翻訳【16】
English
- Bhikkhu Sujato
- Bhikkhu Thanissaro (1998)
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Nyānatiloka Thera (1907)
- Sabbamitta (2019)
Español
- Isidatta (2012)
Português
- Michael Beisert (2013)
Русский
- SV theravada.ru (2014)
বাংলা
- সুমঙ্গল বড়ুয়া (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
第一の学びの経
「比丘たちよ、この、百五十を優に超える学びの境処は、半月ごとに誦説〔の時〕がやってきます。そこにおいて、自己〔の利益〕を欲する良家の子息たちは学びます。比丘たちよ、三つのものがあります。これらの学びです。そこにおいて、この一切が、結集に赴きます。どのようなものが、三つのものなのですか。卓越の戒の学びであり、卓越の心の学びであり、卓越の智慧の学びです。比丘たちよ、まさに、これらの三つの学びがあります。そこにおいて、この一切が、結集に赴きます。
比丘たちよ、ここに、比丘が、諸戒における円満成就を為す者として、禅定においては限定して為す者として、智慧においては限定して為す者として、〔世に〕有ります。彼は、すなわち、それらが、小なるうえにも小なる学びの境処であるなら、それらを犯しもまたし出起もまたします(極めて軽罪の戒律を犯すこともある)。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、ここにおいて、〔それは〕有りえないことと、わたしによって説かれなかったからです(軽罪違犯の可能性を否定しなかった)。しかしながら、すなわち、まさに、それらが、初等の梵行たるものであり、梵行として適切なる学びの境処であるなら、そこにおいて、そして、常恒の戒ある者として有り、さらに、安立した戒ある者として〔有り〕、〔それらを〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。彼は、三つの束縛するもの(三結:有身見・疑・戒禁取)の完全なる滅尽あることから、預流たる者と成り、堕所の法(性質)なき者と〔成り〕、決定の者と〔成り〕、正覚を行き着く所とする者と〔成ります〕。
比丘たちよ、また、ここに、比丘が、諸戒における円満成就を為す者として、禅定においては限定して為す者として、智慧においては限定して為す者として、〔世に〕有ります。彼は、すなわち、それらが、小なるうえにも小なる学びの境処であるなら、それらを犯しもまたし出起もまたします。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、ここにおいて、〔それは〕有りえないことと、わたしによって説かれなかったからです。しかしながら、すなわち、まさに、それらが、初等の梵行たるものであり、梵行として適切なる学びの境処であるなら、そこにおいて、そして、常恒の戒ある者として有り、さらに、安立した戒ある者として〔有り〕、〔それらを〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。彼は、三つの束縛するものの完全なる滅尽あることから、貪欲と憤怒と迷妄の希薄なることから、一来たる者と成り、一度だけ、この世に帰り来て、苦しみの終極を為します。
比丘たちよ、また、ここに、比丘が、諸戒における円満成就を為す者として、禅定における円満成就を為す者として、智慧においては限定して為す者として、〔世に〕有ります。彼は、すなわち、それらが、小なるうえにも小なる学びの境処であるなら、それらを犯しもまたし出起もまたします。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、ここにおいて、〔それは〕有りえないことと、わたしによって説かれなかったからです。しかしながら、すなわち、まさに、それらが、初等の梵行たるものであり、梵行として適切なる学びの境処であるなら、そこにおいて、そして、常恒の戒ある者として有り、さらに、安立した戒ある者として〔有り〕、〔それらを〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。彼は、五つの下なる域に束縛するもの(五下分結:人を欲界に束縛する五つの煩悩)の完全なる滅尽あることから、化生の者と成り、そこにおいて、完全なる涅槃に到達する者と〔成り〕、その世から戻り来る法(性質)なき者と〔成ります〕。
比丘たちよ、また、ここに、比丘が、諸戒における円満成就を為す者として、禅定における円満成就を為す者として、智慧における円満成就を為す者として、〔世に〕有ります。彼は、すなわち、それらが、小なるうえにも小なる学びの境処であるなら、それらを犯しもまたし出起もまたします。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、ここにおいて、〔それは〕有りえないことと、わたしによって説かれなかったからです。しかしながら、すなわち、まさに、それらが、初等の梵行たるものであり、梵行として適切なる学びの境処であるなら、そこにおいて、そして、常恒の戒ある者として有り、さらに、安立した戒ある者として〔有り〕、〔それらを〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。彼は、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。
比丘たちよ、かくのごとく、まさに、部分を為す者は部分を達成し、円満成就を為す者は円満成就を〔達成します〕。比丘たちよ、わたしは、諸々の学びの境処を、まさしく、かくのごとく、徒労なきものと説きます」と。〔以上が〕第六となる。
翻訳【16】
English
- Bhikkhu Sujato
- Bhikkhu Thanissaro (1998)
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Deutsch
- Nyānatiloka Thera (1907)
- Sabbamitta (2019)
Español
- Isidatta (2012)
Português
- Michael Beisert (2013)
Русский
- SV theravada.ru (2014)
বাংলা
- সুমঙ্গল বড়ুয়া (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
第一の学びの経
注釈【0】