「比丘たちよ、五つのものがあります。〔これらの〕支分を具備した王の象は、王に値するものと成り、王の財物たるものと〔成り〕、まさしく、『王の支分』という名称に至ります。どのようなものが、五つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、王の象が、かつまた、聞く者と成り、かつまた、殺す者と〔成り〕、かつまた、守護する者と〔成り〕、かつまた、忍耐する者と〔成り〕、かつまた、赴く者と〔成ります〕。
比丘たちよ、では、どのように、王の象は、聞く者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、王の象が、すなわち、この、調御されるべき象の馭者が課す任務であるなら⸺もしくは、過去に為したことのある〔任務〕であろうが、もしくは、過去に為したことのない〔任務〕であろうが⸺それを、義(意味)あるものと為して、意を為して、心をもって、全てに集中して、耳を傾け、〔その言葉を〕聞きます。比丘たちよ、このように、まさに、王の象は、聞く者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、王の象は、殺す者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、王の象が、戦場に赴き、象をもまた殺し、象に乗る者をもまた殺し、馬をもまた殺し、馬に乗る者をもまた殺し、車をもまた殺し(破壊し)、車兵をもまた殺し、歩兵をもまた殺します。比丘たちよ、このように、まさに、王の象は、殺す者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、王の象は、守護する者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、王の象が、戦場に赴き、前の身体を守護し、後の身体を守護し、前の〔両の〕足を守護し、後の〔両の〕足を守護し、頭を守護し、〔両の〕耳を守護し、〔両の〕牙を守護し、鼻を守護し、尾を守護し、象に乗る者を守護します。比丘たちよ、このように、まさに、王の象は、守護する者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、王の象は、忍耐する者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、王の象が、戦場に赴き、諸々の槍の打撃に、諸々の剣の打撃に、諸々の矢の打撃に、諸々の斧の打撃に、諸々の太鼓や小鼓や法螺貝や鐘鼓の鳴り響く音声に、忍耐ある者として有ります。比丘たちよ、このように、まさに、王の象は、忍耐する者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、王の象は、赴く者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、王の象が、すなわち、この、調御されるべき象の馭者が命じる方角であるなら⸺もしくは、過去に赴いたことのある〔方角〕あろうが、もしくは、過去に赴いたことのない〔方角〕であろうが⸺その〔方角〕に、まさしく、すみやかに、赴く者と成ります。比丘たちよ、このように、まさに、王の象は、赴く者と成ります。
比丘たちよ、まさに、これらの五つの支分を具備した象は、王に値するものと成り、王の財物たるものと〔成り〕、まさしく、『王の支分』という名称に至ります。
比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、五つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、〔供物を〕捧げられるべき者と成り、〔供物を〕贈られるべき者と〔成り〕、〔供物を〕施与されるべき者と〔成り〕、合掌を為されるべき者と〔成り〕、世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑と〔成ります〕。どのようなものが、五つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、かつまた、聞く者と成り、かつまた、殺す者と〔成り〕、かつまた、守護する者と〔成り〕、かつまた、忍耐する者と〔成り〕、かつまた、赴く者と〔成ります〕。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、聞く者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、如来によって知らされた法(教え)と律が説示されているときは、義(意味)あるものと為して、意を為して、心をもって、全てに集中して、耳を傾け、法(教え)を聞きます。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、聞く者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、殺す者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、生起した欲望の思考を甘受せず、捨棄し、除去し、殺し、終息を為し、状態なきへと至らしめ、生起した憎悪の思考を……略……生起した悩害の思考を……略……諸々の生起した悪しき善ならざる法(性質)を甘受せず、捨棄し、除去し、殺し、終息を為し、状態なきへと至らしめます。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、殺す者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、守護する者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、眼によって、形態を見て、形相を収め取る者と成らず、付随する特徴を収め取る者と〔成り〕ません。すなわち、眼の機能が統御されず、〔世に〕住んでいると、諸々の悪しき善ならざる法(性質)である強欲〔の思い〕や失意〔の思い〕が流れ込むことから、これを事因として、その〔眼〕の統御のために実践し、眼の機能を守護し、眼の機能における統御を惹起します。耳によって、音声を聞いて……略……。鼻によって、臭気を嗅いで……略……。舌によって、味感を味わって……略……。身によって、感触と接触して……略……。意によって、法(意の対象)を識知して、形相を収め取る者と成らず、付随する特徴を収め取る者と〔成り〕ません。すなわち、意の機能が統御されず、〔世に〕住んでいると、諸々の悪しき善ならざる法(性質)である強欲〔の思い〕や失意〔の思い〕が流れ込むことから、これを事因として、その〔意〕の統御のために実践し、意の機能を守護し、意の機能における統御を惹起します。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、守護する者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、忍耐する者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、寒さや暑さに、飢えや渇きに、諸々の虻や蚊や風や熱や蛇類の接触に、諸々の悪しく言われ悪しく言及された言葉の道に、忍耐ある者として〔世に〕有り、諸々の生起した強烈で粗野で辛辣で不快にして意に適わない命を奪い去る肉体的な苦痛の感受を耐え忍ぶ類の者として〔世に〕有ります。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、忍耐する者と成ります。
比丘たちよ、では、どのように、比丘は、赴く者と成るのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、すなわち、この、この長時にわたり、過去に赴いたことのない方角⸺すなわち、この、一切の形成〔作用〕の止寂であり、一切の依り所の放棄であり、渇愛の滅尽であり、離貪であり、止滅であり、涅槃である、その〔方角〕に、まさしく、すみやかに、赴く者と成ります。比丘たちよ、このように、まさに、比丘は、赴く者と成ります。
比丘たちよ、まさに、これらの五つの法(性質)を具備した比丘は、〔供物を〕捧げられるべき者と成り……略……世〔の人々〕にとって、無上なる功徳の田畑と〔成ります〕」と。〔以上が〕第十となる。
王の章が第四となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「〔二つの〕輪の随転、王、『その方角において』があり、まさしく、そして、二つの切望、『少なく眠る』があり、〔多くの〕食事を取る者、そして、忍耐なき者があり、さらに、聞く者とともに、〔章となる〕」と。
注釈【0】