翻訳【18】
English
- Bhikkhu Bodhi (2012)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Français
- buddha-vacana.org
Deutsch
- Nyānatiloka Thera (1907)
- Sabbamitta (2019)
Español
- Isidatta (2012)
Català
- Albert Biayna Gea
Português
- Michael Beisert (2013)
Русский
- SV theravada.ru (2014)
বাংলা
- সুমঙ্গল বড়ুয়া (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
遍歴遊行者の経
そこで、まさに、或るひとりの婆羅門の遍歴遊行者が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って……略……。一方に坐った、まさに、その婆羅門の遍歴遊行者は、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、『現に見られる法(教え)』『現に見られる法(教え)』と説かれます。貴君ゴータマよ、いったい、まさに、どのようなことから、法(教え)は、現に見られるものと成るのですか⸺時を要さないもの、来て見るもの、導くもの、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものと〔成るのですか〕」と。
「婆羅門よ、貪る者は、まさに、貪欲〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、自己にたいする加害〔の思い〕のためにもまた思弁し、他者にたいする加害〔の思い〕のためにもまた思弁し、両者にたいする加害〔の思い〕のためにもまた思弁します。〔彼は〕心の属性としての苦痛と失意をもまた得知します。貪欲〔の思い〕が捨棄されたときは、まさしく、自己にたいする加害〔の思い〕のために思弁せず、他者にたいする加害〔の思い〕のために思弁せず、両者にたいする加害〔の思い〕のために思弁しません。〔彼は〕心の属性としての苦痛と失意を得知しません。
婆羅門よ、貪る者は、まさに、貪欲〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、身体による悪しき行ないを行ない、言葉による悪しき行ないを行ない、意による悪しき行ないを行ないます。貪欲〔の思い〕が捨棄されたときは、まさしく、身体による悪しき行ないを行なわず、言葉による悪しき行ないを行なわず、意による悪しき行ないを行ないません。
婆羅門よ、貪る者は、まさに、貪欲〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、自己の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知せず、他者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知せず、両者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知しません。貪欲〔の思い〕が捨棄されたときは、自己の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知し、他者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知し、両者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知します。婆羅門よ、このようにもまた、まさに、法(教え)は、現に見られるものと成ります……略……。
婆羅門よ、怒る者は、まさに、憤怒〔の思い〕に……略……。婆羅門よ、迷う者は、まさに、迷妄〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、自己にたいする加害〔の思い〕のためにもまた思弁し、他者にたいする加害〔の思い〕のためにもまた思弁し、両者にたいする加害〔の思い〕のためにもまた思弁します。〔彼は〕心の属性としての苦痛と失意をもまた得知します。迷妄〔の思い〕が捨棄されたときは、まさしく、自己にたいする加害〔の思い〕のために思弁せず、他者にたいする加害〔の思い〕のために思弁せず、両者にたいする加害〔の思い〕のために思弁しません。〔彼は〕心の属性としての苦痛と失意を得知しません。
婆羅門よ、迷う者は、まさに、迷妄〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、身体による悪しき行ないを行ない、言葉による悪しき行ないを行ない、意による悪しき行ないを行ないます。迷妄〔の思い〕が捨棄されたときは、まさしく、身体による悪しき行ないを行なわず、言葉による悪しき行ないを行なわず、意による悪しき行ないを行ないません。
婆羅門よ、迷う者は、まさに、迷妄〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、自己の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知せず、他者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知せず、両者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知しません。迷妄〔の思い〕が捨棄されたときは、自己の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知し、他者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知し、両者の義(利益)をもまた事実のとおりに覚知します。婆羅門よ、このようにもまた、まさに、法(教え)は、現に見られるものと成ります⸺時を要さないもの、来て見るもの、導くもの、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものと〔成ります〕」と。
「貴君ゴータマよ、すばらしいことです。……略……。貴君ゴータマは、わたしを、在俗信者として認めてください⸺今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。〔以上が〕第四となる。
翻訳【18】
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遍歴遊行者の経
注釈【0】