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翻訳【14】

憎悪しているものの経

一方に坐った、まさに、アナータピンディカ家長に、世尊は、こう言いました。「家長よ、心が憎悪しているときは、身体の行為もまた、憎悪しているものと成り、言葉の行為もまた、憎悪しているものと成り、意の行為もまた、憎悪しているものと成ります。彼に、憎悪している身体の生業があり、憎悪している言葉の生業があり、憎悪している意の生業があるなら、幸いなる死と成らず、幸いなる命終と〔成り〕ません。家長よ、それは、たとえば、また、屋頂ある家がだらしなく覆われたときは、屋頂もまた、害されるものと成り、諸々の垂木もまた、害されるものと成り、壁もまた、害されるものと成るようなものです。家長よ、まさしく、このように、まさに、心が憎悪しているときは、身体の行為もまた、憎悪しているものと成り、言葉の行為もまた、憎悪しているものと成り、意の行為もまた、憎悪しているものと成ります。彼に、憎悪している身体の生業があり、憎悪している言葉の生業があり、憎悪している意の生業があるなら、幸いなる死と成らず、幸いなる命終と〔成り〕ません。

家長よ、心が憎悪していないときは、身体の行為もまた、憎悪していないものと成り、言葉の行為もまた、憎悪していないものと成り、意の行為もまた、憎悪していないものと成ります。彼に、憎悪していない身体の生業があり、憎悪していない言葉の生業があり、憎悪していない意の生業があるなら、幸いなる死と成り、幸いなる命終と〔成ります〕。家長よ、それは、たとえば、また、屋頂ある家がしっかりと覆われたときは、屋頂もまた、害されないものと成り、諸々の垂木もまた、害されないものと成り、壁もまた、害されないものと成るようなものです。家長よ、まさしく、このように、まさに、心が憎悪していないときは、身体の行為もまた、憎悪していないものと成り、言葉の行為もまた、憎悪していないものと成り、意の行為もまた、憎悪していないものと成ります。彼に、憎悪していない身体の生業があり、憎悪していない言葉の生業があり、憎悪していない意の生業があるなら、幸いなる死と成り、幸いなる命終と〔成ります〕」と。〔以上が〕第八となる。

注釈【0】