき〔生き方〕を捨棄して、放逸を捨棄して⸺比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を捨棄して、慇懃ならざることを捨棄することが、頑固であることを捨棄することが、悪しき朋友あることを捨棄することが、可能となります。
比丘たちよ、この者は、恥〔の思い〕ある者であり、〔良心の〕咎めある者であり、不放逸の者として〔世に〕有ります。彼は、不放逸の者として〔世に〕存しつつ、慇懃ならざることを捨棄することが、頑固であることを捨棄することが、悪しき朋友あることを捨棄することが、可能となります。彼は、善き朋友ある者として〔世に〕存しつつ、信なき〔生き方〕を捨棄することが、寛容ならざることを捨棄することが、怠惰を捨棄することが、可能となります。彼は、精進に励む者として〔世に〕存しつつ、〔心の〕高揚を捨棄することが、統御なき〔生き方〕を捨棄することが、劣戒の資質を捨棄することが、可能となります。彼は、戒ある者として〔世に〕存しつつ、聖者たちと会見することを欲さないことを捨棄することが、聖者たちの法(教え)を聞くことを欲さないことを捨棄することが、咎め立ての心を捨棄することが、可能となります。彼は、咎め立ての心なき者として〔世に〕存しつつ、気づきの忘却を捨棄することが、正知なきことを捨棄することが、心の散乱を捨棄することが、可能となります。彼は、散乱していない心の者として〔世に〕存しつつ、根源のままならずに意を為すことを捨棄することが、悪しき道に慣れ親しむことを捨棄することが、心の畏縮を捨棄することが、可能となります。彼は、畏縮していない心の者として〔世に〕存しつつ、身体を有するという見解を捨棄することが、疑惑〔の思い〕を捨棄することが、戒や掟への偏執を捨棄することが、可能となります。彼は、疑惑なき者として〔世に〕存しつつ、貪欲を捨棄することが、憤怒を捨棄することが、迷妄を捨棄することが、可能となります。彼は、貪欲を捨棄して、憤怒を捨棄して、迷妄を捨棄して、生を捨棄することが、老を捨棄することが、死を捨棄することが、可能となります」と。〔以上が〕第六となる。
注釈【0】