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翻訳【13】

増上慢の経

或る時のことです。尊者マハー・カッサパは、ラージャガハ王舎城に住んでいます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ竹林精舎において。そこで、まさに、尊者マハー・カッサパは、比丘たちに告げました。「友よ、比丘たちよ」と。「友よ」と、まさに、それらの比丘たちは、尊者マハー・カッサパに答えました。尊者マハー・カッサパは、こう言いました。

「友よ、ここに、比丘が、〔自己みずから、自己の〕了知を説き明かします。『「生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない」と覚知します』と。〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来が、あるいは、如来の弟子が、尋問し、審問し、査問します。その〔比丘〕は、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来によって、あるいは、如来の弟子によって、尋問され、審問され、査問されながら、虚脱を惹起し、狼狽を惹起し、不幸を惹起し、災厄を惹起し、不幸と災厄を惹起します。

〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、意を為します。『いったい、まさに、どうして、この尊者は、〔自己みずから、自己の〕了知を説き明かすのか。「『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」』と。

〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、覚知します。

『まさに、この尊者は、増上慢の者となり、増上慢の真理ある者となり、至り得ていないものについて至り得たものの表象ある者となり、為されていないものについて為されたものの表象ある者となり、到達していないものについて到達したものの表象ある者となり、増上慢によって、〔自己みずから、自己の〕了知を説き明かす。「『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」』と。

〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、意を為します。『いったい、何に依拠して、まさに、この尊者は、増上慢の者となり、増上慢の真理ある者となり、至り得ていないものについて至り得たものの表象ある者となり、為されていないものについて為されたものの表象ある者となり、到達していないものについて到達したものの表象ある者となり、増上慢によって、〔自己みずから、自己の〕了知を説き明かすのか。「『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」』と。

〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、覚知します。

『また、まさに、この尊者は、多聞の者であり、所聞の保持ある者であり、所聞の蓄積ある者である⸺すなわち、それらの法(教え)が、最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとしてあり、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとしてあり、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を宣説するなら、彼には、そのような形態の諸々の法(教え)が有る⸺多聞のものとして、充足のものとして、言葉によって蓄積されたものとして、意によって点検されたものとして、〔正しい〕見解によって善く理解されたものとして。それゆえに、この尊者は、増上慢の者となり、増上慢の真理ある者となり、至り得ていないものについて至り得たものの表象ある者となり、為されていないものについて為されたものの表象ある者となり、到達していないものについて到達したものの表象ある者となり、増上慢によって、〔自己みずから、自己の〕了知を説き明かす。「『生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない』と覚知します」』と。

〔まさに〕その、この者のことを、瞑想者であり、入定に巧みな智ある者であり、他者の心に巧みな智ある者であり、他者の心の様態に巧みな智ある者である、あるいは、如来は、あるいは、如来の弟子は、このように、〔自らの〕心をとおして、〔彼の〕心を探知して、覚知します。

(1)また、まさに、この尊者は、強欲〔の思い〕ある者であり、強欲〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で多くを住む。また、まさに、強欲〔の思い〕が遍く取り囲むことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(2)また、まさに、この尊者は、憎悪〔の思い〕ある者であり、憎悪〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で多くを住む。また、まさに、憎悪〔の思い〕が遍く取り囲むことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(3)また、まさに、この尊者は、〔心の〕沈滞と眠気ある者であり、〔心の〕沈滞と眠気に遍く取り囲まれた心で多くを住む。また、まさに、〔心の〕沈滞と眠気が遍く取り囲むことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(4)また、まさに、この尊者は、〔心が〕高揚した者であり、〔心の〕高揚に遍く取り囲まれた心で多くを住む。また、まさに、〔心の〕高揚が遍く取り囲むことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(5)また、まさに、この尊者は、疑惑〔の思い〕ある者であり、疑惑〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で多くを住む。また、まさに、疑惑〔の思い〕が遍く取り囲むことは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(6)また、まさに、この尊者は、作業を喜びとし、作業を喜び、作業の喜びに専念する者である。また、まさに、作業を喜びとすることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(7)また、まさに、この尊者は、談義を喜びとし、談義を喜び、談義の喜びに専念する者である。また、まさに、談義を喜びとすることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(8)また、まさに、この尊者は、睡眠を喜びとし、睡眠を喜び、睡眠の喜びに専念する者である。また、まさに、睡眠を喜びとすることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(9)また、まさに、この尊者は、社交を喜びとし、社交を喜び、社交の喜びに専念する者である。また、まさに、社交を喜びとすることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

(10)また、まさに、この尊者は、より上なる為すべきことが存しているのに、ほんの些細な殊勝〔の境地〕の到達によって、中途において完成〔の思い〕を惹起したのだ。また、まさに、中途において完成〔の思い〕に至ることは、これは、如来によって知らされた法(教え)と律における遍き衰退である』〔と〕

友よ、まさに、その比丘が、これらの十の法(性質)を捨棄せずして、この法(教え)と律において、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するであろう、という、この状況は見出されません。友よ、まさに、その比丘が、これらの十の法(性質)を捨棄して、この法(教え)と律において、増大を〔惹起し〕、成長を〔惹起し〕、広大を惹起するであろう、という、この状況は見出されます」と。〔以上が〕第六となる。

注釈【0】