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翻訳【16】

六つの支分ある布施の経

或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。また、まさに、その時点にあって、ヴェールカンダ〔の住者〕たるナンダマータル女性在俗信者が、サーリプッタとモッガッラーナを筆頭とする比丘の僧団にたいし、六つの支分を具備した施物を確立させます。まさに、世尊は、人間を超越した清浄の天眼によって、ヴェールカンダ〔の住者〕たるナンダマータル女性在俗信者が、サーリプッタとモッガッラーナを筆頭とする比丘の僧団にたいし、六つの支分を具備した施物を確立させているのを見ました。見て、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、この者は、ヴェールカンダ〔の住者〕たるナンダマータル女性在俗信者は、サーリプッタとモッガッラーナを筆頭とする比丘の僧団にたいし、六つの支分を具備した施物を確立させます。

比丘たちよ、では、どのように、六つの支分を具備した施物と成るのですか。比丘たちよ、ここに、施者には、三つの支分が有り、納受者たちには、三つの支分が〔有ります〕。施者には、どのような三つの支分があるのですか。比丘たちよ、ここに、施者が、施すより、まさしく、過去において、悦意の者と成ります。施しながら、心を清信させます。施して〔そののち〕、わが意を得た者と成ります。施者には、これらの三つの支分があります。

納受者たちには、どのような三つの支分があるのですか。比丘たちよ、ここに、納受者たちが、あるいは、貪欲を離れた者たちとして、あるいは、貪欲の調伏のために実践する者たちとして、〔世に〕有ります。あるいは、憤怒を離れた者たちとして、あるいは、憤怒の調伏のために実践する者たちとして、〔世に〕有ります。あるいは、迷妄を離れた者たちとして、あるいは、迷妄の調伏のために実践する者たちとして、〔世に〕有ります。納受者には、これらの三つの支分があります。比丘たちよ、このように、まさに、六つの支分を具備した施物と成ります。

比丘たちよ、このように六つの支分を具備した施物のばあい、『これなるものが、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食(動力源・エネルギー)となり、天上に至らせるものとして、安楽の報い異熟あるものとして、天上〔への再生〕を等しく転起させるものとして、好ましく愛らしく意に適う利益と安楽のために等しく転起する』と、功徳の量を収め取ることは、為し易きことではなく、そこで、まさに、まさしく、『数えようもなく、量りようもない、大いなる功徳の塊』という名称に至ります。

比丘たちよ、それは、たとえば、また、あるいは、『これなる〔数〕の、水の升となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、百の水の升となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、千の水の升となる』と、あるいは、『これなる〔数〕の、百千の水の升となる』と、大海にある水の量を収め取ることは、為し易きことではなく、そこで、まさに、まさしく、『数えようもなく、量りようもない、大いなる水の塊』という名称に至るように、比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、このように六つの支分を具備した施物のばあい、『これなるものが、功徳が流れ行くものとなり、善なるものが流れ行くものとなり、安楽のための食となり、天上に至らせるものとして、安楽の報いあるものとして、天上〔への再生〕を等しく転起させるものとして、好ましく愛らしく意に適う利益と安楽のために等しく転起する』と、功徳の量を収め取ることは、為し易きことではなく、そこで、まさに、『数えようもなく、量りようもない、大いなる功徳の塊』という名称に至ります」と。

〔そこで、詩偈に言う〕「施すより、まさしく、過去において、悦意の者と〔成り〕、施しながら、心を清信させ、施して〔そののち〕、わが意を得た者と成る。これは、祭祀の成就である。

〔納受者たちが〕貪欲を離れ、憤怒を離れ、迷妄を離れ、煩悩なき者たちであるなら⸺祭祀の田畑が成就し、自制ある梵行者たちであるなら⸺

自ら口をそそいで、自らの〔両の〕手で〔施物を〕施して、この祭祀は、そして、他者よりも、自己にとって、大いなる果と成る。

このように、思慮ある者は、信ある者となり、解き放った心で〔祭祀を〕執り行なって、賢者として、憎悪〔の思い〕なき安楽の世に再生する」と。

〔以上が〕第七となる。

注釈【0】