或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパにおいて。そこで、まさに、マガダ〔国〕の大臣であるヴァッサカーラ婆羅門が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、マガダ〔国〕の大臣であるヴァッサカーラ婆羅門は、世尊に、こう言いました。
「貴君ゴータマよ、いったい、まさに、正ならざる人士は、正ならざる人士を知るのでしょうか⸺『この尊き者は、正ならざる人士である』」と。「婆羅門よ、まさに、このことは、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、正ならざる人士が、正ならざる人士を知ることです⸺『この尊き者は、正ならざる人士である』」と。「貴君ゴータマよ、また、正ならざる人士は、正なる人士を知るのでしょうか⸺『この尊き者は、正なる人士である』」と。「婆羅門よ、まさに、このこともまた、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、正ならざる人士が、正なる人士を知ることです⸺『この尊き者は、正なる人士である』」と。「貴君ゴータマよ、いったい、まさに、正なる人士は、正なる人士を知るのでしょうか⸺『この尊き者は、正なる人士である』」と。「婆羅門よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、正なる人士が、正なる人士を知ることです⸺『この尊き者は、正なる人士である』」と。「貴君ゴータマよ、また、正なる人士は、正ならざる人士を知るのでしょうか⸺『この尊き者は、正ならざる人士である』」と。「婆羅門よ、まさに、この状況もまた見出されます。すなわち、正なる人士が、正ならざる人士を知ることです⸺『この尊き者は、正ならざる人士である』」と。
「貴君ゴータマよ、めったにないことです。貴君ゴータマよ、はじめてのことです。さてまた、すなわち、貴君ゴータマによって、これほどまでに、見事に語られたのは。『婆羅門よ、まさに、このことは、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、正ならざる人士が、正ならざる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正ならざる人士である」』と。『婆羅門よ、まさに、このこともまた、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、正ならざる人士が、正なる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正なる人士である」』と。『婆羅門よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、正なる人士が、正なる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正なる人士である」』と。『婆羅門よ、まさに、この状況もまた見出されます。すなわち、正なる人士が、正ならざる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正ならざる人士である」』と。
貴君ゴータマよ、これは、或る時のことです。トーデイヤ婆羅門の衆において、〔人々は〕他者への論詰〔の言葉〕を転起させます。『エーレイヤ王は、この者は、愚者である。沙門ラーマプッタにたいし、大いに清信した者となり、また、そして、沙門ラーマプッタにたいし、このような形態の最高の倒礼の所作を為す。すなわち、この、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を』と。『エーレイヤ王を守る者たちである、ヤマカ、モッガッラ、ウッガ、ナーヴィンダキン、ガンダッバ、アッギヴェッサは、これらの者たちもまた、愚者たちである。彼らは、沙門ラーマプッタにたいし、大いに清信した者たちとなり、また、そして、沙門ラーマプッタにたいし、このような形態の最高の倒礼の所作を為す。すなわち、この、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を』と。彼らを、まさに、トーデイヤ婆羅門は、この理趣(方法・道理)によって導きます。『諸君よ、それを、どう思いますか。エーレイヤ王は、賢者であり、為すべきことやしっかり為すべきことについて、言うべきことやしっかり言うべきことについて、より十分なる義(意味)を見る者たちよりも、より十分なる義(意味)を見る者ですか』と。『君よ、そのとおりです。エーレイヤ王は、賢者であり、為すべきことやしっかり為すべきことについて、言うべきことやしっかり言うべきことについて、より十分なる義(意味)を見る者たちよりも、より十分なる義(意味)を見る者です』と。
『君よ、しかしながら、すなわち、まさに、賢者であり、為すべきことやしっかり為すべきことについて、言うべきことやしっかり言うべきことについて、より十分なる義(意味)を見る者である、エーレイヤ王よりも、沙門ラーマプッタは、より賢者であり、より十分なる義(意味)を見る者であることから、それゆえに、エーレイヤ王は、沙門ラーマプッタにたいし、大いに清信した者となり、また、そして、沙門ラーマプッタにたいし、このような形態の最高の倒礼の所作を為します。すなわち、この、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を。
諸君よ、それを、どう思いますか。エーレイヤ王を守る者たちである、ヤマカ、モッガッラ、ウッガ、ナーヴィンダキン、ガンダッバ、アッギヴェッサは、賢者たちであり、為すべきことやしっかり為すべきことについて、言うべきことやしっかり言うべきことについて、より十分なる義(意味)を見る者たちよりも、より十分なる義(意味)を見る者たちですか』と。『君よ、そのとおりです。エーレイヤ王を守る者たちである、ヤマカ、モッガッラ、ウッガ、ナーヴィンダキン、ガンダッバ、アッギヴェッサは、賢者たちであり、為すべきことやしっかり為すべきことについて、言うべきことやしっかり言うべきことについて、より十分なる義(意味)を見る者たちよりも、より十分なる義(意味)を見る者たちです』と。
『君よ、しかしながら、すなわち、まさに、賢者たちであり、為すべきことやしっかり為すべきことについて、言うべきことやしっかり言うべきことについて、より十分なる義(意味)を見る者たちである、エーレイヤ王を守る者たちよりも、沙門ラーマプッタは、より賢者であり、より十分なる義(意味)を見る者であることから、それゆえに、エーレイヤ王を守る者たちは、沙門ラーマプッタにたいし、大いに清信した者たちとなり、また、そして、沙門ラーマプッタにたいし、このような形態の最高の倒礼の所作を為します。すなわち、この、敬拝を、奉仕を、合掌の行為を、和敬の行為を』と。
貴君ゴータマよ、めったにないことです。貴君ゴータマよ、はじめてのことです。さてまた、すなわち、貴君ゴータマによって、これほどまでに、見事に語られたのは。『婆羅門よ、まさに、このことは、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、正ならざる人士が、正ならざる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正ならざる人士である」』と。『婆羅門よ、まさに、このこともまた、状況なきことであり、機会なきことです。すなわち、正ならざる人士が、正なる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正なる人士である」』と。『婆羅門よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、正なる人士が、正なる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正なる人士である」』と。『婆羅門よ、まさに、この状況もまた見出されます。すなわち、正なる人士が、正ならざる人士を知ることです⸺「この尊き者は、正ならざる人士である」』と。貴君ゴータマよ、では、さあ、今や、わたしたちは赴きます。わたしたちは、多くの義務があり、多くの用事があるのです」と。「婆羅門よ、今が、そのための時と、あなたが思うのなら〔思いのままに〕」と。そこで、まさに、マガダ〔国〕の大臣であるヴァッサカーラ婆羅門は、世尊の語ったことを大いに喜んで、随喜して、坐から立ち上がって、立ち去った、ということです。〔以上が〕第七となる。
注釈【0】