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翻訳【20】

斎戒の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。東の林園のミガーラマータルの高楼において。そこで、まさに、ヴィサーカー・ミガーラマータルが、斎戒のその日、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ヴィサーカー・ミガーラマータルに、世尊は、こう言いました。「ヴィサーカーよ、さて、いったい、どのようなことから、あなたはやってくるのですか⸺昼のさなかに」と。「尊き方よ、今日、わたしは、斎戒に入ります」と。

「ヴィサーカーよ、三つのものがあります。まさに、これらの斎戒です。どのようなものが、三つのものなのですか。牛飼いの斎戒であり、ニガンタ(離繋者・ジャイナ教徒)の斎戒であり、聖者の斎戒です。ヴィサーカーよ、では、どのように、牛飼いの斎戒は有るのですか。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、牛飼いが、夕刻時において、主人たちに牛たちを引き渡して、かくのごとく深慮します。『今日、まさに、牛たちは、そして、何某〔の地域〕において〔歩み〕、さらに、何某の地域において歩んだ。そして、何某〔の地域〕において〔諸々の水を飲み〕、さらに、何某の地域において諸々の水を飲んだ。明日、まさに、牛たちは、そして、何某〔の地域〕において〔歩み〕、さらに、何某の地域において歩むであろう。そして、何某の〔の地域〕において〔諸々の水を飲み〕、さらに、何某の地域において諸々の水を飲むであろう』と。ヴィサーカーよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の斎戒者は、かくのごとく深慮します。『わたしは、まさに、今日、そして、この〔固形の食料〕〔咀嚼し〕、さらに、この固形の食料を咀嚼した。そして、この〔軟らかい食料〕〔食べ〕、さらに、この軟らかい食料を食べた。明日、まさに、わたしは、そして、この〔固形の食料〕〔咀嚼し〕、さらに、この固形の食料を咀嚼するであろう。そして、この〔軟らかい食料〕〔食べ〕、さらに、この軟らかい食料を食べるであろう』と。彼は、〔まさに〕その、強欲〔の思い〕を共具した心で、昼のあいだを過ごします。ヴィサーカーよ、このように、まさに、牛飼いの斎戒は有ります。ヴィサーカーよ、このように入った、まさに、牛飼いの斎戒は、大いなる果と成らず、大いなる福利と〔成ら〕ず、大いなる光輝と〔成ら〕ず、大いなる充満と〔成り〕ません。

ヴィサーカーよ、では、どのように、ニガンタ(離繋者・ジャイナ教徒)の斎戒は有るのですか。ヴィサーカーよ、ニガンタという名の沙門の類が存在します。彼らは、弟子に、このように受持させます。『さて、人士たる者よ、さあ、あなたは、すなわち、東の方角において、百ヨージャナ由旬:長さの単位・軛牛の一日の旅程距離)の彼方にわたり、命あるものたちがいるなら、彼らにたいし、棒(武器)を置くのだ。すなわち、西の方角において、百ヨージャナの彼方にわたり、命あるものたちがいるなら、彼らにたいし、棒を置くのだ。すなわち、北の方角において、百ヨージャナの彼方にわたり、命あるものたちがいるなら、彼らにたいし、棒を置くのだ。すなわち、南の方角において、百ヨージャナの彼方にわたり、命あるものたちがいるなら、彼らにたいし、棒を置くのだ』と。かくのごとく、一部の命あるものたちへの憐憫〔の思い〕と慈しみ〔の思い〕を受持させ、一部の命あるものたちへの憐憫〔の思い〕なく慈しみ〔の思い〕なき〔あり方〕を受持させます。彼らは、斎戒のその日、弟子に、このように受持させます。『さて、人士たる者よ、さあ、あなたは、一切の衣を置いて、このように説くのだ。「わたしにあらず⸺どこにあっても、誰にとっても、何においても。そして、わたしのものは、どこにあっても、どこにおいても、何ひとつも存在しない」』と。また、まさに、彼の母と父は、〔彼のことを〕『この者は、わたしたちの子だ』と知り、彼もまた、〔母と父のことを〕『これらの者たちは、わたしの母と父だ』と知ります(明確に認知する)。また、まさに、彼の子と妻は、〔彼のことを〕『この者は、わたしの扶養者だ』と知り、彼もまた、〔子と妻のことを〕『この者は、わたしの子と妻だ』と知ります。また、まさに、彼の奴隷や労夫や下僕たちは、〔彼のことを〕『この者は、わたしの主人だ』と知り、彼もまた、〔奴隷や労夫や下僕たちのことを〕『これらの者たちは、わたしの奴隷や労夫や下僕たちだ』と知ります。かくのごとく、その時点において、真理〔の言葉〕を受持させるべきところで、その時点において、虚偽の論を受持させます。彼の、この〔言葉〕は、虚偽の論のうちにあると、〔わたしは〕説きます。彼は、その夜が明けると、諸々の財物を、まさしく、与えられていないものを遍く受益します。彼の、この〔受益〕は、与えられていないものを取ることのうちにあると、〔わたしは〕説きます。ヴィサーカーよ、このように、まさに、ニガンタの斎戒は有ります。ヴィサーカーよ、このように入った、まさに、ニガンタの斎戒は、大いなる果と成らず、大いなる福利と〔成ら〕ず、大いなる光輝と〔成ら〕ず、大いなる充満と〔成り〕ません。

ヴィサーカーよ、では、どのように、聖者の斎戒は有るのですか。ヴィサーカーよ、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、如来を随念します。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明知と行ないの成就者であり、善き至達者であり、世〔の一切〕を知る者であり、無上なる者であり、調御されるべき人の馭者であり、天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。彼が、如来を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、近しく汚れた頭には、対治によって、遍く清めることが有るようなものです。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた頭には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。かつまた、練粉を縁として、かつまた、塗料を縁として、かつまた、水を縁として、そして、人の、それに応じる努力を縁として、ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた頭には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、まさしく、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、如来を随念します。『かくのごとくもまた、彼は、世尊は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明知と行ないの成就者であり、善き至達者であり、世〔の一切〕を知る者であり、無上なる者であり、調御されるべき人の馭者であり、天〔の神々〕と人間たちの教師であり、覚者であり、世尊である』と。彼が、如来を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。ヴィサーカーよ、この者は、『聖なる弟子として、梵たる者(覚者)の斎戒に入り、梵たる者と共に共住する。そして、梵たる者を対象として、彼の心は清信し、歓喜が生起する。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄される』〔と〕説かれます。ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、法(教え)を随念します。『法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされたものであり、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものである』と。彼が、法(教え)を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、近しく汚れた身体には、対治によって、遍く清めることが有るようなものです。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた身体には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。かつまた、洗具を縁として、かつまた、塗粉を縁として、かつまた、水を縁として、そして、人の、それに応じる努力を縁として、ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた身体には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、まさしく、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、法(教え)を随念します。『法(教え)は、世尊によって見事に告げ知らされたものであり、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものである』と。彼が、法(教え)を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。この者は、『聖なる弟子として、法(教え)の斎戒に入り、法(教え)と共に共住する。そして、法(教え)を対象として、彼の心は清信し、歓喜が生起する。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄される』〔と〕説かれます。ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、僧団を随念します。『世尊の弟子の僧団は、善き実践者であり、世尊の弟子の僧団は、真っすぐな実践者であり、世尊の弟子の僧団は、正理の実践者であり、世尊の弟子の僧団は、適正の実践者であり、すなわち、この、四つの人士の組四双:預流・一来・不還・阿羅漢の各々における道にある者と果にある者の計四組)にして、八者の人士たる人八輩:預流・一来・不還・阿羅漢の各々における道にある者と果にある者の計八人)であり、〔まさに〕この、世尊の弟子の僧団は、〔供物を〕捧げられるべき者であり、〔供物を〕贈られるべき者であり、〔供物を〕施与されるべき者であり、合掌を為されるべき者であり、世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑(福田)である』と。彼が、僧団を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、近しく汚れた衣には、対治によって、遍く清めることが有るようなものです。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた衣には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。かつまた、熱を縁として、かつまた、灰汁を縁として、かつまた、牛糞を縁として、かつまた、水を縁として、そして、人の、それに応じる努力を縁として、ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた衣には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、まさしく、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、僧団を随念します。『世尊の弟子の僧団は、善き実践者であり……略……世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑である』と。彼が、僧団を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。この者は、『聖なる弟子として、僧団の斎戒に入り、僧団と共に共住する。そして、僧団を対象として、彼の心は清信し、歓喜が生起する。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄される』〔と〕説かれます。ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、自己の諸戒を随念します⸺破断ならず、切断ならず、斑紋ならず、雑色ならず、〔渇愛から〕自由で、識者たちに賞賛され、偏執されず、禅定を等しく転起させる〔諸戒〕を。彼が、戒を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、近しく汚れた鏡には、対治によって、遍く清めることが有るようなものです。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた鏡には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。かつまた、油を縁として、かつまた、灰を縁として、かつまた、刷毛を縁として、そして、人の、それに応じる努力を縁として、ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた鏡には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、まさしく、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、自己の諸戒を随念します⸺破断ならず……略……禅定を等しく転起させる〔諸戒〕を。彼が、戒を随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。この者は、『聖なる弟子として、戒の斎戒に入り、戒と共に共住する。そして、戒を対象として、彼の心は清信し、歓喜が生起する。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄される』〔と〕説かれます。ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、天神たちを随念します。『四大王天〔の神々〕たちが存在する。三十三天〔の神々〕たちが存在する。耶摩天〔の神々〕たちが存在する。兜率天〔の神々〕たちが存在する。化楽天〔の神々〕たちが存在する。他化自在天〔の神々〕たちが存在する。梵身天〔の神々〕たちが存在する。それより上なる天〔の神々〕たちが存在する。そのような形態の信を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここ(人間界)から死滅し、そこ(天界)において再生したのであり、わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の信が等しく見出される。そのような形態の戒を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここから死滅し、そこにおいて再生したのであり、わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の戒が等しく見出される。そのような形態の所聞を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここから死滅し、そこにおいて再生したのであり、わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の所聞が等しく見出される。そのような形態の施捨を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここから死滅し、そこにおいて再生したのであり、〔まさに〕わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の施捨が等しく見出される。そのような形態の智慧を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここから死滅し、そこにおいて再生したのであり、わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の智慧が等しく見出される』と。彼が、そして、自己の、さらに、それらの天神たちの、かつまた、信を、かつまた、戒を、かつまた、所聞を、かつまた、施捨を、かつまた、智慧を、随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、近しく汚れた金には、対治によって、遍く清めることが有るようなものです。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた金には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。かつまた、溶炉を縁として、かつまた、塩を縁として、かつまた、赤土を縁として、かつまた、吹筒と火箸を縁として、そして、人の、それに応じる努力を縁として、ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた金には、対治によって、遍く清めることが有ります。ヴィサーカーよ、まさしく、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、では、どのように、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有るのですか。ヴィサーカーよ、ここに、聖なる弟子は、天神たちを随念します。『四大王天〔の神々〕たちが存在する。三十三天〔の神々〕たちが……略……。それより上なる天〔の神々〕たちが存在する。そのような形態の信を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここ(人間界)から死滅し、そこ(天界)において再生したのであり、わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の信が等しく見出される。そのような形態の戒を……略……所聞を……略……施捨を……略……智慧を具備した者たちとして、それらの天神たちは、ここから死滅し、そこにおいて再生したのであり、わたしにもまた、〔まさに〕そのような形態の智慧が等しく見出される』と。彼が、そして、自己の、さらに、それらの天神たちの、かつまた、信を、かつまた、戒を、かつまた、所聞を、かつまた、施捨を、かつまた、智慧を、随念していると、心は清信し、歓喜が生起します。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄されます。この者は、『聖なる弟子として、天神たちの斎戒に入り、天神たちと共に共住する。天神たちを対象として、心は清信し、歓喜が生起する。すなわち、心の、諸々の付随する〔心の〕汚れは、それらは捨棄される』〔と〕説かれます。ヴィサーカーよ、このように、まさに、近しく汚れた心には、対治によって、遍く清めることが有ります。

ヴィサーカーよ、それで、まさに、その、聖なる弟子は、かくのごとく深慮します。『生あるかぎり、阿羅漢たちは、命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者たちとして、棒を置いた者たちとして、刃を置いた者たちとして、恥を知る者たちとして、憐憫〔の思い〕を起こした者たちとして、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者たちとして、〔世に〕住む。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者として、棒を置いた者として、刃を置いた者として、恥を知る者として、憐憫〔の思い〕を起こした者として、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、〔世に〕住むのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、与えられていないものを取ることを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者たちとして、与えられたものを取る者たちとして、与えられたものを待つ者たちとして、そこで、この、清らかな状態の自己によって〔世に〕住む。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、与えられていないものを取ることを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者として、与えられたものを取る者として、与えられたものを待つ者として、そこで、この、清らかな状態の自己によって〔世に〕住むのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、梵行(禁欲清浄行)ならざることを捨棄して、梵行者たちとして、遠く離れて歩む者たちとして、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、梵行ならざることを捨棄して、梵行者として、遠く離れて歩む者として、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者たちとして、真理を説く者たちとして、真理に従う者たちとして、実直の者たちとして、頼りになる者たちとして、世〔の人々〕にとって言葉を違えない者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者として、真理を説く者として、真理に従う者として、実直の者として、頼りになる者として、世〔の人々〕にとって、言葉を違えない者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位を捨棄して、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位から離間した者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位を捨棄して、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位から離間した者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、一食の者たちとして、夜〔の食事〕を止めた者たちとして、非時に食事することから離れた者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、一食の者として、夜〔の食事〕を止めた者として、非時に食事することから離れた者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物と花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位から離間した者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物と花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位から離間した者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう。

生あるかぎり、阿羅漢たちは、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕を捨棄して、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕から離間した者たちとして、低き臥所を営む⸺あるいは、臥床において、あるいは、草の敷物において。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕を捨棄して、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕から離間した者として、低き臥所を営むのだ⸺あるいは、臥床において、あるいは、草の敷物において。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と。

ヴィサーカーよ、このように、まさに、聖者の斎戒は有ります。ヴィサーカーよ、このように入った、まさに、聖者の斎戒は、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成り〕、大いなる光輝と〔成り〕、大いなる充満と〔成ります〕

どれだけの大いなる果と成り、どれだけの大いなる福利と〔成り〕、どれだけの大いなる光輝と〔成り〕、どれだけの大いなる充満と〔成るのですか〕。ヴィサーカーよ、それは、たとえば、また、或る者が、多大なる七つの宝ある、これらの十六の大いなる地方の⸺それは、すなわち、この、アンガ〔国〕、マガダ〔国〕、カーシ〔国〕、コーサラ〔国〕、ヴァッジー〔国〕、マッラ〔国〕、チェーティ〔国〕、ヴァンガ〔国〕、クル〔国〕、パンチャーラ〔国〕、マッチャ〔国〕、スーラセーナ〔国〕、アッサカ〔国〕、アヴァンティ〔国〕、ガンダーラ〔国〕、カンボージャ〔国〕の⸺権力者にして君主たる王権を為すも、これは、八つの支分を具備した斎戒の、十六分の一にも値しません。それは、何を因とするのですか。ヴィサーカーよ、人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです。

ヴィサーカーよ、すなわち、人間の五十年ですが、これは、四大王天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の五百年で、四大王天〔の神々〕たちの寿命の量となります。ヴィサーカーよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ここに、一部の、あるいは、女が、あるいは、男が、八つの支分を具備した斎戒に入って、身体の破壊ののち、死後において、四大王天〔の神々〕たちの同類として再生することです。ヴィサーカーよ、また、まさに、このことに関して、この〔言葉〕が語られました。『人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです』〔と〕

ヴィサーカーよ、すなわち、人間の百年ですが、これは、三十三天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の千年で、三十三天〔の神々〕たちの寿命の量となります。ヴィサーカーよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ここに、一部の、あるいは、女が、あるいは、男が、八つの支分を具備した斎戒に入って、身体の破壊ののち、死後において、三十三天〔の神々〕たちの同類として再生することです。ヴィサーカーよ、また、まさに、このことに関して、この〔言葉〕が語られました。『人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです』〔と〕

ヴィサーカーよ、すなわち、人間の二百年ですが、これは、耶摩天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の二千年で、耶摩天〔の神々〕たちの寿命の量となります。ヴィサーカーよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ここに、一部の、あるいは、女が、あるいは、男が、八つの支分を具備した斎戒に入って、身体の破壊ののち、死後において、耶摩天〔の神々〕たちの同類として再生することです。ヴィサーカーよ、また、まさに、このことに関して、この〔言葉〕が語られました。『人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです』〔と〕

ヴィサーカーよ、すなわち、人間の四百年ですが、これは、兜率天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の四千年で、兜率天〔の神々〕たちの寿命の量となります。ヴィサーカーよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ここに、一部の、あるいは、女が、あるいは、男が、八つの支分を具備した斎戒に入って、身体の破壊ののち、死後において、兜率天〔の神々〕たちの同類として再生することです。ヴィサーカーよ、また、まさに、このことに関して、この〔言葉〕が語られました。『人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです』〔と〕

ヴィサーカーよ、すなわち、人間の八百年ですが、これは、化楽天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の八千年で、化楽天〔の神々〕たちの寿命の量となります。ヴィサーカーよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ここに、一部の、あるいは、女が、あるいは、男が、八つの支分を具備した斎戒に入って、身体の破壊ののち、死後において、化楽天〔の神々〕たちの同類として再生することです。ヴィサーカーよ、また、まさに、このことに関して、この〔言葉〕が語られました。『人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです』〔と〕

ヴィサーカーよ、すなわち、人間の千六百年ですが、これは、他化自在天〔の神々〕たちの一つの夜と昼となります。その夜をもとに三十夜で、ひと月となります。その月をもとに十二月で、まる一年となります。そのまる一年をもとに天の一万六千年で、他化自在天〔の神々〕たちの寿命の量となります。ヴィサーカーよ、また、まさに、この状況は見出されます。すなわち、ここに、一部の、あるいは、女が、あるいは、男が、八つの支分を具備した斎戒に入って、身体の破壊ののち、死後において、他化自在天〔の神々〕たちの同類として再生することです。ヴィサーカーよ、また、まさに、このことに関して、この〔言葉〕が語られました。『人間の王権は、天の安楽と比較して、貧しくあるからです』」と。

〔そこで、詩偈に言う〕〔第一に〕命あるものを殺さないように。そして、〔第二に〕与えられていないものを取らないように。〔第三に〕虚偽を語らないように。そして、〔第四に〕酒飲みとして存さないように。〔第五に〕梵行ならざる淫事〔の行為〕から離れるように。〔第六に〕夜には非時の食料を食べないように。

〔第七に〕花飾を〔身に〕付けないように。そして、香を焚かないように。〔第八に〕じかに大地のうえに広げた臥床で臥すように。苦しみの終極に至る覚者によって明示された、まさに、この〔法〕を、〔賢者たちは〕『八つの支分ある斎戒』と言う。

そして、月は、さらに、日は、両者ともに、善き見た目にして、およそ、〔大地を〕照らしながら〔宙空を〕巡り行くかぎり、また、彼らは、闇を除去する者たちとして、空中を赴き、方々に遍照しながら、天空において光り輝く。

すなわち、この間に見出される財⸺真珠、宝珠、さらに、美しい瑠璃、金塊、さらに、あるいは、また、黄金、すなわち、『砂金』と説かれる金⸺

それらは、八つの支分ある斎戒の、十六分の一にすら適わない⸺月の光も、そして、一切の星の群れも。まさに、それゆえに、そして、女も、さらに、男も、戒ある者は、八つの支分を具した、この斎戒に入って、安楽を生成する諸々の功徳を作り為して、〔誰からも〕非難されることなく、天上の境位へと近しく至る」と。

〔以上が〕第十となる。

大いなるものの章が第七となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「そして、異教の者と恐怖、ヴェーナーガ〔プラ〕、サラバ、ケーサムッタの者たち、さらに、また、サールハ、議論の基盤、異教の者と根元と斎戒があり、〔章となる〕」と。

注釈【0】