そこで、まさに、或るひとりの比丘が、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、その比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、いったい、まさに、どれだけの、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点(機会)があるのですか」と。「比丘よ、六つのものがあります。これらの、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。
どのようなものが、六つのものなのですか。比丘よ、ここに、比丘が、その時点において、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕(欲貪)に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の出離を、事実のとおりに覚知しないなら、その時点において、意を修めることができる比丘は、近づいて行って、このように説かれるべき者として存するでしょう。『友よ、わたしは、まさに、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の出離を、事実のとおりに覚知しません。どうか、まさに、わたしに、尊者は、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の捨棄のために、法(教え)を説示してください』と。彼に、意を修めることができる比丘は、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の捨棄のために、法(教え)を説示します。比丘よ、これは、第一の、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。
比丘よ、さらに、また、他に、比丘が、その時点において、憎悪〔の思い〕(瞋恚)に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、憎悪〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した憎悪〔の思い〕の出離を、事実のとおりに覚知しないなら、その時点において、意を修めることができる比丘は、近づいて行って、このように説かれるべき者として存するでしょう。『友よ、わたしは、まさに、憎悪〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、憎悪〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した憎悪〔の思い〕の出離を、事実のとおりに覚知しません。どうか、まさに、わたしに、尊者は、憎悪〔の思い〕の捨棄のために、法(教え)を説示してください』と。彼に、意を修めることができる比丘は、憎悪〔の思い〕の捨棄のために、法(教え)を説示します。比丘よ、これは、第二の、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。
比丘よ、さらに、また、他に、比丘が、その時点において、〔心の〕沈滞と眠気(昏沈睡眠)に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、〔心の〕沈滞と眠気に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した〔心の〕沈滞と眠気の出離を、事実のとおりに覚知しないなら、その時点において、意を修めることができる比丘は、近づいて行って、このように説かれるべき者として存するでしょう。『友よ、わたしは、まさに、〔心の〕沈滞と眠気に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、〔心の〕沈滞と眠気に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した〔心の〕沈滞と眠気の出離を、事実のとおりに覚知しません。どうか、まさに、わたしに、尊者は、〔心の〕沈滞と眠気の捨棄のために、法(教え)を説示してください』と。彼に、意を修めることができる比丘は、〔心の〕沈滞と眠気の捨棄のために、法(教え)を説示します。比丘よ、これは、第三の、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。
比丘よ、さらに、また、他に、比丘が、その時点において、〔心の〕高揚と悔恨(掉挙悪作)に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、〔心の〕高揚と悔恨に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した〔心の〕高揚と悔恨の出離を、事実のとおりに覚知しないなら、その時点において、意を修めることができる比丘は、近づいて行って、このように説かれるべき者として存するでしょう。『友よ、わたしは、まさに、〔心の〕高揚と悔恨に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、〔心の〕高揚と悔恨に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した〔心の〕高揚と悔恨の出離を、事実のとおりに覚知しません。どうか、まさに、わたしに、尊者は、〔心の〕高揚と悔恨の捨棄のために、法(教え)を説示してください』と。彼に、意を修めることができる比丘は、〔心の〕高揚と悔恨の捨棄のために、法(教え)を説示します。比丘よ、これは、第四の、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。
比丘よ、さらに、また、他に、比丘が、その時点において、疑惑〔の思い〕(疑)に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、疑惑〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した疑惑〔の思い〕の出離を、事実のとおりに覚知しないなら、その時点において、意を修めることができる比丘は、近づいて行って、このように説かれるべき者として存するでしょう。『友よ、わたしは、まさに、疑惑〔の思い〕に遍く取り囲まれた心で〔世に〕住み、疑惑〔の思い〕に打ち負かされた〔心〕で〔世に住み〕、そして、生起した疑惑〔の思い〕の出離を、事実のとおりに覚知しません。どうか、まさに、わたしに、尊者は、疑惑〔の思い〕の捨棄のために、法(教え)を説示してください』と。彼に、意を修めることができる比丘は、疑惑〔の思い〕の捨棄のために、法(教え)を説示します。比丘よ、これは、第五の、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。
比丘よ、さらに、また、他に、比丘が、その時点において、その形相を頼りにして、その形相に意を為していると、直後に、諸々の煩悩の滅尽が有る、〔まさに〕その形相を覚知しないなら、その時点において、意を修めることができる比丘は、近づいて行って、このように説かれるべき者として存するでしょう。『友よ、まさに、わたしは、その形相を頼りにして、その形相に意を為していると、直後に、諸々の煩悩の滅尽が有る、〔まさに〕その形相を覚知しません。どうか、まさに、わたしに、尊者は、諸々の煩悩の滅尽のために、法(教え)を説示してください』と。彼に、意を修めることができる比丘は、諸々の煩悩の滅尽のために、法(教え)を説示します。比丘よ、これは、第六の、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点です。比丘よ、まさに、これらの六つの、意を修めることができる比丘と会見するために近づいて行くべき時点があります」と。〔以上が〕第七となる。
注釈【0】