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翻訳【20】

借りなきものの経

そこで、まさに、アナータピンディカ家長が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、アナータピンディカ家長に、世尊は、こう言いました。

「家長よ、四つのものがあります。これらの、欲望の享受者たる在家者によって、〔その〕〔その〕時に、〔その〕時点〔その〕時点に、〔正しく〕取得して到達するべき安楽です。どのようなものが、四つのものなのですか。〔現に〕存在する安楽であり、財物の安楽であり、借りなき安楽であり、罪過なき安楽です。

家長よ、では、どのようなものが、〔現に〕存在する安楽なのですか。家長よ、ここに、良家の子息に、奮起と精進によって到達し、腕の力によって遍く蓄積され、汗が流され、法(正義)にかない、法(正義)によって得た、諸々の財物が有ります。彼は、『わたしには、奮起と精進によって到達し、腕の力によって遍く蓄積され、汗が流され、法(正義)にかない、法(正義)によって得た、諸々の財物が存在する』と、安楽に到達し、悦意に到達します。家長よ、これは、〔現に〕存在する安楽と説かれます。

家長よ、では、どのようなものが、財物の安楽なのですか。家長よ、ここに、良家の子息が、奮起と精進によって到達し、腕の力によって遍く蓄積され、汗が流され、法(正義)にかない、法(正義)によって得た、諸々の財物によって享受し、さらに、諸々の功徳を作り為します。彼は、『奮起と精進によって到達し、腕の力によって遍く蓄積され、汗が流され、法(正義)にかない、法(正義)によって得た、諸々の財物によって享受し、さらに、諸々の功徳を作り為す』と、安楽に到達し、悦意に到達します。家長よ、これは、財物の安楽と説かれます。

家長よ、では、どのようなものが、借りなき安楽なのですか。家長よ、ここに、良家の子息が、あるいは、僅かな〔借り〕も、あるいは、多くの〔借り〕も、何であれ、誰にも負いません。彼は、『あるいは、僅かな〔借り〕も、あるいは、多くの〔借り〕も、何であれ、誰にも負わない』と、安楽に到達し、悦意に到達します。家長よ、これは、借りなき安楽と説かれます。

家長よ、では、どのようなものが、罪過なき安楽なのですか。家長よ、ここに、良家の子息が、罪過なき身体の行為を具備した者として〔世に〕有り、罪過なき言葉の行為を具備した者として〔世に〕有り、罪過なき意の行為を具備した者として〔世に〕有ります。彼は、『罪過なき身体の行為を具備した者として、罪過なき言葉の行為を具備した者として、罪過なき意の行為を具備した者として、〔わたしは〕存している』と、安楽に到達し、悦意に到達します。家長よ、これは、罪過なき安楽と説かれます。家長よ、まさに、これらの四つの、欲望の享受者たる在家者によって、〔その〕〔その〕時に、〔その〕時点〔その〕時点に、〔正しく〕取得して到達するべき安楽があります」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「借りなき安楽を知って、そこで、他に、〔現に〕存在する安楽を〔知って〕、人は、財物の安楽を享受しながら、そののち、智慧によって観察する。

〔智慧によって〕観察しながら、思慮深き者は、〔これらの三つの安楽と罪過なき安楽の〕両部〔の安楽〕を知る。『この〔安楽〕は、罪過なき安楽の、十六分の一にも値しない』」と。

〔以上が〕第二となる。

注釈【0】