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翻訳【17】

〔天の〕四大王の経

「比丘たちよ、半月〔ごと〕の第八日に、〔天の〕四大王四天王の家臣たちと侍臣たちが、この世のことを探索します。『どうであろう、多くの人間たちが、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒布薩に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しているであろうか』と。比丘たちよ、半月〔ごと〕の十四日に、〔天の〕四大王の子たちが、この世のことを探索します。『どうであろう、多くの人間たちが、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しているであろうか』と。比丘たちよ、斎戒のその日、十五〔日〕において、〔天の〕四大王が、まさしく、自ら、この世のことを探索します。『どうであろう、多くの人間たちが、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しているであろうか』と。

比丘たちよ、それで、もし、僅かな人間たちが有り、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しているなら、比丘たちよ、〔まさに〕その、このことを、〔天の〕四大王は、スダンマーの集会場善法講堂において着坐し参集している三十三天〔の神々〕たちに告げます。『敬愛なる方たちよ、まさに、僅かな人間たちが、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しています』と。比丘たちよ、それによって、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、わが意を得ない者たちと成ります。『ああ、まさに、天の身体ある者たちは遍く衰退するであろうし、阿修羅の身体ある者たちは遍く満ちるであろう』と。

比丘たちよ、それで、もし、多くの人間たちが有り、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しているなら、比丘たちよ、〔まさに〕その、このことを、〔天の〕四大王は、スダンマーの集会場において着坐し参集している三十三天〔の神々〕たちに告げます。『敬愛なる方たちよ、まさに、多くの人間たちが、人間たち〔の世〕において、母を敬う者たちとして、父を敬う者たちとして、沙門を敬う者たちとして、婆羅門を敬う者たちとして、家における最尊者を敬う者たちとして、斎戒に入り、自省し、諸々の功徳を作り為しています』と。比丘たちよ、それによって、まさに、三十三天〔の神々〕たちは、わが意を得た者たちと成ります。『ああ、まさに、天の身体ある者たちは遍く満ちるであろうし、阿修羅の身体ある者たちは遍く衰退するであろう』と。

比丘たちよ、過去の事ですが、天〔の神々〕たちのインダ(インドラ神)たる帝釈〔天〕が、三十三天〔の神々〕たちを教え導きつつ、その時に、この詩偈を語りました。

〔すなわち〕『十四日と十五日に、そして、すなわち、半月〔ごと〕の第八日に、さらに、神変月には、八つの支分が見事に備わった斎戒に入るべきである。すなわち、また、人として、わたしのような者となり、〔世に〕存するべく』と。

比丘たちよ、また、まさに、その、この詩偈は、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕によって、悪しく歌われ、善く歌われず、悪しく語られ、善く語られませんでした。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、天〔の神々〕たちのインダたる帝釈〔天〕は、貪欲を離れた者ではなく、憤怒を離れた者ではなく、迷妄を離れた者ではないからです。

比丘たちよ、しかしながら、すなわち、まさに、その比丘が、阿羅漢であり、煩悩の滅尽者であり、〔梵行の〕完成者であり、為すべきことを為した者であり、〔生の〕重荷を置いた者であり、自らの義(目的)に至り得た者であり、〔迷いの〕生存に束縛するものの完全なる滅尽者であり、正しい了知による解脱者であるなら、比丘たちよ、その比丘のばあい、まさに、このことは、言葉として善きものとなります。

〔すなわち〕『十四日と十五日に、そして、すなわち、半月〔ごと〕の第八日に、さらに、神変月には、八つの支分が見事に備わった斎戒に入るべきである。すなわち、また、人として、わたしのような者となり、〔世に〕存するべく』と。

それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、その比丘は、貪欲を離れた者であり、憤怒を離れた者であり、迷妄を離れた者であるからです」と。

〔以上が〕第七となる。

注釈【0】