或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。東の林園のミガーラマータルの高楼(鹿母講堂)において。また、まさに、その時点にあって、世尊は、斎戒(布薩)のその日、比丘の僧団に取り囲まれ、坐った状態でおられます。そこで、まさに、世尊は、沈黙の状態となったうえにも沈黙の状態となった比丘の僧団を顧みて、比丘たちに告げました。
「比丘たちよ、虚論なきは、この衆です。比丘たちよ、虚論なくある、この衆は、清浄で、真髄において確立しています。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この比丘の僧団はあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この衆はあります。そのような形態の衆は、世において会見するにもまた得難くあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この比丘の僧団はあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この衆はあります。そのような形態の衆は、〔供物を〕捧げられるべきであり、〔供物を〕贈られるべきであり、〔供物を〕施与されるべきであり、合掌を為されるべきであり、世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑です。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この比丘の僧団はあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この衆はあります。そのような形態の衆においては、少なく施されたものが多くのものと成り、多く施されたものがより多くのものと〔成ります〕。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この比丘の僧団はあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この衆はあります。そのような形態の衆と会見するためには、幾数ヨージャナ(由旬:長さの単位・軛牛の一日の旅程距離)であろうが、肩袋をかけてであろうが、赴くにもまた十分なるものがあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この比丘の僧団はあります。比丘たちよ、そのような形態のものとして、この衆はあります。
比丘たちよ、この比丘の僧団においては、天に至り得た者たちとして〔世に〕住む、〔そのような〕比丘たちが存在します。比丘たちよ、この比丘の僧団においては、梵に至り得た者たちとして〔世に〕住む、〔そのような〕比丘たちが存在します。比丘たちよ、この比丘の僧団においては、不動に至り得た者たちとして〔世に〕住む、〔そのような〕比丘たちが存在します。比丘たちよ、この比丘の僧団においては、聖なるものに至り得た者たちとして〔世に〕住む、〔そのような〕比丘たちが存在します。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、天に至り得た者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて……略……第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから……略……第二の瞑想を……略……第三の瞑想を……略……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、天に至り得た者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、梵に至り得た者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、慈愛〔の思い〕を共具した心で、一つの方角を充満して、〔世に〕住みます。そのように、第二〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。そのように、第三〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。そのように、第四〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。かくのごとく、上に、下に、横に、一切所に、一切において自己たることから、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく憎悪〔の思い〕なく慈愛〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みます。慈悲〔の思い〕を共具した心で……略……。歓喜〔の思い〕を共具した心で……略……。放捨〔の思い〕を共具した心で、一つの方角を充満して、〔世に〕住みます。そのように、第二〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。そのように、第三〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。そのように、第四〔の方角〕を〔充満して、世に住みます〕。かくのごとく、上に、下に、横に、一切所に、一切において自己たることから、一切すべての世を、広大で莫大で無量にして怨念〔の思い〕なく憎悪〔の思い〕なく放捨〔の思い〕を共具した心で充満して、〔世に〕住みます。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、梵に至り得た者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、不動に至り得た者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、全てにわたり、諸々の形態の表象(色想)の超越あることから、諸々の敵対の表象(有対想:自己に対峙対立する表象)の滅至あることから、諸々の種々なる表象(異想)に意を為さないことから、『虚空は、終極なきものである』と、虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処)を成就して〔世に〕住みます。全てにわたり、虚空無辺なる〔認識の〕場所を超越して、『識知〔作用〕は、終極なきものである』と、識知無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処)を成就して〔世に〕住みます。全てにわたり、識知無辺なる〔認識の〕場所を超越して、『何であれ、存在しない』と、無所有なる〔認識の〕場所(無所有処)を成就して〔世に〕住みます。全てにわたり、無所有なる〔認識の〕場所を超越して、表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処)を成就して〔世に〕住みます。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、不動に至り得た者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、聖なるものに至り得た者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、『これは、苦しみである』と、事実のとおりに覚知し……略……『これは、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道である』と、事実のとおりに覚知します。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、聖なるものに至り得た者と成ります」と。〔以上が〕第十となる。
婆羅門の章が第四となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「戦士、保証人と聞かれたもの、恐怖なき〔境地〕があり、第五のものとして、婆羅門の真理とともに、〔話の〕進め方とヴァッサカーラ、ウパカ、そして、実証、斎戒があり、〔章となる〕」と。
注釈【0】