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翻訳【13】

眠りの経

或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、世尊は、夕刻時に、静坐から出起し、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。まさに、尊者サーリプッタもまた、夕刻時に、静坐から出起し、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。まさに、尊者マハー・モッガッラーナもまた……略……。まさに、尊者マハー・カッサパもまた……。まさに、尊者マハー・カッチャーヤナもまた……。まさに、尊者マハー・コッティカもまた……。まさに、尊者マハー・チュンダもまた……。まさに、尊者マハー・カッピナもまた……。まさに、尊者アヌルッダもまた……。まさに、尊者レーヴァタもまた……。まさに、尊者アーナンダもまた、夕刻時に、静坐から出起し、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。そこで、まさに、世尊は、まさしく、夜の多くを、坐禅〔瞑想〕のために過ごして、坐から立ち上がって、精舎に入りました。まさに、それらの尊者たちもまた、世尊が立ち去ったすぐあと、坐から立ち上がって、それぞれの精舎に赴きました。いっぽう、そこにおいて、新参者たちであり、出家したばかりであり、この法(教え)と律の入門者たちである、それらの比丘たちは⸺彼らは、日の出に至るまで、いびきをしながら眠っていました。まさに、世尊は、人間を超越した清浄の天眼によって、それらの比丘たちが、日の出に至るまで、いびきをしながら眠っているのを見ました。見て、集会所のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐りました。坐って、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。

「比丘たちよ、いったい、まさに、どこに、サーリプッタはいるのですか。どこに、マハー・モッガッラーナはいるのですか。どこに、マハー・カッサパはいるのですか。どこに、マハー・カッチャーヤナはいるのですか。どこに、マハー・コッティカはいるのですか。どこに、マハー・チュンダはいるのですか。どこに、マハー・カッピナはいるのですか。どこに、アヌルッダはいるのですか。どこに、レーヴァタはいるのですか。どこに、アーナンダはいるのですか。比丘たちよ、いったい、まさに、どこに、それらの長老の弟子たちは赴いたのですか」と。「尊き方よ、まさに、それらの尊者たちもまた、世尊が立ち去ったすぐあと、坐から立ち上がって、それぞれの精舎に赴きました」と。「比丘たちよ、どうでしょう、まさに、あなたたちは、長老の比丘たちがやってこない、ということで、日の出に至るまで、いびきをしながら眠るのですか。(1)比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたたちは、あるいは、見たことがありますか、あるいは、聞いたことがありますか。『即位灌頂した王たる士族が、〔欲の思いで〕(目的)とするだけ、横臥の楽しみに、休憩の楽しみに、睡眠の楽しみに、専念する者として〔世に〕住みながら、生あるかぎり、王権を為している⸺あるいは、〔その〕地方の者にとって愛しく意に適う者としてある』」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「比丘たちよ、善きかな。比丘たちよ、わたしもまた、まさに、このことは、まさしく、見たこともなく、聞いたこともありません。『即位灌頂した王たる士族が、〔欲の思いで〕(目的)とするだけ、横臥の楽しみに、休憩の楽しみに、睡眠の楽しみに、専念する者として〔世に〕住みながら、生あるかぎり、王権を為している⸺あるいは、〔その〕地方の者にとって愛しく意に適う者としてある』と。

(2)比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたたちは、あるいは、見たことがありますか、あるいは、聞いたことがありますか。『国人が……略……。(3)『有力者が……。(4)『軍団長が……。(5)『村の村長が……。(6)『組合の組合長が、〔欲の思いで〕(目的)とするだけ、横臥の楽しみに、休憩の楽しみに、睡眠の楽しみに、専念する者として〔世に〕住みながら、生あるかぎり、組合の組合長の権を為している⸺あるいは、〔その〕組合の者にとって愛しく意に適う者としてある』」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「比丘たちよ、善きかな。比丘たちよ、わたしもまた、まさに、このことは、まさしく、見たこともなく、聞いたこともありません。『組合の組合長が、〔欲の思いで〕(目的)とするだけ、横臥の楽しみに、休憩の楽しみに、睡眠の楽しみに、専念する者として〔世に〕住みながら、生あるかぎり、組合の組合長の権を為している⸺あるいは、〔その〕組合の者にとって愛しく意に適う者としてある』と。

比丘たちよ、それを、どう思いますか。さて、いったい、あなたたちは、あるいは、見たことがありますか、あるいは、聞いたことがありますか。『あるいは、沙門が、あるいは、婆羅門が、〔欲の思いで〕(目的)とするだけ、横臥の楽しみに、休憩の楽しみに、睡眠の楽しみに、専念する者としてあり、諸々の〔感官の〕機能において門が守られず、食において量を知らず、〔眠らずに〕起きていることに専念せず、諸々の善なる法(性質)〔あるがままの〕観察者ではなく、夜の前と夜の後に、諸々の覚りの項目の法(性質)の修行への専念〔努力〕に専念する者ではなく、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住んでいる』」と。「尊き方よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「比丘たちよ、善きかな。比丘たちよ、わたしもまた、まさに、このことは、まさしく、見たこともなく、聞いたこともありません。『あるいは、沙門が、あるいは、婆羅門が、〔欲の思いで〕(目的)とするだけ、横臥の楽しみに、休憩の楽しみに、睡眠の楽しみに、専念する者としてあり、諸々の〔感官の〕機能において門が守られず、食において量を知らず、〔眠らずに〕起きていることに専念せず、諸々の善なる法(性質)〔あるがままの〕観察者ではなく、夜の前と夜の後に、諸々の覚りの項目の法(性質)の修行への専念〔努力〕に専念する者ではなく、諸々の煩悩の滅尽あることから、煩悩なきものとして、〔止寂の〕心による解脱を、〔観察の〕智慧による解脱を、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住んでいる』と。

比丘たちよ、それゆえに、ここに、このように学ぶべきです。『〔わたしたちは〕諸々の〔感官の〕機能において門が守られている者たちとして〔世に〕有るのだ。食において量を知る者たちとして〔世に有るのだ〕〔眠らずに〕起きていることに専念する者たちとして〔世に有るのだ〕。諸々の善なる法(性質)〔あるがままの〕観察者たちとして〔世に有るのだ〕。夜の前と夜の後に、諸々の覚りの項目菩提分の法(性質)の修行への専念〔努力〕に専念する者たちとして〔世に〕住むのだ』と。比丘たちよ、まさに、このように、あなたたちは学ぶべきです」と。〔以上が〕第七となる。

注釈【0】