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翻訳【14】

ヴァッパの経

或る時のことです。世尊は、釈迦〔族〕の者たちのなかに住んでおられます。カピラヴァットゥのニグローダ〔樹〕の林園において。そこで、まさに、ニガンタ(離繋者・ジャイナ教徒)の弟子である釈迦〔族〕のヴァッパが、尊者マハー・モッガッラーナのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者マハー・モッガッラーナを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパに、尊者マハー・モッガッラーナは、こう言いました。

「ヴァッパよ、ここに、無明の離貪あることから、明知の生起あることから、身体によって統御された者として、言葉によって統御された者として、意によって統御された者として、〔人が〕存するとします。ヴァッパよ、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになる、その状況を、まさに、あなたは見ますか」と。「尊き方よ、その状況を、わたしは見ます。尊き方よ、ここに、過去において作り為された悪しき行為が、〔いまだ〕報いの円熟なきものとして存するなら、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになります」と。また、まさに、まさしく、そして、尊者マハー・モッガッラーナの、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパを相手にする、この合間の議論は、〔いまだ決着なく〕中断するところと成ります。

そこで、まさに、世尊は、夕刻時に、静坐から出起し、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、世尊は、尊者マハー・モッガッラーナに、こう言いました。

「モッガッラーナよ、いったい、どのような議論のために、ここにおいて、今現在、着坐しているのですか。また、そして、どのようなものが、あなたたちの〔いまだ決着なく〕中断した合間の議論なのですか」と。「尊き方よ、ここに、わたしは、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパに、こう言いました。『ヴァッパよ、ここに、無明の離貪あることから、明知の生起あることから、身体によって統御された者として、言葉によって統御された者として、意によって統御された者として、〔人が〕存するとします。ヴァッパよ、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになる、その状況を、まさに、あなたは見ますか』と。尊き方よ、このように説かれたとき、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパは、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、その状況を、わたしは見ます。尊き方よ、ここに、過去において作り為された悪しき行為が、〔いまだ〕報いの円熟なきものとして存するなら、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになります』と。尊き方よ、まさに、わたしたちの、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパを相手にする、この合間の議論は、〔いまだ決着なく〕中断し、そこで、世尊がお越しになったのです」と。

そこで、まさに、世尊は、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパに、こう言いました。「ヴァッパよ、それで、もし、あなたが、わたしに、まさしく、そして、承認するべきことを承認し、かつまた、弾劾するべきことを弾劾するなら、さらに、すなわち、わたしの語ったことの義(意味)を、〔あなたが〕知らずにいるとして、ここにおいて、まさしく、わたしに、『尊き方よ、これは、どのようにあるのですか。これに、どのような義(意味)があるのですか』と、さらなる問い返しをするなら、ここにおいて、〔公正なる〕議論と談論が、わたしたちに存するでしょう」と。「尊き方よ、わたしは、世尊に、まさしく、そして、承認するべきことを承認するでしょうし、かつまた、弾劾するべきことを弾劾するでしょう。さらに、すなわち、世尊の語ったことの義(意味)を、わたしが知らずにいるとして、ここにおいて、まさしく、世尊に、『尊き方よ、これは、どのようにあるのですか。これに、どのような義(意味)があるのですか』と、さらなる問い返しをするでしょう。ここにおいて、〔公正なる〕議論と談論が、わたしたちに有れ」と。

「ヴァッパよ、それを、どう思いますか。それらが、身体による勉励(作為的努力)という縁あることから生起する、諸々の煩悩であり、諸々の悩苦と苦悶であるとして、身体による勉励から離間した者には、このようにある彼には、諸々の煩悩も、諸々の悩苦と苦悶も、それらは有ることなくあります。彼は、そして、新しい行為新業を為さず、さらに、古い行為旧業に接触しては接触して終息を為します。〔その〕衰尽は、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものです。ヴァッパよ、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになる、その状況を、まさに、あなたは見ますか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず(見ません)〔と〕

「ヴァッパよ、それを、どう思いますか。それらが、言葉による勉励という縁あることから生起する、諸々の煩悩であり、諸々の悩苦と苦悶であるとして、身体による勉励から離間した者には、このようにある彼には、諸々の煩悩も、諸々の悩苦と苦悶も、それらは有ることなくあります。彼は、そして、新しい行為を為さず、さらに、古い行為に接触しては接触して終息を為します。〔その〕衰尽は、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものです。ヴァッパよ、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになる、その状況を、まさに、あなたは見ますか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「ヴァッパよ、それを、どう思いますか。それらが、意による勉励という縁あることから生起する、諸々の煩悩であり、諸々の悩苦と苦悶であるとして、身体による勉励から離間した者には、このようにある彼には、諸々の煩悩も、諸々の悩苦と苦悶も、それらは有ることなくあります。彼は、そして、新しい行為を為さず、さらに、古い行為に接触しては接触して終息を為します。〔その〕衰尽は、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものです。ヴァッパよ、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになる、その状況を、まさに、あなたは見ますか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「ヴァッパよ、それを、どう思いますか。それらが、無明という縁あることから生起する、諸々の煩悩であり、諸々の悩苦と苦悶であるとして、無明の離貪あることから、明知の生起あることから、このようにある彼には、諸々の煩悩も、諸々の悩苦と苦悶も、それらは有ることなくあります。彼は、そして、新しい行為を為さず、さらに、古い行為に接触しては接触して終息を為します。〔その〕衰尽は、現に見られるものであり、時を要さないものであり、来て見るものであり、導くものであり、識者たちによって各自それぞれに知られるべきものです。ヴァッパよ、それを因縁として、〔その〕人に、苦しみが感受されるべき諸々の煩悩が、未来の運命として漏れ入ることになる、その状況を、まさに、あなたは見ますか」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕

「ヴァッパよ、このように、まさに、正しく心が解脱した比丘には、六つの常なる住が到達するところと成ります。彼は、眼によって、形態を見て、まさしく、悦意の者と成らず、失意の者と〔成ら〕ず、放捨の者として〔世に〕住み、気づきと正知の者として〔世に住みます〕。耳によって、音声を聞いて……略……。鼻によって、臭気を嗅いで……略……。舌によって、味感を味わって……略……。身によって、感触と接触して……略……。意によって、法(意の対象)を識知して、まさしく、悦意の者と成らず、失意の者と〔成ら〕ず、放捨の者として〔世に〕住み、気づきと正知の者として〔世に住みます〕。彼は、身体を制限とする感受を感受しているなら、『〔わたしは〕身体を制限とする感受を感受する』と覚知し、生命を制限とする感受を感受しているなら、『〔わたしは〕生命を制限とする感受を感受する』と覚知し、『身体の破壊ののち、以後は、生命の消尽あることから、まさしく、ここに、一切の感受されたものは、〔わたしの〕愉悦するところにあらず、〔いずれ〕冷たく成るであろう』と覚知します。

ヴァッパよ、それは、たとえば、また、立木を縁として、影が覚知されるようなものです。そこで、人が、鋤と籠を携えて、やってくるとします。彼は、その立木を、根において断ち切ります。根において断ち切って、掘り尽くします。掘り尽くして、諸々の根を引き上げます。もしくは、諸々の細根や繊維ほどのものをもまた〔引き上げます〕。彼は、その立木を、切れ切れに断ち切ります。切れ切れに断ち切って、切り裂きます。切り裂いて、片々と為します。片々と為して、熱風において干上がらせます。熱風において干上がらせて、火で焼きます。火で焼いて、煤と為します。煤と為して、あるいは、大風のなかに吹き放ち、あるいは、川の激しい流れのなかに流し去るとします。ヴァッパよ、まさに、このように存するなら、〔まさに〕その、立木を縁としてある影ですが、それは、根が断ち切られ、基盤なきターラ〔樹〕のように作り為され、状態なきものに作り為され、未来に生起なき法(性質)としてあります。

ヴァッパよ、まさしく、このように、まさに、このように、正しく心が解脱した比丘には、六つの常なる住が到達するところと成ります。彼は、眼によって、形態を見て、まさしく、悦意の者と成らず、失意の者と〔成ら〕ず、放捨の者として〔世に〕住み、気づきと正知の者として〔世に住みます〕。耳によって、音声を聞いて……略……。鼻によって、臭気を嗅いで……略……。舌によって、味感を味わって……略……。身によって、感触と接触して……略……。意によって、法(意の対象)を識知して、まさしく、悦意の者と成らず、失意の者と〔成ら〕ず、放捨の者として〔世に〕住み、気づきと正知の者として〔世に住みます〕。彼は、身体を制限とする感受を感受しているなら、『〔わたしは〕身体を制限とする感受を感受する』と覚知し、生命を制限とする感受を感受しているなら、『〔わたしは〕生命を制限とする感受を感受する』と覚知し、『身体の破壊ののち、以後は、生命の消尽あることから、まさしく、ここに、一切の感受されたものは、〔わたしの〕愉悦するところにあらず、〔いずれ〕冷たく成るであろう』と覚知します」と。

このように説かれたとき、ニガンタの弟子である釈迦〔族〕のヴァッパは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、それは、たとえば、また、人が、収益を義(目的)として、販売馬を育てるも、彼は、まさしく、そして、収益に到達できず、さらに、そのうえ、疲弊と悩苦の分有者として存するようなものです。尊き方よ、まさしく、このように、まさに、わたしは、収益を義(目的)として、ニガンタの愚者たちに奉侍したのですが、〔まさに〕その、わたしは、まさしく、そして、収益に到達せず、さらに、そのうえ、疲弊と悩苦の分有者と成ったのです。尊き方よ、さあ、わたしは、今日以後、〔まさに〕その、わたしの、ニガンタの愚者たちにたいする清信ですが、それを、あるいは、大風のなかに吹き放ち、あるいは、川の激しい流れのなかに流し去ります。尊き方よ、すばらしいことです。……略……。尊き方よ、世尊は、わたしを、在俗信者として認めてください⸺今日以後、命ある限り、帰依所に赴いた者として」と。〔以上が〕第五となる。

注釈【0】