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翻訳【15】

バッディヤの経

或る時のことです。世尊は、ヴェーサーリーに住んでおられます。マハー林の楼閣堂重閣講堂において。そこで、まさに、リッチャヴィ〔族〕のバッディヤが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、リッチャヴィ〔族〕のバッディヤは、世尊に、こう言いました。

「尊き方よ、このことを、わたしは聞きました。『幻術師の沙門ゴータマは、誘引の幻術を知っている。それによって、〔教えを〕他にする異教の者たちの弟子たちを転向させるのだ』と。尊き方よ、すなわち、『幻術師の沙門ゴータマは、誘引の幻術を知っている。それによって、〔教えを〕他にする異教の者たちの弟子たちを転向させるのだ』と、このように言った、それらの者たちですが、尊き方よ、どうでしょう、彼らは、世尊の説いたことを説く者たちですか。かつまた、世尊を事実ならざることによって誹謗していないですか。さらに、法(教え)を法(教え)のままに説き明かしていますか。さてまた、何であれ、法(真理)を共にする、論への批判があり、難詰されるべき状況がやってくることはないですか。尊き方よ、まさに、わたしたちは、世尊を誹謗することを欲する者たちにあらず」と。

「バッディヤよ、さあ、あなたたちは、聴聞によってではなく、相伝によってではなく、伝聞によってではなく、典籍の成就(保持)によってではなく、考慮を因としてではなく、推論を因としてではなく、行相による思索(考証)によってではなく、見解の納得による受認(受諾)によってではなく、有能なる形態あること(外見)によってではなく、『わたしたちの導師たる沙門である』ということではなく、バッディヤよ、すなわち、あなたたちが、まさしく、自己みずから、『これらの法(性質)は、善ならざるものである。これらの法(性質)は、罪過を有するものである。これらの法(性質)は、識者たちに難詰されるものである。これらの法(性質)は、〔それらが〕完結され受持されたなら、利益ならざるもののために、苦痛のために、等しく転起する』と知るとき、バッディヤよ、そこで、あなたたちは、〔それらを〕捨棄するのです。

バッディヤよ、それを、どう思いますか。人の内に、貪欲が生起しつつ生起するなら、あるいは、利益のためになりますか、あるいは、利益ならざるもののためになりますか」と。「尊き方よ、利益ならざるもののためになります」〔と〕。「バッディヤよ、また、貪る者は、この人士たる人は、貪欲〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、命あるものをもまた殺し、与えられていないものをもまた取り、他者の妻のもとにもまた赴き(不倫をする)、虚偽をもまた話し、他者をもまた、そのとおりそのままに受持させます。すなわち、彼にとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ります」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「バッディヤよ、それを、どう思いますか。人の内に、憤怒が……略……。人の内に、迷妄が……略……。人の内に、激昂が生起しつつ生起するなら、あるいは、利益のためになりますか、あるいは、利益ならざるもののためになりますか」と。「尊き方よ、利益ならざるもののためになります」〔と〕。「バッディヤよ、また、激昂する者は、この人士たる人は、激昂〔の思い〕に征服された者であり、心が完全に奪い去られた者であり、命あるものをもまた殺し、与えられていないものをもまた取り、他者の妻のもとにもまた赴き、虚偽をもまた話し、他者をもまた、そのとおりそのままに受持させます。すなわち、彼にとって、長夜にわたり、利益ならざるもののために〔成り〕、苦痛のために成ります」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「バッディヤよ、それを、どう思いますか。これらの法(性質)は、あるいは、善なるものですか、あるいは、善ならざるものですか」と。「尊き方よ、善ならざるものです」〔と〕。「あるいは、罪過を有するものですか、あるいは、罪過なきものですか」と。「尊き方よ、罪過を有するものです」〔と〕。「あるいは、識者たちに難詰されるものですか、あるいは、識者たちに賞賛されるものですか」と。「尊き方よ、識者たちに難詰されるものです」〔と〕。「〔それらが〕完結され受持されたなら、利益ならざるもののために、苦痛のために、等しく転起しますか、あるいは、〔そのようなことは〕ないですか。あるいは、ここにおいて、どのような〔思いが〕有りますか」と。「尊き方よ、〔それらが〕完結され受持されたなら、利益ならざるもののために、苦痛のために、等しく転起します。かくのごとく、ここにおいて、わたしたちに、このような〔思いが〕有ります」と。

「バッディヤよ、かくのごとく、まさに、すなわち、〔わたしたちが〕言った、その〔言葉〕⸺『バッディヤよ、さあ、あなたたちは、聴聞によってではなく、相伝によってではなく、伝聞によってではなく、典籍の成就によってではなく、考慮を因としてではなく、推論を因としてではなく、行相による思索によってではなく、見解の納得による受認によってではなく、有能なる形態あることによってではなく、「わたしたちの導師たる沙門である」ということではなく、バッディヤよ、すなわち、あなたたちが、まさしく、自己みずから、「これらの法(性質)は、善ならざるものである。これらの法(性質)は、罪過を有するものである。これらの法(性質)は、識者たちに難詰されるものである。これらの法(性質)は、〔それらが〕完結され受持されたなら、利益ならざるもののために、苦痛のために、等しく転起する」と知るとき、バッディヤよ、そこで、あなたたちは、〔それらを〕捨棄するのです』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました。

バッディヤよ、さあ、あなたたちは、聴聞によってではなく、相伝によってではなく、伝聞によってではなく、典籍の成就によってではなく、考慮を因としてではなく、推論を因としてではなく、行相による思索によってではなく、見解の納得による受認によってではなく、有能なる形態あることによってではなく、『わたしたちの導師たる沙門である』ということではなく、バッディヤよ、すなわち、あなたたちが、まさしく、自己みずから、『これらの法(性質)は、善なるものである。これらの法(性質)は、罪過なきものである。これらの法(性質)は、識者たちに賞賛されるべきものである。これらの法(性質)は、〔それらが〕完結され受持されたなら、利益のために、安楽のために、等しく転起する』と知るとき、バッディヤよ、そこで、あなたたちは、〔それらを〕受持して〔世に〕住むのです。

バッディヤよ、それを、どう思いますか。人の内に、貪欲なき〔あり方〕無貪が生起しつつ生起するなら、あるいは、利益のためになりますか、あるいは、利益ならざるもののためになりますか」と。「尊き方よ、利益のためになります」〔と〕。「バッディヤよ、また、貪らない者は、この人士たる人は、貪欲〔の思い〕に征服されない者であり、心が完全に奪い去られない者であり、まさしく、命あるものを殺さず、与えられていないものを取らず、他者の妻のもとに赴かず、虚偽を話さず、他者をもまた、そのとおりそのままに受持させます。すなわち、彼にとって、長夜にわたり、利益のために〔成り〕、安楽のために成ります」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「バッディヤよ、それを、どう思いますか。人の内に、憤怒なき〔あり方〕無瞋が生起しつつ生起するなら……略……人の内に、迷妄なき〔あり方〕無痴が生起しつつ生起するなら……略……人の内に、激昂なき〔あり方〕が生起しつつ生起するなら、あるいは、利益のためになりますか、あるいは、利益ならざるもののためになりますか」と。「尊き方よ、利益のためになります」〔と〕。「バッディヤよ、また、激昂しない者は、この人士たる人は、激昂〔の思い〕に征服されない者であり、心が完全に奪い去られない者であり、まさしく、命あるものを殺さず、与えられていないものを取らず、他者の妻のもとに赴かず、虚偽を話さず、他者をもまた、そのとおりそのままに受持させます。すなわち、彼にとって、長夜にわたり、利益のために〔成り〕、安楽のために成ります」と。「尊き方よ、そのとおりです」〔と〕

「バッディヤよ、それを、どう思いますか。これらの法(性質)は、あるいは、善なるものですか、あるいは、善ならざるものですか」と。「尊き方よ、善なるものです」〔と〕。「あるいは、罪過を有するものですか、あるいは、罪過なきものですか」と。「尊き方よ、罪過なきものです」〔と〕。「あるいは、識者たちに難詰されるものですか、あるいは、識者たちに賞賛されるものですか」と。「尊き方よ、識者たちに賞賛されるものです」〔と〕。「〔それらが〕完結され受持されたなら、利益のために、安楽のために、等しく転起しますか、あるいは、〔そのようなことは〕ないですか。あるいは、ここにおいて、どのような〔思いが〕有りますか」と。「尊き方よ、〔それらが〕完結され受持されたなら、利益のために、安楽のために、等しく転起します。かくのごとく、ここにおいて、わたしたちに、このような〔思いが〕有ります」と。

「バッディヤよ、かくのごとく、まさに、すなわち、〔わたしたちが〕言った、その〔言葉〕⸺『バッディヤよ、さあ、あなたたちは、聴聞によってではなく、相伝によってではなく、伝聞によってではなく、典籍の成就によってではなく、考慮を因としてではなく、推論を因としてではなく、行相による思索によってではなく、見解の納得による受認によってではなく、有能なる形態あることによってではなく、「わたしたちの導師たる沙門である」ということではなく、バッディヤよ、すなわち、あなたたちが、まさしく、自己みずから、「これらの法(性質)は、善なるものである。これらの法(性質)は、罪過なきものである。これらの法(性質)は、識者たちに賞賛されるべきものである。これらの法(性質)は、〔それらが〕完結され受持されたなら、利益のために、安楽のために、等しく転起する」と知るとき、バッディヤよ、そこで、あなたたちは、〔それらを〕受持して〔世に〕住むのです』と、かくのごとく、〔わたしによって〕説かれた、すなわち、その〔言葉〕ですが、この〔言葉〕は、これを縁として説かれました。

バッディヤよ、すなわち、まさに、彼らが、世において、正なる人士たちとして存しているなら、彼らは、弟子を、このように受持させます。『さて、人士たる者よ、さあ、あなたは、貪欲〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住むのです。貪欲〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住んでいるなら、貪欲〔の思い〕から生じる行為を為さないでしょう⸺身体によって、言葉によって、意によって。憤怒〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住むのです。憤怒〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住んでいるなら、憤怒〔の思い〕から生じる行為を為さないでしょう⸺身体によって、言葉によって、意によって。迷妄〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住むのです。迷妄〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住んでいるなら、迷妄〔の思い〕から生じる行為を為さないでしょう⸺身体によって、言葉によって、意によって。激昂〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住むのです。激昂〔の思い〕を取り除いて〔世に〕住んでいるなら、激昂〔の思い〕から生じる行為を為さないでしょう⸺身体によって、言葉によって、意によって』」と。

このように説かれたとき、リッチャヴィ〔族〕のバッディヤは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、すばらしいことです。……略……。世尊は、わたしを、在俗信者として認めてください⸺今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。

「バッディヤよ、さて、いったい、あなたに、わたしは、このように言いましたか。『バッディヤよ、さあ、あなたは、わたしの弟子と成りなさい。わたしは、教師と成りましょう』」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「バッディヤよ、このように説く者であり、このように告げ知らせる者である、まさに、わたしを、或る沙門や婆羅門たちは、正しからざることによって〔誹謗し〕、虚妄なるまま虚偽なるままに、事実ならざることによって誹謗します。『幻術師の沙門ゴータマは、誘引の幻術を知っている。それによって、〔教えを〕他にする異教の者たちの弟子たちを転向させるのだ』」と。「尊き方よ、幸いなるものは、誘引の幻術です。尊き方よ、善きものなるは、誘引の幻術です。尊き方よ、わたしの愛しい親族や血縁たちが、この誘引によって転向するなら、わたしの愛しい親族や血縁たちにとってもまた、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう。尊き方よ、もし、また、全ての士族たちが、この誘引によって転向するなら、全ての士族たちにとってもまた、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう。尊き方よ、もし、また、全ての婆羅門たちが……庶民たちが……奴隷たちが、この誘引によって転向するなら、全ての奴隷たちにとってもまた、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう」と。

「バッディヤよ、このように、このことはあります。バッディヤよ、このように、このことはあります。バッディヤよ、もし、また、全ての士族たちが、この誘引によって転向するなら、善ならざる法(性質)の捨棄あることから、善なる法(性質)の成就あることから、全ての士族たちにとってもまた、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう。バッディヤよ、もし、また、全ての婆羅門たちが……庶民たちが……奴隷たちが、この誘引によって転向するなら、善ならざる法(性質)の捨棄あることから、善なる法(性質)の成就あることから、全ての奴隷たちにとってもまた、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう。バッディヤよ、もし、また、天を含み、魔を含み、梵を含み、沙門や婆羅門を含む、世〔の人々〕が、天〔の神〕や人間を含む人々が、この誘引によって転向するなら、善ならざる法(性質)の捨棄あることから、善なる法(性質)の成就あることから、天を含み、魔を含み、梵を含み、沙門や婆羅門を含む、世〔の人々〕にとってもまた、天〔の神〕や人間を含む人々にとっても、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう。バッディヤよ、もし、また、これらの大いなるサーラ〔樹〕たちが、この誘引によって転向するなら、善ならざる法(性質)の捨棄あることから、善なる法(性質)の成就あることから、これらの大いなるサーラ〔樹〕たちにとってもまた、長夜にわたり、利益のために〔存し〕、安楽のために存するでしょう。人間たる生類のばあいは、また、何の論があるというのでしょう」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【0】