「比丘たちよ、それで、もし、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちが、このように尋ねるとします。『友よ、三つのものがあります。これらの法(性質)です。どのようなものが、三つのものなのですか。貪欲であり、憤怒であり、迷妄です。友よ、まさに、これらの三つの法(性質)があります。友よ、これらの三つの法(性質)には、どのような差異があり、どのような格差があり、どのような多様性があるのですか』と。比丘たちよ、このように尋ねられたなら、あなたたちは、それらの〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちに、どのようなものとして説き明かしますか」と。「尊き方よ、わたしたちにとって、諸々の法(教え)は、世尊を根元とするものであり、世尊を導きとするものであり、世尊を帰依所とするものです。尊き方よ、どうか、まさに、まさしく、世尊に、この語られたことの義(意味)が明白となれ(世尊みずから答えてください)。世尊の〔言葉を〕聞いて、比丘たちは、〔それを〕保持するでしょう」と。「比丘たちよ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。
「比丘たちよ、それで、もし、〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちが、このように尋ねるとします。『友よ、三つのものがあります。これらの法(性質)です。どのようなものが、三つのものなのですか。貪欲であり、憤怒であり、迷妄です。友よ、まさに、これらの三つの法(性質)があります。友よ、これらの三つの法(性質)には、どのような差異があり、どのような格差があり、どのような多様性があるのですか』と。比丘たちよ、このように尋ねられたなら、あなたたちは、それらの〔教えを〕他にする異教の遍歴遊行者たちに、このように説き明かすべきです。『友よ、まさに、貪欲は、有する罪過は少なく、遅き離貪となります。憤怒は、有する罪過は大きく、速き離貪となります。迷妄は、有する罪過は大きく、遅き離貪となります』と。
『友よ、また、何を因として、何を縁として、それによって、あるいは、〔いまだ〕生起していない貪欲が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した貪欲が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起するのですか』と。『「浄美の形相(浄相)」と説かれるべきものが存在します。その者が、浄美の形相に根源のままならずに意を為していると、あるいは、〔いまだ〕生起していない貪欲が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した貪欲が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起します。友よ、まさに、これを因として、これを縁として、それによって、あるいは、〔いまだ〕生起していない貪欲が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した貪欲が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起します』と。
『友よ、また、何を因として、何を縁として、それによって、あるいは、〔いまだ〕生起していない憤怒が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した憤怒が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起するのですか』と。『「敵対の形相(有対相:対峙対立する形相)」と説かれるべきものが存在します。その者が、敵対の形相に根源のままならずに意を為していると、あるいは、〔いまだ〕生起していない憤怒が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した憤怒が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起します。友よ、まさに、これを因として、これを縁として、それによって、あるいは、〔いまだ〕生起していない憤怒が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した憤怒が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起します』と。
『友よ、また、何を因として、何を縁として、それによって、あるいは、〔いまだ〕生起していない迷妄が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した迷妄が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起するのですか』と。『「根源のままならずに意を為すこと(非如理作意)」と説かれるべきものが存在します。その者が、根源のままならずに意を為していると、あるいは、〔いまだ〕生起していない迷妄が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した迷妄が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起します。友よ、まさに、これを因として、これを縁として、それによって、あるいは、〔いまだ〕生起していない迷妄が生起し、あるいは、〔すでに〕生起した迷妄が、より一層の状態のために、広大のために、等しく転起します』と。
『友よ、また、何を因として、何を縁として、それによって、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない貪欲が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した貪欲が捨棄されるのですか』と。『「浄美ならざる形相(不浄相)」と説かれるべきものが存在します。その者が、浄美ならざる形相に根源のままに意を為していると、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない貪欲が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した貪欲が捨棄されます。友よ、まさに、これを因として、これを縁として、それによって、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない貪欲が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した貪欲が捨棄されます』と。
『友よ、また、何を因として、何を縁として、それによって、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない憤怒が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した憤怒が捨棄されるのですか』と。『「慈愛(慈)という〔止寂の〕心による解脱」と説かれるべきものが存在します。その者が、慈愛という〔止寂の〕心による解脱に根源のままに意を為していると、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない憤怒が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した憤怒が捨棄されます。友よ、まさに、これを因として、これを縁として、それによって、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない憤怒が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した憤怒が捨棄されます』と。
『友よ、また、何を因として、何を縁として、それによって、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない迷妄が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した迷妄が捨棄されるのですか』と。『「根源のままに意を為すこと(如理作意)」と説かれるべきものが存在します。その者が、根源のままに意を為していると、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない迷妄が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した迷妄が捨棄されます。友よ、まさに、これを因として、これを縁として、それによって、まさしく、そして、〔いまだ〕生起していない迷妄が生起せず、さらに、〔すでに〕生起した迷妄が捨棄されます』」と。〔以上が〕第八となる。
注釈【0】