翻訳【18】
English
- Bhikkhu Bodhi (2012)
- Bhikkhu Sujato
繁體字
- 莊春江
日本語
- 関西パーリ語実習会 (2023)
Français
- buddha-vacana.org
- Rémy Zins (2022)
Deutsch
- Nyānatiloka Thera (1907)
- Sabbamitta (2019)
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- Isidatta (2012)
Português
- Michael Beisert (2008)
Русский
- SV theravada.ru (2014)
বাংলা
- ইন্দ্রগুপ্ত ভিক্ষু, সুমন স্থবির, বঙ্গীস ভিক্ষু, অজিত ভিক্ষু, সীবক ভিক্ষু (2018)
Việt Ngữ
- Thích Minh Châu
Bahasa Indonesia
- Indra Anggara
සිංහල
- A.P. de Zoysa
ပြန်သွားရန်
- Pitaka Myanmar Translation
ภาษาไทย
- Siam Rath
पाळिभासा (Pāli)
- Mahāsaṅgīti Tipiṭaka
参照
- Sutta Central
歩いている者の経
「比丘たちよ、もし、また、歩いている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、歩いている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、立っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、立っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、坐っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、坐っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、臥している比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受し、捨棄せず、除去せず、終息を為さず、状態なきへと至らしめないなら、比丘たちよ、臥している比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情なき者』『〔良心の〕咎めなき者』『常に連続して怠惰で精進に劣る者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、歩いている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、歩いている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、立っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、立っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、坐っている比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、坐っている比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます。
比丘たちよ、もし、また、臥している比丘に、あるいは、欲望の思考が、あるいは、憎悪の思考が、あるいは、悩害の思考が、生起するとして、もし、比丘が、それを甘受せず、捨棄し、除去し、終息を為し、状態なきへと至らしめるなら、比丘たちよ、臥している比丘はまた、このような有り方の者として、『熱情ある者』『〔良心の〕咎めある者』『常に連続して精進に励み自己を精励する者』と説かれます」と。
〔そこで、詩偈に言う〕「もしくは、歩いていようが、立っていようが、あるいは、また、坐っているも、臥しているも、彼が、家〔の生活〕に依拠した悪しき思考(世俗の欲望に縛られた思考)を思い考えるなら⸺
彼は、邪道を実践する者であり、諸々の〔人を〕迷わすものに耽溺する者である。そのような比丘は、最上の正覚を体得することが不可能となる。
しかしながら、彼が、歩いていようが、立っていようが、あるいは、また、坐っているも、臥しているも、思考〔の働き〕を静めて、思考の寂止に喜びあるなら、彼は、そのような比丘は、最上の正覚を体得することが可能となる」と。
〔以上が〕第一となる。
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注釈【0】