或る時のことです。尊者アーナンダは、コーリヤ〔国〕に住んでいます。コーリヤ〔国〕には、サームガという名の町があります。そこで、まさに、大勢のサームガ〔村〕のコーリヤ〔族〕の子息たちが、尊者アーナンダのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者アーナンダを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらのサームガ〔村〕のコーリヤ〔族〕の子息たちに、尊者アーナンダは、こう言いました。
「ブヤッガパッジャ(コーリヤの別名)〔族〕の者たちよ、四つのものがあります。これらの完全なる清浄のための精励の支分が、彼によって、〔あるがままに〕知り見る阿羅漢にして正等覚者たる世尊によって、正しく告げ知らされました⸺有情たちの清浄のために、諸々の憂いと嘆きの超越のために、諸々の苦痛と失意の滅至のために、正理の到達のために、涅槃の実証のために。どのようなものが、四つのものなのですか。戒の完全なる清浄のための精励の支分であり、心の完全なる清浄のための精励の支分であり、見解の完全なる清浄のための精励の支分であり、解脱の完全なる清浄のための精励の支分です。
ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、では、どのようなものが、戒の完全なる清浄のための精励の支分なのですか。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、ここに、比丘が、戒ある者として〔世に〕有り……略……〔戒を〕受持して、諸々の学びの境処において学びます。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、戒の完全なる清浄と説かれます。『かくのごとく、このような形態の戒の完全なる清浄を、あるいは、〔いまだ〕円満成就なきものを、〔わたしは〕円満成就させるであろうし、あるいは、〔すでに〕円満成就あるものを、その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するであろう』と、すなわち、そこにおいて、かつまた、欲〔の思い〕(意欲)があり、かつまた、努力があり、かつまた、邁進があり、かつまた、勤勇があり、かつまた、反転なき〔精励〕があり、かつまた、気づきがあり、かつまた、正知があるなら、ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、戒の完全なる清浄のための精励の支分と説かれます。
ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、では、どのようなものが、心の完全なる清浄のための精励の支分なのですか。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、ここに、比丘が、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて……略……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、心の完全なる清浄と説かれます。『かくのごとく、このような形態の心の完全なる清浄を、あるいは、〔いまだ〕円満成就なきものを、〔わたしは〕円満成就させるであろうし、あるいは、〔すでに〕円満成就あるものを、その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するであろう』と、すなわち、そこにおいて、かつまた、欲〔の思い〕があり、かつまた、努力があり、かつまた、邁進があり、かつまた、勤勇があり、かつまた、反転なき〔精励〕があり、かつまた、気づきがあり、かつまた、正知があるなら、ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、心の完全なる清浄のための精励の支分と説かれます。
ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、では、どのようなものが、見解の完全なる清浄のための精励の支分なのですか。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、ここに、比丘が、『これは、苦しみである』と、事実のとおりに覚知し……略……『これは、苦しみの止滅に至る〔実践の〕道である』と、事実のとおりに覚知します。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、見解の完全なる清浄と説かれます。『かくのごとく、このような形態の見解の完全なる清浄を、あるいは、〔いまだ〕円満成就なきものを……略……その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するであろう』と、すなわち、そこにおいて、かつまた、欲〔の思い〕があり、かつまた、努力があり、かつまた、邁進があり、かつまた、勤勇があり、かつまた、反転なき〔精励〕があり、かつまた、気づきがあり、かつまた、正知があるなら、ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、見解の完全なる清浄のための精励の支分と説かれます。
ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、では、どのようなものが、解脱の完全なる清浄のための精励の支分なのですか。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、それで、まさに、その聖なる弟子が、そして、この戒の完全なる清浄のための精励の支分を具備し、かつまた、この心の完全なる清浄のための精励の支分を具備し、さらに、この見解の完全なる清浄のための精励の支分を具備し、諸々の貪るべき法(事象)において、心を離貪させ、諸々の解脱させるべき法(事象)において、心を解脱させます。彼は、諸々の貪るべき法(事象)において、心を離貪させて、諸々の解脱させるべき法(事象)において、心を解脱させて、正しい解脱を体得します。ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、解脱の完全なる清浄と説かれます。『かくのごとく、このような形態の解脱の完全なる清浄を、あるいは、〔いまだ〕円満成就なきものを、〔わたしは〕円満成就させるであろうし、あるいは、〔すでに〕円満成就あるものを、その場その場において、智慧によって、〔わたしは〕資助するであろう』と、すなわち、そこにおいて、かつまた、欲〔の思い〕があり、かつまた、努力があり、かつまた、邁進があり、かつまた、勤勇があり、かつまた、反転なき〔精励〕があり、かつまた、気づきがあり、かつまた、正知があるなら、ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、これは、解脱の完全なる清浄のための精励の支分と説かれます。
ブヤッガパッジャ〔族〕の者たちよ、まさに、これらの四つの完全なる清浄のための精励の支分が、彼によって、〔あるがままに〕知り見る阿羅漢にして正等覚者たる世尊によって、正しく告げ知らされました⸺有情たちの清浄のために、諸々の憂いと嘆きの超越のために、諸々の苦痛と失意の滅至のために、正理の到達のために、涅槃の実証のために」と。〔以上が〕第四となる。
注釈【0】