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翻訳【18】

流れのままなる者の経

「比丘たちよ、四つのものがあります。これらの人たちが、世において等しく見出されつつ存しています。どのようなものが、四つのものなのですか。流れのままに赴く人であり、流れに反して赴く人であり、自己が安立した人であり、〔流れを〕超え渡り、彼岸に至り、陸地に立つ、〔真の〕婆羅門です。比丘たちよ、では、どのようなものが、流れのままに赴く人なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、そして、諸々の欲望〔の対象〕を受用し、さらに、悪しき行為を為します。比丘たちよ、この者は、流れのままに赴く人と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、流れに反して赴く人なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、そして、諸々の欲望〔の対象〕を受用せず、さらに、悪しき行為を為しません。苦痛と共にあるもまた、失意と共にあるもまた、涙顔で泣き叫びながらもまた、円満成就した完全なる清浄の梵行を歩みます。比丘たちよ、この者は、流れに反して赴く人と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、自己が安立した人なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、五つの下なる域に束縛するもの五下分結:人を欲界に束縛する五つの煩悩)の完全なる滅尽あることから、化生の者と成り、そこにおいて、完全なる涅槃に到達する者と〔成り〕、その世から戻り来る法(性質)なき者と〔成ります〕。比丘たちよ、この者は、自己が安立した人と説かれます。

比丘たちよ、では、どのようなものが、〔流れを〕超え渡り、彼岸に至り、陸地に立つ、〔真の〕婆羅門なのですか。比丘たちよ、ここに、一部の人は、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法現法:現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みます。比丘たちよ、この者は、〔流れを〕超え渡り、彼岸に至り、陸地に立つ、〔真の〕婆羅門と説かれます。比丘たちよ、まさに、これらの四つの人たちが、世において等しく見出されつつ存しています」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「彼らが誰であれ、諸々の欲望〔の対象〕にたいし自制なき人たちは⸺貪欲を離れず、この〔世において〕、欲望〔の対象〕を享受する者たちは⸺彼らは、繰り返し、生と老に近しく赴く者たちであり、渇愛〔の思い〕に囚われた者たちであり、〔欲望の〕流れのままに赴く者たちである。

まさに、それゆえに、慧者は、ここに、気づきが現起された者となり、そして、諸々の欲望〔の対象〕に、さらに、諸々の悪に、慣れ親しむことなく、苦しみと共にあるもまた、諸々の欲望〔の対象〕を捨棄するべきである。彼のことを、〔賢者たちは〕〔欲望の〕流れに反して赴く人』と言う。

彼が、まさに、五つの〔心の〕汚れ煩悩を捨棄して、円満成就した学びある者有学となり、遍き衰退とならない法(性質)ある者となり、心の自在に至り得た者となり、〔感官の〕機能が定められた者となるなら、彼は、まさに、『自己が安立した人』と呼ばれる。

〔あるがままに〕行知して、彼の、彼此なる諸々の法(性質)が砕破され、滅却に至り、〔もはや〕存在しないなら、彼は、まさに、牟尼であり、『梵行の完成者』『世の終極に至る者』『彼岸に至った者』と説かれる」と。

〔以上が〕第五となる。

注釈【0】