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翻訳【14】

ウパーリの経

そこで、まさに、尊者ウパーリが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者ウパーリは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、わたしは、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用することを求めます」と。

「ウパーリよ、まさに、征服し難きは、まさに、諸々の林地や林野の辺境であり、諸々の辺地の臥坐所です。為し難きは、喜び難きは、遠離です。独りあるとき、思うに、諸々の林が、禅定を得ずにいる比丘の意を運び去るのです。ウパーリよ、或る者が、まさに、『わたしは、禅定を得ずにいるが、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用するのだ』と、このように説くなら、彼には、あるいは、沈み込むことになり、あるいは、浮き漂うことになる、という、このことが待っています。

ウパーリよ、それは、たとえば、また、大いなる湖水があるとします。そこで、あるいは、七ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の、あるいは、七ラタナ半の、巨象がやってくるとします。彼に、このような〔思いが〕存するとします。『それなら、さあ、わたしは、この湖水に入って行って、耳の洗浄の遊興に打ち興じもまたし、背の洗浄の遊興に打ち興じもまたするのだ。耳の洗浄の遊興に打ち興じもまたして、背の洗浄の遊興に打ち興じもまたして、そして、沐浴して、さらに、〔水を〕飲んで、〔湖から〕上がって、欲するところに立ち去るのだ』と。彼は、その湖水に入って行って、耳の洗浄の遊興に打ち興じもまたするでしょうし、背の洗浄の遊興に打ち興じもまたするでしょう。耳の洗浄の遊興に打ち興じもまたして、背の洗浄の遊興に打ち興じもまたして、そして、沐浴して、さらに、〔水を〕飲んで、〔湖から〕上がって、欲するところに立ち去るでしょう。それは、何を因とするのですか。ウパーリよ、大いなる自己状態(個我的あり方・身体)ある者は、深みにおいて堅地を見出すからです。

そこで、あるいは、兎が、あるいは、山猫が、やってくるとします。彼に、このような〔思いが〕存するとします。『では、わたしは何なのだ〔と言えば、四つ足の畜生である〕。では、巨象は何なのだ〔と言えば、四つ足の畜生である〕。それなら、さあ、わたしは、この湖水に入って行って、耳の洗浄の遊興に打ち興じもまたし、背の洗浄の遊興に打ち興じもまたするのだ。耳の洗浄の遊興に打ち興じもまたして、背の洗浄の遊興に打ち興じもまたして、そして、沐浴して、さらに、〔水を〕飲んで、〔湖から〕上がって、欲するところに立ち去るのだ』と。彼は、その湖水に、審慮せずして、無理やり飛び込むでしょう。彼には、あるいは、沈み込むことになり、あるいは、浮き漂うことになる、という、このことが待っています。それは、何を因とするのですか。ウパーリよ、微小なる自己状態(個我的あり方・身体)ある者は、深みにおいて堅地を見出さないからです。ウパーリよ、まさしく、このように、まさに、或る者が、『わたしは、禅定を得ずにいるが、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用するのだ』と、このように説くなら、彼には、あるいは、沈み込むことになり、あるいは、浮き漂うことになる、という、このことが待っています。

ウパーリよ、それは、たとえば、また、愚鈍で上向きに臥す年少の童子(嬰児)が、自らの糞尿で遊び戯れるようなものです。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この遊びは、全一にして円満成就の愚かなるものではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、それで、まさに、その童子は、他時にあって、〔身体の〕増大に従って、諸々の〔感官の〕機能の円熟に従って、それらが何であれ、童子用の遊具として有るなら⸺それは、すなわち、この、鉤遊びであり、楔遊びであり、逆立ち遊びであり、風車遊びであり、葉の秤遊びであり、車遊びであり、弓遊びですが⸺それらで遊びます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この遊びは、以前の遊びより、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、それで、まさに、その童子が、他時にあって、〔身体の〕増大に従って、諸々の〔感官の〕機能の円熟に従って、五つの欲望の属性五妙欲を供与され、保有する者と成り、〔それらを〕楽しみます⸺眼によって識知されるべき諸々の形態で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものによって、耳によって識知されるべき諸々の音声で……略……鼻によって識知されるべき諸々の臭気で……舌によって識知されるべき諸々の味感で……身によって識知されるべき諸々の感触で、好ましく愛らしく意に適い、愛しい形態にして欲望を伴った貪るべきものによって。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この遊びは、諸々の以前の遊びより、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、また、まさに、ここに、まさに、如来が、阿羅漢として、正等覚者として、明知と行ないの成就者として、善き至達者として、世〔の一切〕を知る者として、無上なる者として、調御されるべき人の馭者として、天〔の神々〕と人間たちの教師として、覚者として、世尊として、世に生起します。彼は、天を含み、魔を含み、梵を含み、沙門や婆羅門を含む、この世〔の人々〕に、天〔の神〕や人間を含む人々に、自ら、証知して、実証して、〔法を〕知らせます。彼は、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。

その法(教え)を、あるいは、家長が、あるいは、家長の子が、あるいは、或るどこかの家に生まれ落ちた者が、聞きます。彼は、その法(教え)を聞いて、如来にたいする信を獲得します。彼は、その信の獲得を具備した者として、かくのごとく深慮します。『在家の居住は煩わしく、塵の〔積もる〕道である。出家は、〔塵の積もらない〕野外にある。このことは、家に居住しながらでは、為し易きことではない⸺絶対的に円満成就した、絶対的に完全なる清浄の、法螺貝の磨きある〔完全無欠の〕梵行を歩むことは。それなら、さあ、わたしは、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣袈裟をまとって、家から家なきへと出家するのだ』と。

彼は、他時にあって、あるいは、少なき財物の範疇を捨棄して、あるいは、大いなる財物の範疇を捨棄して、あるいは、少なき親族の集団を捨棄して、あるいは、大いなる親族の集団を捨棄して、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣をまとって、家から家なきへと出家します。

彼は、このように出家者として〔世に〕存しながら、比丘たちの学びである正しい生き方に入定し、命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者として〔世に〕有り、棒を置いた者として、刃を置いた者として、恥を知る者として、憐憫〔の思い〕を起こした者として、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、〔世に〕住みます。

与えられていないものを取ることを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者として〔世に〕有り、与えられたものを取る者として、与えられたものを待つ者として、そこで、この、清らかな状態の自己によって〔世に〕住みます。

梵行ならざることを捨棄して、梵行者として、遠く離れて歩む者として、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者として〔世に〕有ります。

虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者として、真理を説く者として、真理に従う者として、実直の者として、頼りになる者として、世〔の人々〕にとって言葉を違えない者として、〔世に〕有ります。

中傷の言葉を捨棄して、中傷の言葉から離間した者として〔世に〕有り、こちらで聞いて〔そののち〕、こちらの者たちを分裂させるために、そちらで告知する者ではなく、あるいは、そちらで聞いて〔そののち〕、そちらの者たちを分裂させるために、こちらの者たちに告知する者ではなく、かくのごとく、あるいは、分裂した者たちを和解する者として、あるいは、融和している者たちに〔さらなる融和を〕付与する者として、和合を喜びとする者として、和合を喜ぶ者として、和合を愉悦とする者として、和合を作り為す言葉を語る者として、〔世に〕有ります。

粗暴な言葉を捨棄して、粗暴な言葉から離間した者として〔世に〕有り、すなわち、その言葉が、無欠で、耳に楽しく、愛すべきで、心臓に至り、上品で、多くの人々にとって愛らしく、多くの人々の意に適うものであるなら、そのような形態の言葉を語る者として〔世に〕有ります。

雑駁な虚論を捨棄して、雑駁な虚論から離間した者として〔世に〕有り、〔正しい〕時に説く者として、事実を説く者として、義(意味)を説く者として、法(教え)を説く者として、律を説く者として、安置する〔価値〕ある言葉を⸺〔正しい〕時に、理由を有し、結末がある、義(道理)を伴った〔言葉〕を⸺語る者として、〔世に〕有ります。

彼は、種子類や草木類を損壊することから離間した者として〔世に〕有ります。一食の者として、夜〔の食事〕を止めた者として、非時に食事することから離れた者として、〔世に〕有ります。舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物から離間した者として〔世に〕有ります。花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位から離間した者として〔世に〕有ります。高い臥具や大きな臥具〔の使用〕から離間した者として〔世に〕有ります。金や銀を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。生の穀物を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。生の肉を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。婦女や少女を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。奴婢や奴隷を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。山羊や羊を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。鶏や豚を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。象や牛や馬や騾馬を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。田畑や地所を納受することから離間した者として〔世に〕有ります。使者や使節として赴くことに従事することから離間した者として〔世に〕有ります。売買から離間した者として〔世に〕有ります。秤の詐欺や銅貨の詐欺や量の詐欺から離間した者として〔世に〕有ります。賄賂や騙しや欺きや邪行から離間した者として〔世に〕有ります。切断や殴打や結縛や追剥や強奪や強制から離間した者として〔世に〕有ります。

彼は、身体を維持するものとしての衣料によって、腹を維持するものとしての〔行乞の〕施食によって、〔それだけで〕満ち足りている者として〔世に〕有ります。彼は、まさしく、どこそこに出発するなら、まさしく、〔必要なものだけを〕受持して出発します。それは、たとえば、また、まさに、翼ある鳥が、まさしく、どこそこに飛び立つなら、まさしく、有する翼を荷として飛び立つように、まさしく、このように、比丘は、身体を維持するものとしての衣料によって、腹を維持するものとしての〔行乞の〕施食によって、〔それだけで〕満ち足りている者として〔世に〕有ります。彼は、まさしく、どこそこに出発するなら、まさしく、〔必要なものだけを〕受持して出発します。彼は、この聖なる戒の範疇を具備した者となり、内に罪過なき安楽を得知します。

彼は、眼によって、形態を見て、形相を収め取る者と成らず、付随する特徴を収め取る者と〔成り〕ません。すなわち、眼の機能が統御されず、〔世に〕住んでいると、諸々の悪しき善ならざる法(性質)である強欲〔の思い〕や失意〔の思い〕が流れ込むことから、これを事因として、その〔眼〕の統御のために実践し、眼の機能を守護し、眼の機能における統御を惹起します。耳によって、音声を聞いて……略……。鼻によって、臭気を嗅いで……略……。舌によって、味感を味わって……略……。身によって、感触と接触して……略……。意によって、法(意の対象)を識知して、形相を収め取る者と成らず、付随する特徴を収め取る者と〔成り〕ません。すなわち、意の機能が統御されず、〔世に〕住んでいると、諸々の悪しき善ならざる法(性質)である強欲〔の思い〕や失意〔の思い〕が流れ込むことから、これを事因として、その〔意〕の統御のために実践し、意の機能を守護し、意の機能における統御を惹起します。彼は、この聖なる〔感官の〕機能における統御を具備した者となり、内に汚濁なき安楽を得知します。

彼は、前進しているとき、後進しているとき、正知を為す者として〔世に〕有り、前視したとき、後視したとき、正知を為す者として〔世に〕有り、屈曲したとき、伸直したとき、正知を為す者として〔世に〕有り、大衣と鉢と衣料を保持するとき、正知を為す者として〔世に〕有り、食べたとき、飲んだとき、咀嚼したとき、味わったとき、正知を為す者として〔世に〕有り、大小便の行為のとき、正知を為す者として〔世に〕有り、赴いたとき、立ったとき、坐ったとき、眠っているとき、起きているとき、語っているとき、沈黙の状態のとき、正知を為す者として〔世に〕有ります。

彼は、そして、この聖なる戒の範疇を具備した者となり、かつまた、この聖なる〔感官の〕機能における統御を具備した者となり、さらに、この聖なる気づきと正知を具備した者となり、遠離の臥坐所である、林地に、木の根元に、山に、渓谷に、山窟に、墓場に、林野の辺境に、野外に、藁積場に、親近します。彼は、あるいは、林に赴き、あるいは、木の根元に赴き、あるいは、空家に赴き、〔瞑想のために〕坐ります⸺結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、全面に気づきを現起させて。

彼は、世における強欲〔の思い〕を捨棄して、強欲〔の思い〕が離れ去った心で〔世に〕住み、強欲〔の思い〕から心を完全に清めます。憎悪〔の思い〕と憤怒〔の思い〕を捨棄して、憎悪していない心の者として〔世に〕住み、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者となり、憎悪〔の思い〕と憤怒〔の思い〕から心を完全に清めます。〔心の〕沈滞と眠気昏沈睡眠を捨棄して、〔心の〕沈滞と眠気が離れ去った者として〔世に〕住み、光明の表象光明想ある気づきと正知の者となり、〔心の〕沈滞と眠気から心を完全に清めます。〔心の〕高揚と悔恨掉挙悪作を捨棄して、〔心が〕高揚しない者として〔世に〕住み、内に寂止した心の者となり、〔心の〕高揚と悔恨から心を完全に清めます。疑惑〔の思い〕を捨棄して、疑惑〔の思い〕を超えた者として〔世に〕住み、諸々の善なる法(性質)について懐疑なき者となり、疑惑〔の思い〕から心を完全に清めます。

(1)彼は、これらの、心に付随する〔心の〕汚れ随煩悩にして、智慧を力弱きものと為す、五つの〔修行の〕妨害五蓋を捨棄して、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて、諸々の善ならざる法(性質)から離れて、〔粗雑なる〕思考を有し有尋〔微細なる〕想念を有し有伺、遠離から生じる喜悦と安楽喜楽がある、第一の瞑想初禅第一禅を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(2)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから、内なる清信あり、心の専一なる状態あり、思考なく無尋、想念なく無伺、禅定から生じる喜悦と安楽がある、第二の瞑想第二禅を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(3)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、さらに、喜悦の離貪あることから、そして、放捨の者として〔世に〕住み、かつまた、気づきと正知の者として〔世に住み〕、そして、身体による安楽を得知します。すなわち、その者のことを、聖者たちが、『放捨の者であり、気づきある者であり、安楽の住ある者である』と告げ知らせるところの、第三の瞑想第三禅を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(4)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、かつまた、安楽の捨棄あることから、かつまた、苦痛の捨棄あることから、まさしく、過去において、悦意と失意の滅至あることから、苦でもなく楽でもない、放捨による気づきの完全なる清浄たる、第四の瞑想第四禅を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(5)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、全てにわたり、諸々の形態の表象色想の超越あることから、諸々の敵対の表象有対想:自己に対峙対立する表象)の滅至あることから、諸々の種々なる表象異想に意を為さないことから、『虚空は、終極なきものである』と、虚空無辺なる〔認識の〕場所空無辺処を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(6)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、全てにわたり、虚空無辺なる〔認識の〕場所を超越して、『識知〔作用〕は、終極なきものである』と、識知無辺なる〔認識の〕場所識無辺処を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(7)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、全てにわたり、識知無辺なる〔認識の〕場所を超越して、『何であれ、存在しない』と、無所有なる〔認識の〕場所無所有処を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(8)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、全てにわたり、無所有なる〔認識の〕場所を超越して、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所非想非非想処を成就して〔世に〕住みます。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。しかしながら、まさに、まだ、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住むことはありません。

(9)ウパーリよ、さらに、また、他に、比丘が、全てにわたり、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所を超越して、表象と感覚の止滅想受滅を成就して〔世に〕住みます。(10)そして、智慧によって見て、彼の諸々の煩悩は、完全に滅尽したものと成ります。ウパーリよ、それを、どう思いますか。まさに、この住は、諸々の以前の住よりも、かつまた、より崇高であり、かつまた、より精妙ではないですか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「ウパーリよ、まさに、わたしの弟子たちは、この法(性質)をもまた、自己のうちに正しく見ながら、諸々の林地や林野の辺境を、諸々の辺地の臥坐所を受用します。そして、自らの義(目的)に至り得た者たちとして〔世に〕住みます。ウパーリよ、さあ、あなたは、僧団のうちにあり、〔世に〕住みなさい。あなたが、僧団のうちにあり、〔世に〕住んでいると、平穏〔の住〕が有るでしょう」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【0】