翻訳【21】
English
- Bhikkhu Sujato
- Bhikkhu Thanissaro (1998)
繁體字
- 莊春江
日本語
- Kaz Takehara (2021)
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Français
- buddha-vacana.org
- Rémy Zins (2022)
Deutsch
- Nyānatiloka Thera (1907)
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- SV theravada.ru (2013)
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Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
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සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
選鉱者
増支部経典 三集
第十 ひとかたまりの塩(一掬塩品)
101. 選鉱者
「金には粗大な汚れである砂、砂利、小石があります。
選鉱者または見習い選鉱者はそれを揺り板に入れ、洗い、すすいで、きれいにします。
それが除去されたら、金には中くらいの汚れである細かな砂利や粗めの砂があります。
選鉱者はまたそれを洗います。
それが除去されたら、金には細かな汚れである細かな砂と黒い汚物があります。
選鉱者はまたそれを洗います。
それが除去されたら、細かな金粒のみが残ります。
金細工職人または見習い金細工職人はその金を炉に入れ、職人は吹き、溶かし、精錬します。
まだ金は安定しておらず、かすも完全には除去されてないので、柔軟でなく、使える物でなく、光り輝いておらず、割れやすく完全な加工は出来ません。
金細工職人は、吹き、溶かし、精錬し続けます。
金は柔軟で使える物になり、光り輝き、割れにくく、加工が出来るようになります。
そして金細工職人は望みの装飾品、ブレスレットでもイヤリングでもネックレスでも金の花飾りでも、見事に作り上げる事が出来ます。
同じ様に、高潔な心を目指している托鉢僧侶は粗大な汚れ、つまり、体、言葉、心による悪い行為があります。真剣で有能な托鉢僧侶はこれらを捨て去り、取り除き、排除し、消し去ります。
それらが捨て去られ、除去された時、中くらいの汚れ、つまり、五感に関する思考、悪意ある思考、そして残虐な思考があります。真剣で有能な托鉢僧侶はこれらを捨て去り、取り除き、除去し、消し去ります。
それらが捨て去られ、除去された時、細かな汚れがあります。つまり、家族、国家、自負に関する思考です。真剣で有能な托鉢僧侶はこれらを捨て去り、取り除き、除去し、消し去ります。
それらが捨て去られ、除去されたら、教えに関する思考のみが残ります。
その深い瞑想は安らかでもなく、崇高でもなく、穏やかでもなく、まとまってもいないもので、強制的に抑制することで保たれています。
しかし、心が内側でじっとして、落ち着き、一つになり、深い瞑想に入る時が来ます。
その深い瞑想は安らかで、崇高で、穏やかで、まとまったものであり、強制的に抑制することで保たれていません。
彼らはいかなる場合においても、心を真実の理解に伸ばすことで実現できるものなら、どんなものでも実現する事が可能になります。
もし彼らが次のように望むとします。『たくさんの種類の超能力を巧みに操れますように。自分を複数にしてまた一人に戻ったり、現れたり消えたり、かべや城壁や山をあたかも空間のように通り抜けたり、地面からあたかも水のように飛び出たり飛び込んだり、水面上をあたかも地面のように歩いたり、座禅したまま鳥のように空を飛んだり、壮大で強力な太陽や月を手で触って撫でたり、この体を梵天界までへも操れますように』と。
彼らはいかなる場合においても、どんなものでも実現する事が可能です。
もし彼らが次のように望むとします。『清らかな超人並の聴力で、近くでも遠くでも人間と神々の両方の音を聞けますように』と。
彼らはいかなる場合においても、どんなものでも実現する事が可能です。
もし彼らが次のように望むとします。『自分の心によって、他の生けるものや人の心を熟知した結果、それを理解できますように。
貪欲な心を貪欲な心だと理解し、
貪欲でない心を貪欲でない心だと理解し、
憎しみのある心を憎しみのある心だと理解し、
憎しみのない心を憎しみのない心だと理解し、
妄想のある心を妄想のある心だと理解し、
妄想のない心を妄想のない心だと理解し、
縮んだ心を縮んだ心だと理解し、
ばらばらな心をばらばらな心だと理解し、
広い心を広い心だと理解し、
広くない心を広くない心だと理解し、
最上の心を最上の心だと理解し、
最上でない心を最上でない心だと理解し、
深い瞑想に入った心を深い瞑想に入った心だと理解し、
解放された心を解放された心だと理解し、
解放されていない心を解放されていない心だと理解できますように』と。
彼らはいかなる場合においても、どんなものでも実現する事が可能です。
もし彼らが次のように望むとします。『様々な前世を思い出しますように。つまり、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、十万の前世、無限に長い期間の世界滅亡、無限に長い期間の世界成立、無限に長い期間の世界の滅亡と成立を思い出し、「そこでは、私はこんな名前で、この氏族で、こんな姿で、こんな食べ物だった。こんな快い楽しさと痛い苦しみを感じ、このように人生が終わった。その場所で死んだ後、私は別な場所で生まれ変わった。そこでも、私はこんな名前で、この氏族で、こんな姿で、こんな食べ物だった。こんな快い楽しさと痛い苦しみを感じ、このように人生が終わった。その場所で死んだ後、私は別な場所で生まれ変わった」と思い出しますように。たくさんの前世の特徴と詳細を思い出しますように』と。
彼らはいかなる場合においても、どんなものでも実現する事が可能です。
もし彼らが次のように望むとします。『清らかな超人並の透視力で、生けるものの死と生まれ変わりを見られますように、そして生けるものが自らの行いによって劣等または優等に、美しく又は醜く、良い場所または悪い場合に生まれ変わる事を理解できますように。「これらのもの達は、体、言葉そして心による悪い行為をして、聖なる人を悪く言い、間違った物の見かたをして、間違った物の見かたに依る行いを取った。彼らは体がばらばらになる死後に喪失の地、悪い場所、下層界、地獄へ生まれ変わることになった。しかし、これらのもの達は、体、言葉そして心による良い行為をして、聖なる人を良く言い、正しい物の見かたをして、正しい物の見かたに依る行いを取った。彼らは体がばらばらになる死後に良い場所、天国へ生まれ変わることになった。」このように、清らかな超人並の透視力で、生けるものの死と生まれ変わりを見られますように、そして生けるものが自らの行いによって劣等または優等に、美しく又は醜く、良い場所または悪い場合に生まれ変わる事を理解できますように』と。
彼らはいかなる場合においても、どんなものでも実現する事が可能です。
もし彼らが次のように望むとします。『穢れのない心の解放と智慧による解放を現在の人生で実現できますように、そして、穢れを終わらせることにより、自分自身の見識で解放を実現し終えて、生きていけますように』と。
彼らはいかなる場合においても、どんなものでも実現する事が可能です。」
翻訳【21】
English
- Bhikkhu Sujato
- Bhikkhu Thanissaro (1998)
繁體字
- 莊春江
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- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
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पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
選鉱者
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