そこで、まさに、世尊は、命を終えた比丘に関して、比丘たちに告げました。「比丘たちよ」と。「幸甚なる方よ」と、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。
「(1)比丘たちよ、ここに、比丘が、問題ある者として、問題の止寂の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、問題ある者として、問題の止寂の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(2)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、学びを欲する者ではなく、学びの受持の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、学びを欲する者ではなく、学びの受持の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(3)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、悪しき欲求ある者として、欲求の調伏(取り除き)の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、悪しき欲求ある者として、欲求の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(4)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、忿激する者として、忿激の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、忿激する者として、忿激の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(5)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、偽装ある者として、偽装の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、偽装ある者として、偽装の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(6)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、狡猾ある者として、狡猾の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、狡猾ある者として、狡猾の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(7)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、幻惑ある者として、幻惑の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、幻惑ある者として、幻惑の調伏の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(8)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、諸々の法(教え)を傾聴する類の者ではなく、法(事象)の感知の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、諸々の法(教え)を傾聴する類の者ではなく、法(事象)の感知の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(9)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、静坐する者ではなく、静坐の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、静坐する者ではなく、静坐の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
(10)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、梵行を共にする者たちにとって友愛ある者ではなく、友愛ある者の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、梵行を共にする者たちにとって友愛ある者ではなく、友愛ある者の栄誉を説く者ではなく、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるためではなく、尊重〔の思い〕あるためではなく、敬愛のためではなく、沙門の資質のためではなく、一なる状態のためではなく、等しく転起します。
比丘たちよ、このような形態の比丘に、たとえ、何であれ、このように、欲求が生起するとして、『ああ、まさに、わたしのことを、梵行を共にする者たちは、尊敬するべきであり、尊重するべきであり、思慕するべきであり、供養するべきである』と、そこで、まさに、彼のことを、梵行を共にする者たちは、まさしく、そして、尊敬せず、尊重せず、思慕せず、供養しません。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、梵行を共にする識者たちは、彼の、それらの悪しき善ならざる法(性質)が捨棄されていないのを等しく随観するからです。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、野馬たる馬に、たとえ、何であれ、このように、欲求が生起するとして、『ああ、まさに、わたしのことを、人間たちは、良馬の地位に位置づけるべきであり、かつまた、良馬の食料を食べさせるべきであり、さらに、良馬の身繕いを提供するべきである』と、そこで、まさに、彼のことを、人間たちは、まさしく、そして、良馬の地位に位置づけず、かつまた、良馬の食料を食べさせず、さらに、良馬の身繕いを提供しません。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、識者たる人間たちは、その〔野馬たる馬〕の、それらの狡猾と奸計と歪曲と邪曲が捨棄されていないのを等しく随観するからです。
比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、このような形態の比丘に、たとえ、何であれ、このように、欲求が生起するとして、『ああ、まさに、わたしのことを、梵行を共にする者たちは、尊敬するべきであり、尊重するべきであり、思慕するべきであり、供養するべきである』と、そこで、まさに、彼のことを、梵行を共にする者たちは、まさしく、そして、尊敬せず、尊重せず、思慕せず、供養しません。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、梵行を共にする識者たちは、彼の、それらの悪しき善ならざる法(性質)が捨棄されていないのを等しく随観するからです。
(1)比丘たちよ、また、ここに、比丘が、問題ある者ではなく、問題の止寂の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、問題ある者ではなく、問題の止寂の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるために、尊重〔の思い〕あるために、敬愛のために、沙門の資質のために、一なる状態のために、等しく転起します。
(2)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、学びを欲する者として、学びの受持の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、学びの受持の栄誉を説く者として、学びを欲する者としてく〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるために、尊重〔の思い〕あるために、敬愛のために、沙門の資質のために、一なる状態のために、等しく転起します。
(3)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、少なき欲求の者として、欲求の調伏(取り除き)の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、少なき欲求の者として、欲求の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(4)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、忿激しない者として、忿激の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、忿激しない者として、忿激の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(5)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、偽装なき者として、偽装の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、偽装なき者として、偽装の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(6)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、狡猾なき者として、狡猾の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、狡猾なき者として、狡猾の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(7)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、幻惑なき者として、幻惑の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、幻惑なき者として、幻惑の調伏の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(8)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、諸々の法(教え)を傾聴する類の者として、法(事象)の感知の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、諸々の法(教え)を傾聴する類の者として、法(事象)の感知の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(9)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、静坐する者として、静坐の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、静坐する者として、静坐の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた……略……一なる状態のために、等しく転起します。
(10)比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘が、梵行を共にする者たちにとって友愛ある者として、友愛ある者の栄誉を説く者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、すなわち、また、比丘が、梵行を共にする者たちにとって友愛ある者として、友愛ある者の栄誉を説く者として、〔世に〕有るなら、この法(性質)もまた、愛慕〔の思い〕あるために、尊重〔の思い〕あるために、敬愛のために、沙門の資質のために、一なる状態のために、等しく転起します。
比丘たちよ、このような形態の比丘に、たとえ、何であれ、このように、欲求が生起しないとして、『ああ、まさに、わたしのことを、梵行を共にする者たちは、尊敬するべきであり、尊重するべきであり、思慕するべきであり、供養するべきである』と、そこで、まさに、彼のことを、梵行を共にする者たちは、まさしく、そして、尊敬し、尊重し、思慕し、供養します。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、梵行を共にする識者たちは、彼の、それらの悪しき善ならざる法(性質)が捨棄されているのを等しく随観するからです。
比丘たちよ、それは、たとえば、また、賢馬にして良馬たる馬に、たとえ、何であれ、このように、欲求が生起しないとして、『ああ、まさに、わたしのことを、人間たちは、良馬の地位に位置づけるべきであり、かつまた、良馬の食料を食べさせるべきであり、さらに、良馬の身繕いを提供するべきである』と、そこで、まさに、彼のことを、人間たちは、そして、良馬の地位に位置づけ、かつまた、良馬の食料を食べさせ、さらに、良馬の身繕いを提供します。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、識者たる人間たちは、その〔賢馬にして良馬たる馬〕の、それらの狡猾と奸計と歪曲と邪曲が捨棄されているのを等しく随観するからです。
比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、このような形態の比丘に、たとえ、何であれ、このように、欲求が生起しないとして、『ああ、まさに、わたしのことを、梵行を共にする者たちは、尊敬するべきであり、尊重するべきであり、思慕するべきであり、供養するべきである』と、そこで、まさに、彼のことを、梵行を共にする者たちは、まさしく、そして、尊敬し、尊重し、思慕し、供養します。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、梵行を共にする識者たちは、彼の、それらの悪しき善ならざる法(性質)が捨棄されているのを等しく随観するからです」と。〔以上が〕第七となる。
注釈【0】