そこで、まさに、シカー・モッガッラーナ婆羅門が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を相手に共に挨拶しました。共に挨拶し記憶されるべき話を交わして、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、シカー・モッガッラーナ婆羅門は、世尊に、こう言いました。
「貴君ゴータマよ、過日のことですが、以前、ソーナ・カーヤナ学徒が、わたしのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、わたしに、こう言いました。『沙門ゴータマは、一切の行為の無作を報知します。また、まさに、一切の行為の無作を報知しつつ、世の断絶を言います。君よ、行為を真理(本質)とし、行為の勉励によって止住するのが、この世です』」と。
「婆羅門よ、まさに、わたしは、ソーナ・カーヤナ学徒と会見することさえも証知しません。ましてや、このような形態の議論と談論については、なおさらです。婆羅門よ、四つのものがあります。これらの行為が、自ら、証知して、実証して、わたしによって知らされました。どのようなものが、四つのものなのですか。婆羅門よ、黒の報いある、黒の行為が存在します。婆羅門よ、白の報いある、白の行為が存在します。婆羅門よ、黒と白の報いある、黒と白の行為が存在します。婆羅門よ、黒でもなく白でもない報いある、黒でもなく白でもない行為が存在し、行為の滅尽のために等しく転起します。
婆羅門よ、では、どのようなものが、黒の報いある、黒の行為なのですか。婆羅門よ、ここに、一部の者は、加害〔の思い〕を有する身体の形成〔作用〕を行作し、加害〔の思い〕を有する言葉の形成〔作用〕を行作し、加害〔の思い〕を有する意の形成〔作用〕を行作します。彼は、加害〔の思い〕を有する身体の形成〔作用〕を行作して、加害〔の思い〕を有する言葉の形成〔作用〕を行作して、加害〔の思い〕を有する意の形成〔作用〕を行作して、加害〔の思い〕を有する世に再生します。加害〔の思い〕を有する世に再生し、〔そのように〕存している、〔まさに〕その、この者に、諸々の加害〔の思い〕を有する〔苦痛の〕接触が接触します。彼は、諸々の加害〔の思い〕を有する〔苦痛の〕接触によって接触され、〔そのように〕存しつつ、加害〔の思い〕を有する感受を、一方的な苦痛を、感受します。それは、たとえば、また、地獄にある有情たちのように。婆羅門よ、これは、黒の報いある、黒の行為と説かれます。
婆羅門よ、では、どのようなものが、白の報いある、白の行為なのですか。婆羅門よ、ここに、一部の者は、加害〔の思い〕なき身体の形成〔作用〕を行作し、加害〔の思い〕なき言葉の形成〔作用〕を行作し、加害〔の思い〕なき意の形成〔作用〕を行作します。彼は、加害〔の思い〕なき身体の形成〔作用〕を行作して、加害〔の思い〕なき言葉の形成〔作用〕を行作して、加害〔の思い〕なき意の形成〔作用〕を行作して、加害〔の思い〕なき世に再生します。加害〔の思い〕なき世に再生し、〔そのように〕存している、〔まさに〕その、この者に、諸々の加害〔の思い〕なき〔安楽の〕接触が接触します。彼は、諸々の加害〔の思い〕なき〔安楽の〕接触によって接触され、〔そのように〕存しつつ、加害〔の思い〕なき感受を、一方的な安楽を、感受します。それは、たとえば、また、遍浄天〔の神々〕たちのように。婆羅門よ、これは、白の報いある、白の行為と説かれます。
婆羅門よ、では、どのようなものが、黒と白の報いある、黒と白の行為なのですか。婆羅門よ、ここに、一部の者は、加害〔の思い〕を有する〔身体の形成作用〕をもまた〔行作し〕、加害〔の思い〕なき身体の形成〔作用〕をもまた行作し、加害〔の思い〕を有する〔言葉の形成作用〕をもまた〔行作し〕、加害〔の思い〕なき言葉の形成〔作用〕をもまた行作し、加害〔の思い〕を有する〔意の形成作用〕をもまた〔行作し〕、加害〔の思い〕なき意の形成〔作用〕をもまた行作します。彼は、加害〔の思い〕を有する〔身体の形成作用〕をもまた〔行作して〕、加害〔の思い〕なき身体の形成〔作用〕をもまた行作して、加害〔の思い〕を有する〔言葉の形成作用〕をもまた〔行作して〕、加害〔の思い〕なき言葉の形成〔作用〕をもまた行作して、加害〔の思い〕を有する〔意の形成作用〕をもまた〔行作して〕、加害〔の思い〕なき意の形成〔作用〕をもまた行作して、加害〔の思い〕を有する〔世〕にもまた〔再生し〕、加害〔の思い〕なき世にもまた再生します。加害〔の思い〕を有する〔世〕にもまた〔再生し〕、加害〔の思い〕なき世にもまた再生し、〔そのように〕存している、〔まさに〕その、この者に、諸々の加害〔の思い〕を有する〔苦痛の接触〕もまた〔接触し〕、諸々の加害〔の思い〕なき〔安楽の〕接触もまた接触します。彼は、諸々の加害〔の思い〕を有する〔苦痛の接触〕によってもまた〔接触され〕、諸々の加害〔の思い〕なき〔安楽の〕接触によってもまた接触され、〔そのように〕存しつつ、加害〔の思い〕を有する〔感受〕をもまた〔感受し〕、加害〔の思い〕なき感受をもまた〔感受し〕、混在した安楽と苦痛を感受します。それは、たとえば、また、人間たちのように、そして、一部の天〔の神々〕たちのように、さらに、一部の堕所にある者たちのように。婆羅門よ、これは、黒と白の報いある、黒と白の行為と説かれます。
婆羅門よ、では、どのようなものが、黒でもなく白でもない報いある、黒でもなく白でもない行為であり、行為の滅尽のために等しく転起するのですか。婆羅門よ、そこで、すなわち、この、黒の報いある、黒の行為があるなら、その〔行為〕を捨棄するための、〔まさに〕その、思欲です。すなわち、この、白の報いある、白の行為があるなら、その〔行為〕を捨棄するための、〔まさに〕その、思欲です。すなわち、この、黒と白の報いある、黒と白の行為があるなら、その〔行為〕を捨棄するための、〔まさに〕その、思欲です。婆羅門よ、これは、黒でもなく白でもない報いある、黒でもなく白でもない行為と説かれ、行為の滅尽のために等しく転起します。婆羅門よ、まさに、これらの四つの行為が、自ら、証知して、実証して、わたしによって知らされました」と。〔以上が〕第三となる。
注釈【0】