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翻訳【22】

塩の瓶の経

「比丘たちよ、或る者が、このように説くとします。『そのとおり、そのとおりに、この人が行為を為すなら、そのとおり、そのとおりに、それを得知する』と。比丘たちよ、このように存しているなら、梵行の住は有ることなくあり、正しく苦しみの終極を為すための機会は覚知されません。比丘たちよ、しかしながら、或る者が、まさに、このように説くとします。『そのとおり、そのとおりに、感受されるべきものとして、この人が行為を為すなら、そのとおり、そのとおりに、その〔行為〕の報いを得知する』と。比丘たちよ、このように存しているなら、梵行の住は有り、正しく苦しみの終極を為すための機会は覚知されます。比丘たちよ、ここに、一部の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。比丘たちよ、また、ここに、一部の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導くのですか。比丘たちよ、また、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められていない者として、戒が修められていない者として、心が修められていない者として、智慧が修められていない者として、微小なる者として、僅少なる自己の者として、僅少にして苦なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成るのですか。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。比丘たちよ、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められた者として、戒が修められた者として、心が修められた者として、智慧が修められた者として、微小ならざる者として、大いなる自己の者として、無量なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

(1)比丘たちよ、それは、たとえば、また、人が、塩の瓶を、微小なる水鉢に投げ入れるとします。比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、その微小なる水は、この塩の瓶によって、飲むことができない塩〔水〕として存するでしょうか」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、この、水鉢のなかの微小なる水は、それは、この塩の瓶によって、飲むことができない塩〔水〕として存するからです」と。「比丘たちよ、それは、たとえば、また、人が、塩の瓶を、ガンガー川に投げ入れるとします。比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、そのガンガー川は、この塩の瓶によって、飲むことができない塩〔水〕として存するでしょうか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「それは、何を因とするのですか」〔と〕。「尊き方よ、なぜなら、この、ガンガー川の大いなる水の塊は、それは、この塩の瓶によって、飲むことができない塩〔水〕として存することはないからです」と。

「比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。比丘たちよ、ここに、一部の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導くのですか。比丘たちよ、また、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められていない者として、戒が修められていない者として、心が修められていない者として、智慧が修められていない者として、微小なる者として、些少なる自己の者として、些少にして苦なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成るのですか。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。比丘たちよ、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められた者として、戒が修められた者として、心が修められた者として、智慧が修められた者として、微小ならざる者として、大いなる自己の者として、無量なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

(2)比丘たちよ、ここに、一部の者は、半分の貨幣によってもまた結縛を受け、〔一枚の〕貨幣によってもまた結縛を受け、百の貨幣によってもまた結縛を受けます。比丘たちよ、ここに、一部の者は、半分の貨幣によってもまた結縛を受けず、〔一枚の〕貨幣によってもまた結縛を受けず、百の貨幣によってもまた結縛を受けません。

比丘たちよ、どのような形態の者は、半分の貨幣によってもまた結縛を受け、〔一枚の〕貨幣によってもまた結縛を受け、百の貨幣によってもまた結縛を受けるのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、貧者として、僅少なる所有の者として、僅少なる財物の者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の者は、半分の貨幣によってもまた結縛を受け、〔一枚の〕貨幣によってもまた結縛を受け、百の貨幣によってもまた結縛を受けます。

比丘たちよ、どのような形態の者は、半分の貨幣によってもまた結縛を受けず、〔一枚の〕貨幣によってもまた結縛を受けず、百の貨幣によってもまた結縛を受けないのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、富裕で、大いなる所有があり、大いなる財物がある者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の者は、半分の貨幣によってもまた結縛を受けず、〔一枚の〕貨幣によってもまた結縛を受けず、百の貨幣によってもまた結縛を受けません。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。比丘たちよ、ここに、一部の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導くのですか。比丘たちよ、また、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められていない者として、戒が修められていない者として、心が修められていない者として、智慧が修められていない者として、微小なる者として、僅少なる自己の者として、僅少にして苦なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成るのですか。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。比丘たちよ、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められた者として、戒が修められた者として、心が修められた者として、智慧が修められた者として、微小ならざる者として、大いなる自己の者として、無量なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

(3)比丘たちよ、それは、たとえば、また、あるいは、羊業者が、あるいは、羊の屠殺者が、また、一部の者を、〔彼が〕与えられていない羊を取りつつあるなら、あるいは、殺すことが〔でき〕、あるいは、結縛することが〔でき〕、あるいは、収奪することが〔でき〕、あるいは、縁あるままに為すことができ、また、一部の者を、〔彼が〕与えられていない羊を取りつつあるとして、あるいは、殺すことが〔できず〕、あるいは、結縛することが〔できず〕、あるいは、収奪することが〔できず〕、あるいは、縁あるままに為すことができないようなものです。

比丘たちよ、どのような形態の者を、〔彼が〕与えられていない羊を取りつつあるなら、あるいは、羊業者が、あるいは、羊の屠殺者が、あるいは、殺すことが〔でき〕、あるいは、結縛することが〔でき〕、あるいは、収奪することが〔でき〕、あるいは、縁あるままに為すことができるのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、貧者として、僅少なる所有の者として、僅少なる財物の者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の者を、〔彼が〕与えられていない羊を取りつつあるなら、あるいは、羊業者が、あるいは、羊の屠殺者が、あるいは、殺すことが〔でき〕、あるいは、結縛することが〔でき〕、あるいは、収奪することが〔でき〕、あるいは、縁あるままに為すことができます。

比丘たちよ、どのような形態の者を、〔彼が〕与えられていない羊を取りつつあるとして、あるいは、羊業者が、あるいは、羊の屠殺者が、あるいは、殺すことが〔できず〕、あるいは、結縛することが〔できず〕、あるいは、収奪することが〔できず〕、あるいは、縁あるままに為すことができないのですか。比丘たちよ、ここに、一部の者は、富裕で、大いなる所有があり、大いなる財物があり、あるいは、王として、あるいは、王の大臣として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の者を、〔彼が〕与えられていない羊を取りつつあるとして、あるいは、羊業者が、あるいは、羊の屠殺者が、あるいは、殺すことが〔できず〕、あるいは、結縛することが〔できず〕、あるいは、収奪することが〔できず〕、あるいは、縁あるままに為すことができません。何はともあれ、まさしく、合掌の者となり、彼に乞い求めます。『敬愛なる方よ、わたしに、あるいは、羊を、あるいは、羊〔の対価〕となる財を、与えてください』と。比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。比丘たちよ、また、ここに、一部の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導くのですか。比丘たちよ、また、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められていない者として、戒が修められていない者として、心が修められていない者として、智慧が修められていない者として、微小なる者として、僅少なる自己の者として、僅少にして苦なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、たとえ、少量のものでも、悪しき行為が為されたなら、〔まさに〕その、この者を、地獄に導きます。

比丘たちよ、どのような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成るのですか。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。比丘たちよ、ここに、一部の人は〔世に〕有ります⸺身体が修められた者として、戒が修められた者として、心が修められた者として、智慧が修められた者として、微小ならざる者として、大いなる自己の者として、無量なる住者として。比丘たちよ、このような形態の人のばあい、まさしく、そのような少量の悪しき行為が為されたとして、所見の法(現世)において感受されるべきものと成ります。〔もはや、残存物は〕微塵でさえも見られません。まさしく、多く〔の残存物〕が、どうしてあるというのでしょう。

比丘たちよ、或る者が、このように説くとします。『そのとおり、そのとおりに、この人が行為を為すなら、そのとおり、そのとおりに、それを得知する』と。比丘たちよ、このように存しているなら、梵行の住は有ることなくあり、正しく苦しみの終極を為すための機会は覚知されません。比丘たちよ、しかしながら、或る者が、まさに、このように説くとします。『そのとおり、そのとおりに、感受されるべきものとして、この人が行為を為すなら、そのとおり、そのとおりに、その〔行為〕の報いを得知する』と。比丘たちよ、このように存しているなら、梵行の住は有り、正しく苦しみの終極を為すための機会は覚知されます」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【0】