或る時のことです。世尊は、コーサンビーに住んでおられます。ゴーシタの林園において。そこで、まさに、尊者アーナンダが、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダに、世尊は、こう言いました。「アーナンダよ、さて、もう、その問題は止み静まったのですか」と。「尊き方よ、どうして、その問題が止み静まるというのでしょう。尊き方よ、尊者アヌルッダのバーヒヤという名の共住者は、全面あまねく僧団を分裂させるために止住し、そこにあって、尊者アヌルッダは、一つの言葉でさえも、話すべきと思い考えません」と。
「アーナンダよ、また、いつ、アヌルッダは、僧団の中における諸々の問題に従事するのですか。アーナンダよ、まさに、それらが何であれ、諸々の問題が生起するなら、それらの全てを、まさしく、そして、あなたたちは、さらに、サーリプッタとモッガッラーナも、止み静めるのではないのですか。
アーナンダよ、四つのものがあります。これらの義(利益)たる所以を正しく見ながら、悪しき比丘は、僧団の分裂によって愉悦します。どのようなものが、四つのものなのですか。アーナンダよ、ここに、悪しき比丘が、劣戒にして悪しき法(性質)ある者として、不浄にして励行に疑いある者として⸺生業を隠蔽し、沙門ではないのに沙門と明言し、梵行者ではないのに梵行者と明言し、内まで腐り〔煩悩が〕漏れ出ている、生まれながらの屑として⸺〔世に〕有ります。彼に、このような〔思いが〕有ります。『それで、もし、比丘たちが、まさに、わたしのことを、「劣戒にして悪しき法(性質)ある者であり、不浄にして励行に疑いある者である⸺生業を隠蔽し、沙門ではないのに沙門と明言し、梵行者ではないのに梵行者と明言し、内まで腐り〔煩悩が〕漏れ出ている、生まれながらの屑である」と知ることになるとして、〔彼らが〕和合の者たちとして存しているなら、わたしを滅ぼすであろうし、いっぽう、〔相争う〕党派の者たちとして〔存しているなら〕、わたしを滅ぼさないであろう』と。アーナンダよ、この第一の義(利益)たる所以を正しく見ながら、悪しき比丘は、僧団の分裂によって愉悦します。
アーナンダよ、さらに、また、他に、ここに、悪しき比丘が、誤った見解ある者として、極端を収め取る見解(極論)を具備した者として、〔世に〕有ります。彼に、このような〔思いが〕有ります。『それで、もし、比丘たちが、まさに、わたしのことを、「誤った見解ある者であり、極端を収め取る見解を具備した者である」と知ることになるとして、〔彼らが〕和合の者たちとして存しているなら、わたしを滅ぼすであろうし、いっぽう、〔相争う〕党派の者たちとして〔存しているなら〕、わたしを滅ぼさないであろう』と。アーナンダよ、この第二の義(利益)たる所以を正しく見ながら、悪しき比丘は、僧団の分裂によって愉悦します。
アーナンダよ、さらに、また、他に、ここに、悪しき比丘が、誤った生き方ある者として〔世に〕有り、誤った生き方によって生計を営みます。彼に、このような〔思いが〕有ります。『それで、もし、比丘たちが、まさに、わたしのことを、「誤った生き方ある者であり、誤った生き方によって生計を営む」と知ることになるとして、〔彼らが〕和合の者たちとして存しているなら、わたしを滅ぼすであろうし、いっぽう、〔相争う〕党派の者たちとして〔存しているなら〕、わたしを滅ぼさないであろう』と。アーナンダよ、この第三の義(利益)たる所以を正しく見ながら、悪しき比丘は、僧団の分裂によって愉悦します。
アーナンダよ、さらに、また、他に、ここに、悪しき比丘が、利得を欲する者として、尊敬を欲する者として、軽蔑されないことを欲する者として、〔世に〕有ります。彼に、このような〔思いが〕有ります。『それで、もし、比丘たちが、まさに、わたしのことを、「利得を欲する者であり、尊敬を欲する者であり、軽蔑されないことを欲する者である」と知ることになるとして、〔彼らが〕和合の者たちとして存しているなら、わたしを滅ぼすであろうし、いっぽう、〔相争う〕党派の者たちとして〔存しているなら〕、わたしを滅ぼさないであろう』と。アーナンダよ、この第四の義(利益)たる所以を正しく見ながら、悪しき比丘は、僧団の分裂によって愉悦します。アーナンダよ、まさに、これらの四つの義(利益)たる所以を正しく見ながら、悪しき比丘は、僧団の分裂によって愉悦します」と。〔以上が〕第一となる。
注釈【0】