或る時のことです。尊者マハー・チュンダは、チェーティ〔国〕に住んでいます。サハジャーティ〔村〕において。そこで、まさに、尊者マハー・チュンダは、比丘たちに告げました。「友よ、比丘たちよ」と。「友よ」と、まさに、それらの比丘たちは、尊者マハー・チュンダに答えました。尊者マハー・チュンダは、こう言いました。
「友よ、ここに、比丘が、諸々の到達について、誇る者として、誇示する者として、〔世に〕有ります。『わたしは、第一の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、第二の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、第三の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、第四の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、虚空無辺なる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。わたしは、識知無辺なる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。わたしは、無所有なる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。わたしは、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。表象と感覚の止滅に入定もまたし出起もまたする』と。
〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来が、あるいは、如来の弟子が、尋問し、審問し、査問します。その〔比丘〕は、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来によって、あるいは、如来の弟子によって、尋問され、審問され、査問されながら、虚脱を惹起し、狼狽を惹起し、不幸を惹起し、災厄を惹起し、不幸と災厄を惹起します。
〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、意を為します。『いったい、まさに、どうして、この尊者は、諸々の到達について、誇る者として、誇示する者として、〔世に〕有るのか。「わたしは、第一の瞑想に入定もまたし出起もまたする。……略……。表象と感覚の止滅に入定もまたし出起もまたする」』と。
〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、覚知します。
『(1)まさに、この尊者は、長夜にわたり、諸戒において、破断を為す者であり、切断を為す者であり、斑紋を為す者であり、雑色を為す者であり、常に為す者ではなく、常なる行持ある者ではない。まさに、この尊者は、劣戒の者である。また、まさに、劣戒の資質は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(2)また、まさに、この尊者は、信なき者である。また、まさに、信なき〔生き方〕は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(3)また、まさに、この尊者は、少聞の者であり、習行なき者である。まさに、また、まさに、少聞は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(4)また、まさに、この尊者は、頑固な者である。また、まさに、頑固であることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(5)また、まさに、この尊者は、悪しき欲求ある者である。また、まさに、悪しき欲求あることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(6)また、まさに、この尊者は、怠惰の者である。また、まさに、怠惰は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(7)また、まさに、この尊者は、気づきが忘却された者である。また、まさに、気づきの忘却は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(8)また、まさに、この尊者は、虚言者である。また、まさに、虚言は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(9)また、まさに、この尊者は、扶養し難き者(他者に迷惑をかける者)である。また、まさに、扶養し難きことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(10)また、まさに、この尊者は、智慧浅き者である。また、まさに、智慧浅きことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
友よ、それは、たとえば、また、道友が、道友に、このように説くとします。『友よ、あなたに、財のことで、財によって為すべきことが存する、そのときは、わたしに、財を乞い求めるべきです。あなたに、財を与えましょう』と。その道友は、何らかの或る、財によって為すべきことが生起したとき、道友に、このように説きます。『友よ、わたしに、財のことで義(目的)があります。わたしに、財を与えたまえ』と。彼は、このように説きます。『友よ、まさに、それでは、ここを掘りたまえ』と。彼は、そこを掘りつつ、〔財に〕到達しません。彼は、このように説きます。『友よ、〔あなたは〕わたしに、偽りを言った。友よ、〔あなたは〕わたしに、虚妄を言った。「ここを掘りたまえ」』と。彼は、このように説きます。『友よ、わたしは、あなたに、偽りを言ったことも、虚妄を言ったことも、ありません。友よ、まさに、それでは、ここを掘りたまえ』と。彼は、そこを掘りつつもまた、〔財に〕到達しません。彼は、このように説きます。『友よ、〔あなたは〕わたしに、偽りを言った。友よ、〔あなたは〕わたしに、虚妄を言った。「ここを掘りたまえ」』と。彼は、このように説きます。『友よ、わたしは、あなたに、偽りを言ったことも、虚妄を言ったことも、ありません。しかしながら、また、まさしく、わたしは、心の転倒によって、狂気に至り得ました』と。
友よ、まさしく、このように、まさに、比丘が、諸々の到達について、誇る者として、誇示する者として、〔世に〕有ります。『わたしは、第一の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、第二の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、第三の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、第四の瞑想に入定もまたし出起もまたする。わたしは、虚空無辺なる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。わたしは、識知無辺なる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。わたしは、無所有なる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。わたしは、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所に入定もまたし出起もまたする。表象と感覚の止滅に入定もまたし出起もまたする』と。
〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来が、あるいは、如来の弟子が、尋問し、審問し、査問します。その〔比丘〕は、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来によって、あるいは、如来の弟子によって、尋問され、審問され、査問されながら、虚脱を惹起し、狼狽を惹起し、不幸を惹起し、災厄を惹起し、不幸と災厄を惹起します。
〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、意を為します。『いったい、まさに、どうして、この尊者は、諸々の到達について、誇る者として、誇示する者として、〔世に〕有るのか。「わたしは、第一の瞑想に入定もまたし出起もまたする。……略……。表象と感覚の止滅に入定もまたし出起もまたする」』と。
〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、覚知します。
『(1)まさに、この尊者は、長夜にわたり、諸戒において、破断を為す者であり、切断を為す者であり、斑紋を為す者であり、雑色を為す者であり、常に為す者ではなく、常なる行持ある者ではない。まさに、この尊者は、劣戒の者である。また、まさに、劣戒の資質は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(2)また、まさに、この尊者は、信なき者である。また、まさに、信なき〔生き方〕は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(3)また、まさに、この尊者は、少聞の者であり、習行なき者である。まさに、また、まさに、少聞は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(4)また、まさに、この尊者は、頑固な者である。また、まさに、頑固であることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(5)また、まさに、この尊者は、悪しき欲求ある者である。また、まさに、悪しき欲求あることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(6)また、まさに、この尊者は、怠惰の者である。また、まさに、怠惰は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(7)また、まさに、この尊者は、気づきが忘却された者である。また、まさに、気づきの忘却は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(8)また、まさに、この尊者は、虚言者である。また、まさに、虚言は、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(9)また、まさに、この尊者は、扶養し難き者である。また、まさに、扶養し難きことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
『(10)また、まさに、この尊者は、智慧浅き者である。また、まさに、智慧浅きことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕。
友よ、まさに、その比丘が、これらの十の法(性質)を捨棄せずして、この法(教え)と律において、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するであろう、という、この状況は見出されません。友よ、まさに、その比丘が、これらの十の法(性質)を捨棄して、この法(教え)と律において、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するであろう、という、この状況は見出されます」と。〔以上が〕第五となる。
注釈【0】