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翻訳【18】

慣れ親しむべき者の経

「比丘たちよ、三つのものがあります。これらの人たちが、世において等しく見出されつつ存しています。どのようなものが、三つのものなのですか。比丘たちよ、慣れ親しむべきではなく、親近するべきではなく、奉侍するべきではない人が存在します。比丘たちよ、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべき人が存在します。比丘たちよ、尊敬して、尊重して、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべきである人が存在します。比丘たちよ、では、どのようなものが、慣れ親しむべきではなく、親近するべきではなく、奉侍するべきではない人なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、戒〔の観点〕によって、禅定〔の観点〕によって、智慧〔の観点〕によって、劣る者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の人は、憐憫〔の思い〕より他には、慈しみ〔の思い〕より他には、慣れ親しむべきではなく、親近するべきではなく、奉侍するべきではありません。

比丘たちよ、では、どのようなものが、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべき人なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、戒〔の観点〕によって、禅定〔の観点〕によって、智慧〔の観点〕によって、等しき者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の人は、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべきです。それは、何を因とするのですか。『同等の戒を具した者たちとして存しているなら、そして、戒についての議論が、わたしたちに有るであろうし、かつまた、その〔議論〕は、転起あるものとして、わたしたちに有るであろうし、さらに、その〔議論〕は、平穏のものとして、わたしたちに有るであろう。同等の禅定を具した者たちとして存しているなら、そして、禅定についての議論が、わたしたちに有るであろうし、かつまた、その〔議論〕は、転起あるものとして、わたしたちに有るであろうし、さらに、その〔議論〕は、平穏のものとして、わたしたちに有るであろう。同等の智慧を具した者たちとして存しているなら、そして、智慧についての議論が、わたしたちに有るであろうし、かつまた、その〔議論〕は、転起あるものとして、わたしたちに有るであろうし、さらに、その〔議論〕は、平穏のものとして、わたしたちに有るであろう』という〔思いが生まれるからです〕。それゆえに、このような形態の人は、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべきです。

比丘たちよ、では、どのようなものが、尊敬して、尊重して、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべき人なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、戒〔の観点〕によって、禅定〔の観点〕によって、智慧〔の観点〕によって、卓越の者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、このような形態の人は、尊敬して、尊重して、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべきです。それは、何を因とするのですか。かくのごとく、『あるいは、〔いまだ〕円満成就なき戒の範疇を、〔わたしは〕円満成就させるのだ。あるいは、〔すでに〕円満成就ある戒の範疇を、その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するのだ。あるいは、〔いまだ〕円満成就なき禅定の範疇を、〔わたしは〕円満成就させるのだ。あるいは、〔すでに〕円満成就ある禅定の範疇を、その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するのだ。あるいは、〔いまだ〕円満成就なき智慧の範疇を、〔わたしは〕円満成就させるのだ。あるいは、〔すでに〕円満成就ある智慧の範疇を、その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するのだ』という〔思いが生まれるからです〕。それゆえに、このような形態の人は、尊敬して、尊重して、慣れ親しむべきであり、親近するべきであり、奉侍するべきです。比丘たちよ、まさに、これらの三つの人たちが、世において等しく見出されつつ存しています」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「下劣な者に慣れ親しむ人は、衰退する。しかしながら、均等の者に慣れ親しむ者は、いついかなる時も退失しない。最勝の者と近しくしている者は、すみやかに上昇する。それゆえに、自己よりもより上なる者に親近するべきである」と。

〔以上が〕第六となる。

注釈【0】