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翻訳【23】

繊細なる者の経

「比丘たちよ、わたしは、繊細なる者であり、最高の繊細なる者であり、究極の繊細なる者です。比丘たちよ、まさに、わたしの父の住居地においては、造営された諸々の蓮池が有ります。比丘たちよ、まさしく、わたしを義(目的)とする、まさしく、そのかぎりにおいて、まさに、一所においては青蓮が植えられ、一所においては赤蓮が〔植えられ〕、一所においては白蓮が〔植えられます〕。比丘たちよ、また、まさに、カーシ産ならざる栴檀を、まさに、わたしは〔身に〕付けません。比丘たちよ、カーシ産の頭巾が、それが、まさに、わたしのものとして有ります⸺カーシ産の上着が、カーシ産の下着が、カーシ産の上衣が。比丘たちよ、また、まさに、夜に、昼に、白の傘蓋が、それが、まさに、わたしのために保持されます。『あるいは、寒さが、あるいは、暑さが、あるいは、草が、あるいは、塵が、あるいは、露が、わたしに触れてはならない』と。

比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしには、三つの高楼が有りました。一つは雨期用のものであり、一つは冬用のものであり、一つは夏用のものです。比丘たちよ、それで、まさに、わたしは、雨期用の高楼において、雨期の四月のあいだ、女たちだけの諸々の楽器によって楽しみながら、高楼の下に降りません。比丘たちよ、また、まさに、すなわち、他の者たちの住居地において、奴隷や労夫や下僕に、屑米が食料として与えられ、酸えた粥が添え物として〔与えられる〕ように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、わたしの父の住居地においては、奴隷や労夫や下僕に、米と肉の飯が与えられます。

比丘たちよ、このような形態の繁栄を具備し、さらに、このような形態の繊細なるものを〔具備した〕〔まさに〕その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、無聞の凡夫は、自己みずから、老の法(性質)ある者として、老を超え行くことなき者として、〔世に〕存しつつ、他者が老いたのを見て、苦悩し、自責し、忌避する⸺まさしく、自己みずから、〔自己の老を〕見過ごして。わたしもまた、まさに、老の法(性質)ある者として、老を超え行くことなき者として、〔世に〕存している。また、まさに、まさしく、そして、わたしが、老の法(性質)ある者として、老を超え行くことなき者として、〔世に〕存しつつ、他者が老い朽ちたのを見て、苦悩し、自責し、忌避するなら、このことは、わたしにとって、適切なることとして存在せず』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしが、かくのごとく深慮していると、すなわち、若さのうちにある若さの驕りは、それは、全てにあまねく捨棄されました。

『まさに、無聞の凡夫は、自己みずから、病の法(性質)ある者として、病を超え行くことなき者として、〔世に〕存しつつ、他者が病んだのを見て、苦悩し、自責し、忌避する⸺まさしく、自己みずから、〔自己の病を〕見過ごして。わたしもまた、まさに、病の法(性質)ある者として、病を超え行くことなき者として、〔世に〕存している。また、まさに、まさしく、そして、わたしが、病の法(性質)ある者として、病を超え行くことなき者として、〔世に〕存しつつ、他者が病んだのを見て、苦悩し、自責し、忌避するなら、このことは、わたしにとって、適切なることとして存在せず』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしが、かくのごとく深慮していると、すなわち、無病のうちにある無病の驕りは、それは、全てにあまねく捨棄されました。

『まさに、無聞の凡夫は、自己みずから、死の法(性質)ある者として、死を超え行くことなき者として、〔世に〕存しつつ、他者が死んだのを見て、苦悩し、自責し、忌避する⸺まさしく、自己みずから、〔自己の死を〕見過ごして。わたしもまた、まさに、死の法(性質)ある者として、死を超え行くことなき者として、〔世に〕存している。また、まさに、まさしく、そして、わたしが、死の法(性質)ある者として、死を超え行くことなき者として、〔世に〕存しつつ、他者が死んだのを見て、苦悩し、自責し、忌避するなら、このことは、わたしにとって、適切なることとして存在せず』と。比丘たちよ、〔まさに〕その、わたしが、かくのごとく深慮していると、すなわち、生命のうちにある生命の驕りは、それは、全てにあまねく捨棄されました」と。

「比丘たちよ、三つのものがあります。これらの驕りです。どのようなものが、三つのものなのですか。若さの驕りであり、無病の驕りであり、生命の驕りです。比丘たちよ、あるいは、若さの驕りに驕慢した無聞の凡夫は、身体による悪しき行ないを行ない、言葉による悪しき行ないを行ない、意による悪しき行ないを行ないます。彼は、身体による悪しき行ないを行なって、言葉による悪しき行ないを行なって、意による悪しき行ないを行なって、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。比丘たちよ、あるいは、無病の驕りに驕慢した無聞の凡夫は……略……。比丘たちよ、あるいは、生命の驕りに驕慢した無聞の凡夫は、身体による悪しき行ないを行ない、言葉による悪しき行ないを行ない、意による悪しき行ないを行ないます。彼は、身体による悪しき行ないを行なって、言葉による悪しき行ないを行なって、意による悪しき行ないを行なって、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。

比丘たちよ、あるいは、若さの驕りに驕慢した比丘は、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします(戒を捨てて還俗する)。比丘たちよ、あるいは、無病の驕りに驕慢した比丘は……略……。比丘たちよ、あるいは、生命の驕りに驕慢した比丘は、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「病の法(性質)ある者たちとして、老の法(性質)ある者たちとして、さらに、死の法(性質)ある者たちとして⸺すなわち、〔そのような〕(性質)ある者たちとして、そのように〔世に〕存しているのに、凡夫たちは、〔それを〕忌避する。

このような法(性質)ある者たちとして、命あるものたちがあるとき、もし、わたしが、それを忌避するなら、このように〔世に〕住む者である、わたしにとって、このことは、適切なることとして存在せず。

〔まさに〕その、わたしは、このように〔世に〕住みながら、依り所なき〔境地〕を法(真理)と知って、すなわち、無病のうちにあり、かつまた、若さのうちにあり、さらに、生命のうちにある、〔それらの〕驕りも⸺

一切の驕りを征服した者として〔世に〕存している。離欲のうちに平安たることを見て、〔まさに〕その、わたしには、邁進〔の思い〕が有った⸺涅槃を証見しながら。

今現在、わたしは、諸々の欲望〔の対象〕を受用することができない。梵行を行き着く所とする、不退転の者として〔世に〕有るのだ」と。

〔以上が〕第九となる。

注釈【0】