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翻訳【19】

比丘尼の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。尊者アーナンダは、コーサンビーに住んでいます。ゴーシタの林園において。そこで、まさに、或るひとりの比丘尼が、或るひとりの下僕に告げます。「さて、下僕よ、さあ、あなたは、尊貴なるアーナンダのおられるところに、そこへと近づいて行きなさい。近づいて行って、わたしの言葉でもって、尊貴なるアーナンダの〔両の〕足に、頭をもって敬拝しなさい。『尊き方よ、某名の比丘尼は、病苦の者であり、苦しみの者であり、激しい病の者です。彼女は、尊貴なるアーナンダの〔両の〕足に、頭をもって敬拝します』と。さらに、このように説きなさい。『尊き方よ、どうか、まさに、尊貴なるアーナンダは、比丘尼たちの在所のあるところに、その比丘尼のいるところに、そこへと近づいて行きたまえ⸺慈しみ〔の思い〕を抱いて』」と。「尊貴なる方よ、わかりました」と、まさに、その下僕は、その比丘尼に答えて、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者アーナンダを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、その下僕は、尊者アーナンダに、こう言いました。

「尊き方よ、某名の比丘尼は、病苦の者であり、苦しみの者であり、激しい病の者です。彼女は、尊貴なるアーナンダの〔両の〕足に、頭をもって敬拝します。さらに、このように説きます。『尊き方よ、どうか、まさに、尊貴なるアーナンダは、比丘尼たちの在所のあるところに、その比丘尼のいるところに、そこへと近づいて行きたまえ⸺慈しみ〔の思い〕を抱いて』」と。まさに、尊者アーナンダは、沈黙の状態をもって承諾しました。

そこで、まさに、尊者アーナンダは、着衣して鉢と衣料を取って、比丘尼たちの在所のあるところに、その比丘尼のいるところに、そこへと近づいて行きました。まさに、その比丘尼は、尊者アーナンダが、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、〔衣を〕頭まで着込んで、臥床に横たわりました。そこで、まさに、尊者アーナンダは、その比丘尼のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、尊者アーナンダは、その比丘尼に、こう言いました。

「姉妹よ、この身体は、食(動力源・エネルギー)に依拠して、食から発生したものです。食は、捨棄されるべきものです。姉妹よ、この身体は、渇愛〔の思い〕に依拠して、渇愛〔の思い〕から発生したものです。渇愛〔の思い〕は、捨棄されるべきものです。姉妹よ、この身体は、〔我想の〕思量:自我意識」に依拠して、〔我想の〕思量から発生したものです。〔我想の〕思量は、捨棄されるべきものです。姉妹よ、この身体は、淫事から発生したものです。そして、淫事については、世尊によって、橋の殲滅(悪習の打破)が説かれました。

『姉妹よ、この身体は、食に依拠して、食から発生したものです。食は、捨棄されるべきものです』と、また、まさに、かくのごとく、この〔言葉〕が説かれました。では、この〔言葉〕は、何を縁として説かれたのですか。姉妹よ、ここに、比丘が、根源のままに審慮して〔そののち〕、食を食します⸺まさしく、戯れのためではなく、驕りのためではなく、装うことのためではなく、飾ることのためではなく、この身体の、止住のために、存続のために、悩害の止息のために、梵行の資助のために、まさしく、そのかぎりにおいて。『かくのごとく、そして、〔わたしは〕古い〔空腹の〕感受を打破するであろうし、さらに、新しい〔空腹の〕感受を生起させないであろう。そして、〔生命の〕続行が、わたしに有るであろう⸺かつまた、罪過なき〔生〕が、かつまた、平穏の住が』と。彼は、他時にあって、食に依拠して、食を捨棄します。『姉妹よ、この身体は、食に依拠して、食から発生したものです。食は、捨棄されるべきものです』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました。

『姉妹よ、この身体は、渇愛〔の思い〕に依拠して、渇愛〔の思い〕から発生したものです。渇愛〔の思い〕は、捨棄されるべきものです』と、また、まさに、かくのごとく、この〔言葉〕が説かれました。では、この〔言葉〕は、何を縁として説かれたのですか。姉妹よ、ここに、比丘が、『どうやら、某名の比丘が、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むらしい』と耳にします。彼に、このような〔思いが〕有ります。『いったい、いつ、まさに、わたしもまた、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むのだろう』と。彼は、他時にあって、渇愛〔の思い〕に依拠して、渇愛〔の思い〕を捨棄します。『姉妹よ、この身体は、渇愛〔の思い〕に依拠して、渇愛〔の思い〕から発生したものです。渇愛〔の思い〕は、捨棄されるべきものです』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました。

『姉妹よ、この身体は、〔我想の〕思量に依拠して、〔我想の〕思量から発生したものです。〔我想の〕思量は、捨棄されるべきものです』と、また、まさに、かくのごとく、この〔言葉〕が説かれました。では、この〔言葉〕は、何を縁として説かれたのですか。姉妹よ、ここに、比丘が、『どうやら、某名の比丘が、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むらしい』と耳にします。彼に、このような〔思いが〕有ります。『なぜなら、まさに、その尊者が、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むのだ。また、ましてや、わたしにあっては、なおさらのこと』と。彼は、他時にあって、〔我想の〕思量に依拠して、〔我想の〕思量を捨棄します。『姉妹よ、この身体は、〔我想の〕思量に依拠して、〔我想の〕思量から発生したものです。〔我想の〕思量は、捨棄されるべきものです』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました。

姉妹よ、この身体は、淫事から発生したものです。そして、淫事については、世尊によって、橋の殲滅が説かれました」と。

そこで、まさに、その比丘尼は、臥床から出起して、一つの肩に上衣を掛けて、尊者アーナンダの〔両の〕足に、頭をもって平伏して、尊者アーナンダに、こう言いました。「尊き方よ、わたしは、過誤を犯しました⸺あたかも、愚者であるかのように、あたかも、迷乱した者であるかのように、あたかも、智者ならざる者であるかのように。すなわち、わたしは、このように為しました。尊き方よ、尊貴なるアーナンダは、〔まさに〕その、わたしの、過誤を過誤として受け容れたまえ。未来に統御あるために」と。「姉妹よ、たしかに、あなたは、過誤を犯しました⸺あたかも、愚者であるかのように、あたかも、迷乱した者であるかのように、あたかも、智者ならざる者であるかのように。すなわち、あなたは、このように為しました。姉妹よ、しかしながら、すなわち、まさに、あなたが、過誤を過誤として〔事実のとおりに〕見て、法(教え)のとおりに懺悔することから、わたしたちは、あなたの、その〔懺悔〕を受け容れます。姉妹よ、まさに、これが、聖者の律における増大なのです。すなわち、過誤を過誤として〔事実のとおりに〕見て、法(教え)のとおりに懺悔するなら、〔彼は〕未来に統御を惹起します」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【0】