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翻訳【14】

コーカーリカの経

そこで、まさに、コーカーリカ比丘が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、コーカーリカ比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、サーリプッタとモッガッラーナは、悪しき欲求ある者たちであり、諸々の悪しき欲求の支配に赴いた者たちです」と。「コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕いけません。コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕いけません。コーカーリカよ、サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を清信させなさい。サーリプッタとモッガッラーナは、博愛なる者たちです」と。

再度また、まさに、コーカーリカ比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、サーリプッタとモッガッラーナは、悪しき欲求ある者たちであり、諸々の悪しき欲求の支配に赴いた者たちです」と。「コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕いけません。コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕いけません。コーカーリカよ、サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を清信させなさい。サーリプッタとモッガッラーナは、博愛なる者たちです」と。

三度また、まさに、コーカーリカ比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、たとえ、何であれ、わたしにとって、世尊が、信を置ける頼りになる方であるとして、そこで、まさに、サーリプッタとモッガッラーナは、まさしく、悪しき欲求ある者たちであり、諸々の悪しき欲求の支配に赴いた者たちです」と。三度また、世尊は、コーカーリカ比丘に、こう言いました。「コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕いけません。コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕いけません。コーカーリカよ、サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を清信させなさい。サーリプッタとモッガッラーナは、博愛なる者たちです」と。

そこで、まさに、コーカーリカ比丘は、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、立ち去りました。そして、コーカーリカ比丘が立ち去ったすぐあと、〔彼の〕全身は、芥子粒ほどの諸々の吹出物で充満したものと成りました。芥子粒ほどのものと成って〔そののち〕、緑豆ほどのものと成りました。緑豆ほどのものと成って〔そののち〕、大豆ほどのものと成りました。大豆ほどのものと成って〔そののち〕、棗の核ほどのものと成りました。棗の核ほどのものと成って〔そののち〕、棗ほどのものと成りました。棗ほどのものと成って〔そののち〕、アーマラカ〔の果実〕ほどのものと成りました。アーマラカ〔の果実〕ほどのものと成って〔そののち〕、未熟のベールヴァ〔の果実〕ほどのものと成りました。未熟のベールヴァ〔の果実〕ほどのものと成って〔そののち〕、ビッラ〔の果実〕(パパイヤ)ほどのものと成りました。ビッラ〔の果実〕ほどのものと成って〔そののち〕、破れました。そして、膿が、さらに、血が、流れ出ました。彼は、まさに、諸々の芭蕉の葉のうえに、毒を飲み込んだ魚のように臥します。

そこで、まさに、独りある梵〔天〕のトゥルーは、コーカーリカ比丘のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、宙空に立って、コーカーリカ比丘に、こう言いました。「コーカーリカよ、サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を清信させなさい。サーリプッタとモッガッラーナは、博愛なる者たちです」と。「友よ、誰なのですか、〔ここに〕存する、あなたは」と。「わたしは、独りある梵〔天〕のトゥルーです」と。「友よ、まさに、あなたは、世尊によって授記された、不還たる者ではないですか。そこで、それなのに、どうして、ここにやってきたのですか。見たまえ⸺そして、どれほどまでに、この〔到来〕が、あなた〔の不還たる境遇〕に反するものであるかを」と。

そこで、まさに、独りある梵〔天〕のトゥルーは、コーカーリカ比丘に、諸々の詩偈をもって語りかけました。

〔そこで、詩偈に言う〕「まさに、人が生まれたなら、口には斧が生え、それによって、愚者は、自己を断つ⸺悪語(悪口)を話しながら。

彼が、非難するべき者を賞賛するなら、あるいは、その〔人〕が賞賛するべき者であるのに、その〔人〕を非難するなら、彼は、口(言葉)によって、〔悪しき〕賽の目を弁別する(自ら罪過を選び取る)⸺その賽の目によって、安楽を見出すことなく。

この賽の目は、〔その罪悪の報いは〕僅かばかりのもの⸺彼が、諸々の博打において、自己さえも含む一切もろともの財を失うことになるとして。彼が、善き至達者たちにたいし、意を汚すなら(悪意を抱き非難するなら)、この賽の目こそは、より大いなるものとなる。

百千(十万)の三十六のニラッブダ(数の単位・巨大数)〔年〕のあいだ、さらに、五つのアッブダ(数の単位・巨大数)〔年〕のあいだ、〔まさに〕その、〔終わりなき〕地獄に、聖者を難詰する者は近づく⸺悪しき言葉を、そして、〔悪しき〕意を、〔聖者に〕向けて〔そののち〕」と。

そこで、まさに、コーカーリカ比丘は、まさしく、その病苦によって、命を終えました。そして、命を終えたコーカーリカ比丘は、パドゥマ地獄紅蓮地獄に再生します⸺サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて。

そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティが、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくジェータ林を照らして、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、コーカーリカ比丘が、命を終えたのです。尊き方よ、そして、命を終えたコーカーリカ比丘が、パドゥマ地獄に再生したのです⸺サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて」と。梵〔天〕のサハンパティは、この〔言葉〕を言いました。この〔言葉〕を言って、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました。

そこで、まさに、世尊は、その夜が明けると、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、この夜、梵〔天〕のサハンパティが、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくジェータ林を照らして、わたしのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、わたしを敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、コーカーリカ比丘が、命を終えたのです。尊き方よ、そして、命を終えたコーカーリカ比丘が、パドゥマ地獄に再生したのです⸺サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて』と。比丘たちよ、梵〔天〕のサハンパティは、この〔言葉〕を言いました。この〔言葉〕を言って、わたしに右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました」と。

このように説かれたとき、或るひとりの比丘が、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、どれだけの長さが、パドゥマ地獄における寿命の量となるのですか」と。「比丘よ、長いのです⸺まさに、パドゥマ地獄における寿命の量は。それは、計測するに為し易くはなく、あるいは、『これなる〔数〕の、年となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、百の年となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、千の年となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、百千の年となる』と、〔計測できないのです〕」と。

「尊き方よ、また、喩えを為すことはできますか」と。「比丘よ、できます」と、世尊は言いました。「比丘よ、それは、たとえば、また、コーサラ〔国の枡目〕で二十カーリ(重さの単位・一石)の胡麻の積み荷があるとします。その〔胡麻の積み荷〕から、人が、百年が〔経過し〕百年が経過しては、一つ一つの胡麻を取り出すとします。比丘よ、よりすみやかに、まさに、その、コーサラ〔国の枡目〕で二十カーリの胡麻の積み荷は、このやり方によって、完全なる滅尽に〔至り〕、完全なる消尽に至るでしょうが、まさしく、しかし、一つのアッブダ地獄〔の寿命〕は、〔そのようなことは〕ありません。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアッブダ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのニラッブダ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のニラッブダ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのアババ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアババ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのアタタ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアタタ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのアハハ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアハハ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのクムダ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のクムダ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのソーガンディカ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のソーガンディカ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのウッパラカ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のウッパラカ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのプンダリーカ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のプンダリーカ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのパドゥマ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、また、まさに、パドゥマ地獄に、コーカーリカ比丘は再生したのです⸺サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて」と。世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者は、この〔言葉〕を言って、そこで、他にも、教師は、こう言いました。

〔そこで、詩偈に言う〕「まさに、人が生まれたなら、口には斧が生え、それによって、愚者は、自己を断つ⸺悪語を話しながら。

彼が、非難するべき者を賞賛するなら、あるいは、その〔人〕が賞賛するべき者であるのに、その〔人〕を非難するなら、彼は、口によって、〔悪しき〕賽の目を弁別する⸺その賽の目によって、安楽を見出すことなく。

この賽の目は、〔その罪悪の報いは〕僅かばかりのもの⸺彼が、諸々の博打において、自己さえも含む一切もろともの財を失うことになるとして。彼が、善き至達者たちにたいし、意を汚すなら、この賽の目こそは、より大いなるものとなる。

百千(十万)の三十六のニラッブダ〔年〕のあいだ、さらに、五つのアッブダ〔年〕のあいだ、〔まさに〕その、〔終わりなき〕地獄に、聖者を難詰する者は近づく⸺悪しき言葉を、そして、〔悪しき〕意を、〔聖者に〕向けて〔そののち〕」と。

〔以上が〕第九となる。

注釈【0】