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翻訳【20】

正なる人士の経

「比丘たちよ、四つのものがあります。〔これらの〕(性質)を具備した者は、正ならざる人士と知られるべきです。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、それが他者の栄誉ならざることとして有るなら、正ならざる人士は、たとえ、尋ねられなかったとして、それを明らかと為します。尋ねられたばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らさずして、落とさずして、遍く満ちるものとして、詳細〔の観点〕によって、他者の栄誉ならざることを語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正ならざる人士として〔世に〕有る』と。

比丘たちよ、さらに、また、他に、それが他者の栄誉として有るなら、正ならざる人士は、たとえ、尋ねられたとして、それを明らかと為しません。尋ねられなかったばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らして、落として、遍く満ちないものとして、詳細ならざる〔観点〕によって、他者の栄誉を語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正ならざる人士として〔世に〕有る』と。

比丘たちよ、さらに、また、他に、それが自己の栄誉ならざることとして有るなら、正ならざる人士は、たとえ、尋ねられたとして、それを明らかと為しません。尋ねられなかったばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らして、落として、遍く満ちないものとして、詳細ならざる〔観点〕によって、自己の栄誉ならざることを語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正ならざる人士として〔世に〕有る』と。

比丘たちよ、さらに、また、他に、それが自己の栄誉として有るなら、正ならざる人士は、たとえ、尋ねられなかったとして、それを明らかと為します。尋ねられたばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らさずして、落とさずして、遍く満ちるものとして、詳細〔の観点〕によって、自己の栄誉を語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正ならざる人士として〔世に〕有る』と。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した者は、正ならざる人士と知られるべきです。

比丘たちよ、四つのものがあります。〔これらの〕(性質)を具備した者は、正なる人士と知られるべきです。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、それが他者の栄誉ならざることとして有るなら、正なる人士は、たとえ、尋ねられたとして、それを明らかと為しません。尋ねられなかったばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らして、落として、遍く満ちないものとして、詳細ならざる〔観点〕によって、他者の栄誉ならざることを語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正なる人士として〔世に〕有る』と。

比丘たちよ、さらに、また、他に、それが他者の栄誉として有るなら、正なる人士は、たとえ、尋ねられなかったとして、それを明らかと為します。尋ねられたばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らさずして、落とさずして、遍く満ちるものとして、詳細〔の観点〕によって、他者の栄誉を語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正なる人士として〔世に〕有る』と。

比丘たちよ、さらに、また、他に、それが自己の栄誉ならざることとして有るなら、正なる人士は、たとえ、尋ねられなかったとして、それを明らかと為します。尋ねられたばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らさずして、落とさずして、遍く満ちるものとして、詳細〔の観点〕によって、自己の栄誉ならざることを語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正なる人士として〔世に〕有る』と。

比丘たちよ、さらに、また、他に、それが自己の栄誉として有るなら、正なる人士は、たとえ、尋ねられたとして、それを明らかと為しません。尋ねられなかったばあいは、また、何の論があるというのでしょう。また、まさに、問うために連れ出され、尋ねられたなら、減らして、落として、遍く満ちないものとして、詳細ならざる〔観点〕によって、自己の栄誉を語る者として有ります。比丘たちよ、このことが知られるべきです。『この者は、正なる人士として〔世に〕有る』と。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した者は、正なる人士と知られるべきです。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、嫁が、迎え入れられた者として有るなら、まさしく、あるいは、その夜のあいだ、あるいは、その昼のあいだ、まさしく、それまでは、彼女には、姑にたいしてもまた、舅にたいしてもまた、夫にたいしてもまた、もしくは、奴隷や労夫や下僕にたいしても、強き恥〔の思い〕と良心〔の咎め〕が現起されたものとして有り、彼女は、他時にあって、共住するに従って、信頼するに従って、姑にもまた、舅にもまた、夫にもまた、『出て行ってください。さてまた、あなたたちが、何を知っているというのでしょう』と、このように言うように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の比丘は、家なきへと出家した者として〔世に〕有るなら、まさしく、あるいは、その夜のあいだ、あるいは、その昼のあいだ、まさしく、それまでは、彼には、比丘たちと比丘尼たちと在俗信者たちと女性在俗信者たちにたいしてもまた、もしくは、園丁や見習い沙門たちにたいしても、強き恥〔の思い〕と良心〔の咎め〕が現起されたものとして有り、彼は、他時にあって、共住するに従って、信頼するに従って、師匠にもまた、師父にもまた、『出て行ってください。さてまた、あなたたちが、何を知っているというのでしょう』と、このように言います。比丘たちよ、それゆえに、ここに、このように学ぶべきです。『新参の嫁に等しき心で〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【0】