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翻訳【18】

アーナンダの経

そこで、まさに、尊者アーナンダが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、いったい、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、かつまた、この、識知〔作用〕を有する身体において、わたしという作り為し我慢とわたしのものという作り為し我所からなる諸々の思量の悪習慢随眠が存在するべくもなく、かつまた、外に、一切の形相において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもない、〔そのような形態の禅定の獲得が〕。そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住んでいると、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が有ることなくあるなら、そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住むべきです」と。「アーナンダよ、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、かつまた、この、識知〔作用〕を有する身体において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもなく、かつまた、外に、一切の形相において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもない、〔そのような形態の禅定の獲得が〕。そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住んでいると、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が有ることなくあるなら、そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住むべきです」と。

「尊き方よ、また、すなわち、どのように、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在するのでしょうか。すなわち、かつまた、この、識知〔作用〕を有する身体において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもなく、かつまた、外に、一切の形相において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもない、〔そのような形態の禅定の獲得が〕。そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住んでいると、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が有ることなくあるなら、そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住むべきです」と。

「アーナンダよ、ここに、比丘に、このような〔思いが〕有ります。『これは、寂静である。これは、精妙である。すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂であり、一切の依り所の放棄であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃である』と。アーナンダよ、このように、まさに、比丘には、そのような形態の禅定の獲得が存在します。すなわち、かつまた、この、識知〔作用〕を有する身体において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもなく、かつまた、外に、一切の形相において、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が存在するべくもない、〔そのような形態の禅定の獲得が〕。そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住んでいると、わたしという作り為しとわたしのものという作り為しからなる諸々の思量の悪習が有ることなくあるなら、そして、その、〔止寂の〕心による解脱と〔観察の〕智慧による解脱を成就して〔世に〕住むべきです」と。

「アーナンダよ、また、そして、このことに関して、この〔言葉〕が、『彼岸に至るもの』(スッタニパータ第五章)におけるプンナカの問いにおいて、わたしによって語られました。

〔すなわち〕『世における彼此〔のあり方〕を究めて、彼に、動揺〔の思い〕が、世において、どこにも存在しないなら、寂静にして怒りを離れ、煩悶なく願望なき者であり、「彼は、生と老を超えた」と、〔わたしは〕説きます』」と。

〔以上が〕第二となる。

注釈【0】