読み込み中

翻訳【20】

渇愛の経

世尊は、こう言いました。「比丘たちよ、網であり、流れるものであり、拡散するものであり、執着である、渇愛を、あなたたちに説示しましょう。それによって、この世〔の人々〕は、押さえ付けられ、覆い包まれ、絡んだ紐の類の者たちとなり、縺れた〔糸〕玉の類の者たちとなり、ムンジャ〔草〕やパッバジャ〔草〕の生類たちとなり、悪所と悪趣と堕所への輪廻を超克しません。それを聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

「比丘たちよ、では、どのようなものが、網であり、流れるものであり、拡散するものであり、執着である、渇愛であり、それによって、この世〔の人々〕は、押さえ付けられ、覆い包まれ、絡んだ紐の類の者たちとなり、縺れた〔糸〕玉の類の者たちとなり、ムンジャ〔草〕やパッバジャ〔草〕の生類たちとなり、悪所と悪趣と堕所への輪廻を超克しないのですか。比丘たちよ、また、まさに、これらの、十八の内なるものに関しての渇愛の行ないがあり、十八の外なるものに関しての渇愛の行ないがあります。

どのようなものが、十八の内なるものに関しての渇愛の行ないなのですか。比丘たちよ、『〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕存しているとき、『かくのごとく、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『このように、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『他なるものとして、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『存し続けるものとして、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『没し行くものとして、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『かくのごとく、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『このように、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『他なるものとして、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『ともあれ、まさに、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『ともあれ、まさに、かくのごとく、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『ともあれ、まさに、このように、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『ともあれ、まさに、他なるものとして、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『〔わたしは〕有るであろう』という〔思いが〕有り、『かくのごとく、〔わたしは〕有るであろう』という〔思いが〕有り、『このように、〔わたしは〕有るだろう』という〔思いが〕有り、『他なるものとして、〔わたしは〕有るだろう』という〔思いが〕有ります。これらの十八の内なるものに関しての渇愛の行ないがあります。

どのようなものが、十八の外なるものに関しての渇愛の行ないなのですか。比丘たちよ、『これによって、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕存しているとき、『これによって、かくのごとく、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『これによって、このように、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『これによって、他なるものとして、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『これによって、存し続けるものとして、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『これによって、没し行くものとして、〔わたしは〕存在する』という〔思いが〕有り、『これによって、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、かくのごとく、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、このように、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、他なるものとして、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、ともあれ、まさに、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、ともあれ、まさに、かくのごとく、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、ともあれ、まさに、このように、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、ともあれ、まさに、他なるものとして、〔わたしは〕存在するべきである』という〔思いが〕有り、『これによって、〔わたしは〕有るであろう』という〔思いが〕有り、『これによって、かくのごとく、〔わたしは〕有るであろう』という〔思いが〕有り、『これによって、このように、〔わたしは〕有るだろう』という〔思いが〕有り、『これによって、他なるものとして、〔わたしは〕有るだろう』という〔思いが〕有ります。これらの十八の外なるものに関しての渇愛の行ないがあります。

かくのごとく、十八の内なるものに関しての渇愛の行ないがあり、十八の外なるものに関しての渇愛の行ないがあります。比丘たちよ、これらは、三十六の渇愛の行ないと説かれます。かくのごとく、このような形態の、過去の三十六の渇愛の行ないがあり、未来の三十六の渇愛の行ないがあり、現在の三十六の渇愛の行ないがあります。このように、百八の渇愛の行ないが有ります。

比丘たちよ、これは、まさに、その、網であり、流れるものであり、拡散するものであり、執着である、渇愛です。それによって、この世〔の人々〕は、押さえ付けられ、覆い包まれ、絡んだ紐の類の者たちとなり、縺れた〔糸〕玉の類の者たちとなり、ムンジャ〔草〕やパッバジャ〔草〕の生類たちとなり、悪所と悪趣と堕所への輪廻を超克しません」と。〔以上が〕第九となる。

注釈【0】