読み込み中

翻訳【18】

歩いている者の経

「比丘たちよ、もし、また、歩いている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、歩いている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、立っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、立っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、坐っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、坐っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、臥している比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、臥している比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、歩いている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、歩いている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、立っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、立っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、坐っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、坐っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます。

比丘たちよ、もし、また、臥している比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、臥している比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「もしくは、歩いていようが、立っていようが、あるいは、また、坐っているも、臥しているも、彼が、家〔の生活〕に依拠した悪しき思考(世俗の欲望に縛られた思考)を思い考えるなら⸺

彼は、邪道を実践する者であり、諸々の〔人を〕迷わすものに耽溺する者である。そのような比丘は、最上の正覚を体得することが不可能となる。

しかしながら、彼が、歩いていようが、立っていようが、あるいは、また、坐っているも、臥しているも、思考〔の働き〕を静めて、思考の寂止に喜びあるなら、彼は、そのような比丘は、最上の正覚を体得することが可能となる」と。

〔以上が〕第一となる。

注釈【0】