「比丘たちよ、あるいは、善き至達者(善逝)が、あるいは、善き至達者の律が、世において止住しているなら、それは、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、存するでしょう。
比丘たちよ、では、どのようなものが、善き至達者なのですか。比丘たちよ、ここに、阿羅漢にして正等覚者たる如来が、阿羅漢として、正等覚者として、明知と行ないの成就者として、善き至達者として、世〔の一切〕を知る者として、無上なる者として、調御されるべき人の馭者として、天〔の神々〕と人間たちの教師として、覚者として、世尊として、世に生起します。比丘たちよ、この者は、善き至達者です。
比丘たちよ、では、どのようなものが、善き至達者の律なのですか。彼が、法(教え)を説示します⸺最初が善きものとして、中間において善きものとして、結末が善きものとして、義(意味)を有するものとして、文(文型)を有するものとして、全一にして円満成就した完全なる清浄の梵行を明示します。比丘たちよ、これは、善き至達者の律です。比丘たちよ、このように、あるいは、善き至達者が、あるいは、善き至達者の律が、世において止住しているなら、それは、多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕のために、天〔の神々〕と人間たちの、義(目的)のために、利益のために、安楽のために、存するでしょう」と。
「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却のために、消没のために、等しく転起します。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘たちが、悪しく把握された経典を、諸々の悪しく配置された句と文によって遍く学得します。比丘たちよ、悪しく配置された句と文の義(意味)もまた、悪しき教導あるものと成ります。比丘たちよ、この第一の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却のために、消没のために、等しく転起します。
比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘たちが、頑固で、諸々の〔人を〕頑固に作り為す法(性質)を具備し、忍耐がなく、〔他者の〕教示を上手に把握できない者たちとして〔世に〕有ります。比丘たちよ、この第二の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却のために、消没のために、等しく転起します。
比丘たちよ、さらに、また、他に、すなわち、それらの比丘たちが、多聞の者たちであり、聖教の精通者たちであり、法(教え)の保持者たちであり、律の保持者たちであり、要綱の保持者たちであるとして、彼らは、経典を、他者に真剣に教授しません。彼らの死後、経典は、根が断ち切られ、帰依なきものと成ります。比丘たちよ、この第三の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却のために、消没のために、等しく転起します。
比丘たちよ、さらに、また、他に、長老の比丘たちが、贅沢の者たちとして、緩慢なる者たちとして、堕落させるものにおける先行者たちとして、遠離〔の境地〕にたいし荷を置いた者たちとして、〔世に〕有り、〔いまだ〕至り得ていないものに至り得るために、〔いまだ〕到達していないものに到達するために、〔いまだ〕実証していないものを実証するために、精進に励みません。後の人々は、彼らに随従する見解を惹起します。その〔人々〕もまた、贅沢の者たちとして、緩慢なる者たちとして、堕落させるものにおける先行者たちとして、遠離〔の境地〕にたいし荷を置いた者たちとして、〔世に〕有り、〔いまだ〕至り得ていないものに至り得るために、〔いまだ〕到達していないものに到達するために、〔いまだ〕実証していないものを実証するために、精進に励みません。比丘たちよ、この第四の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却のために、消没のために、等しく転起します。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却のために、消没のために、等しく転起します」と。
「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却なきために、消没なきために、等しく転起します。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘たちが、善く把握された経典を、諸々の善く配置された句と文によって遍く学得します。比丘たちよ、善く配置された句と文の義(意味)もまた、善き教導あるものと成ります。比丘たちよ、この第一の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却なきために、消没なきために、等しく転起します。
比丘たちよ、さらに、また、他に、比丘たちが、素直で、諸々の〔人を〕素直に作り為す法(性質)を具備し、忍耐があり、〔他者の〕教示を上手に把握できる者たちとして〔世に〕有ります。比丘たちよ、この第二の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却なきために、消没なきために、等しく転起します。
比丘たちよ、さらに、また、他に、すなわち、それらの比丘たちが、多聞の者たちであり、聖教の精通者たちであり、法(教え)の保持者たちであり、律の保持者たちであり、要綱の保持者たちであるとして、彼らは、経典を、他者に真剣に教授します。彼らの死後、経典は、根が断ち切られず、帰依を有するものと成ります。比丘たちよ、この第三の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却なきために、消没なきために、等しく転起します。
比丘たちよ、さらに、また、他に、長老の比丘たちが、贅沢の者たちではなく、緩慢なる者たちではなく、堕落させるものにたいし荷を置いた者たちとして、遠離〔の境地〕における先行者たちとして、〔世に〕有り、〔いまだ〕至り得ていないものに至り得るために、〔いまだ〕到達していないものに到達するために、〔いまだ〕実証していないものを実証するために、精進に励みます。後の人々は、彼らに随従する見解を惹起します。その〔人々〕もまた、贅沢の者たちではなく、緩慢なる者たちではなく、堕落させるものにたいし荷を置いた者たちとして、遠離〔の境地〕における先行者たちとして、〔世に〕有り、〔いまだ〕至り得ていないものに至り得るために、〔いまだ〕到達していないものに到達するために、〔いまだ〕実証していないものを実証するために、精進に励みます。比丘たちよ、この第四の法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却なきために、消没なきために、等しく転起します。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)が、正なる法(教え)の、忘却なきために、消没なきために、等しく転起します」と。〔以上が〕第十となる。
機能の章が第一となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「諸々の機能、信、智慧、気づき、第五のものとして、審慮、カッパ、貪欲、遍き衰退、比丘尼があり、そして、善き至達者とともに、〔章となる〕」と。
注釈【0】