このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、バーラーナシーに住んでおられます。イシパタナの鹿園において。また、まさに、その時点にあって、大勢の長老の比丘たちが、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、円形堂において着坐し参集し、高次の法理(阿毘達磨・対法・勝法)についての議論を議論します。そこで、まさに、尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、長老の比丘たちが高次の法理についての議論を議論しているなか、中途中途で、議論に割り込みます。そこで、まさに、尊者マハー・コッティカは、尊者チッタ・ハッティサーリプッタに、こう言いました。「尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、長老の比丘たちが高次の法理についての議論を議論しているなか、中途中途で、議論に割り込んではいけません。すなわち、議論の結末まで、尊者チッタは待ちたまえ」と。このように説かれたとき、尊者チッタ・ハッティサーリプッタの道友の比丘たちは、尊者マハー・コッティカに、こう言いました。「尊者マハー・コッティカは、尊者チッタ・ハッティサーリプッタを指弾していけません。尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、賢者です。そして、尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、長老の比丘たちの高次の法理についての議論を議論することができます」と。
「友よ、まさに、このことは、知り難いことなのです⸺他者の心の様態を知らずにいる者たちによっては。(1)友よ、ここに、一部の人は、すなわち、教師に⸺あるいは、導師の地位にあり梵行を共にする或る誰かに⸺依拠して〔世に〕住むかぎり、まさしく、それまでは、温和なるうえにも温和なる者として〔世に〕有り、謙譲なるうえにも謙譲なる者として〔世に〕有り、寂静なるうえにも寂静なる者として〔世に〕有ります。しかしながら、すなわち、まさに、彼が、まさしく、教師から離住することから、導師の地位にあり梵行を共にする者たちから離住することから、彼は、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちと交わる者として〔世に〕住みます。彼が、〔それらの者たちと〕交わる者となり、〔それらの者たちと〕親しい者となり、〔本能の〕現じ顕われるままの者となり、談義に専念する者となり、〔世に〕住んでいると、貪欲〔の思い〕が、心を転落させます。彼は、貪欲〔の思い〕で転落した心によって、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします(還俗する)。
友よ、それは、たとえば、また、あるいは、縄で結縛され、あるいは、牛舎に閉じ込められた、耕作物を食べる牛のようなものです。友よ、いったい、まさに、或る者が、『今や、この耕作物を食べる牛は、まさしく、ふたたび、耕作物に入り込むことはないであろう』と、このように説くなら、友よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「友よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「友よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、その耕作物を食べる牛が、あるいは、縄を断ち切って、あるいは、牛舎を破壊して、そこで、まさしく、ふたたび、耕作物に入り込むであろう、という、〔このことは〕。友よ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人は、すなわち、教師に⸺あるいは、導師の地位にあり梵行を共にする或る誰かに⸺依拠して〔世に〕住むかぎり、それまでは、温和なるうえにも温和なる者として〔世に〕有り、謙譲なるうえにも謙譲なる者として〔世に〕有り、寂静なるうえにも寂静なる者として〔世に〕有ります。しかしながら、すなわち、まさに、彼が、まさしく、教師から離住することから、導師の地位にあり梵行を共にする者たちから離住することから、彼は、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちと交わる者として〔世に〕住みます。彼が、〔それらの者たちと〕交わる者となり、〔それらの者たちと〕親しい者となり、〔本能の〕現じ顕われるままの者となり、談義に専念する者となり、〔世に〕住んでいると、貪欲〔の思い〕が、心を転落させます。彼は、貪欲〔の思い〕で転落した心によって、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。
(2)友よ、また、ここに、一部の人は、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて……略……第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第一の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちと……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。友よ、それは、たとえば、また、大きな四つ辻において、土砂降りとなり、天が雨を降らせていると、塵を消没させ、泥地を出現させるようなものです。友よ、いったい、まさに、或る者が、『今や、この大きな四つ辻において、まさしく、ふたたび、塵が出現することはないであろう』と、このように説くなら、友よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「友よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「友よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、この大きな四つ辻において、あるいは、人間たちが過ぎ行き、あるいは、家畜の牛たちが過ぎ行き、あるいは、熱風が潤いを具したものを完全に取り払い、そこで、まさしく、ふたたび、塵が出現するであろう、という、〔このことは〕。友よ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人は、まさしく、諸々の欲望〔の対象〕から離れて……略……第一の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第一の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。
(3)友よ、また、ここに、一部の人は、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから……略……第二の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第二の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。友よ、それは、たとえば、また、あるいは、村の、あるいは、町の、遠く離れていないところに、大いなる沼があり、そこにおいて、土砂降りとなり、天が雨を降らせたなら、牡蠣や貝をもまた、砂礫や小石をもまた、消没させるようなものです。友よ、いったい、まさに、或る者が、『今や、この沼において、まさしく、ふたたび、あるいは、牡蠣や貝が、あるいは、砂礫や小石が、出現することはないであろう』と、このように説くなら、友よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「友よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「友よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、この沼において、あるいは、人間たちが〔水を〕飲み、あるいは、家畜の牛たちが〔水を〕飲み、あるいは、熱風が潤いを具したものを完全に取り払い、そこで、まさしく、ふたたび、牡蠣や貝もまた、砂礫や小石もまた、出現するであろう、という、〔このことは〕。友よ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人は、〔粗雑なる〕思考と〔微細なる〕想念の寂止あることから……略……第二の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第二の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。
(4)友よ、また、ここに、一部の人は、さらに、喜悦の離貪あることから……略……第三の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第三の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。友よ、それは、たとえば、また、精妙なる食料を食べた人を、昨夜の食料が喜ばせないようなものです。友よ、いったい、まさに、或る者が、『今や、この人を、まさしく、ふたたび、食料が喜ばせることはないであろう』と、このように説くなら、友よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「友よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「友よ、まさに、この状況は見出されます。この精妙なる食料を食べた人を、すなわち、彼の身体において、その滋養が止住しているかぎり、それまでは、他の食料が喜ばすことはないであろうが、しかしながら、すなわち、まさに、彼の身体において、その滋養が消没することから、そこで、まさしく、ふたたび、その食料が喜ばせるであろう、という、〔このことは〕。友よ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人は、さらに、喜悦の離貪あることから……略……第三の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第三の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。
(5)友よ、また、ここに、一部の人は、かつまた、安楽の捨棄あることから、かつまた、苦痛の捨棄あることから……略……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第四の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。友よ、それは、たとえば、また、山の峡谷において、無風にして波が立たない湖水のようなものです。友よ、いったい、まさに、或る者が、『今や、この湖水において、まさしく、ふたたび、波が出現することはないであろう』と、このように説くなら、友よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「友よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「友よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、東の方角から、激しい風雨がやってくるなら、その〔風雨〕は、その湖水において、波を生じさせであろうし、すなわち、西の方角から、激しい風雨がやってくるなら……略……すなわち、北の方角から、激しい風雨がやってくるなら……すなわち、南の方角から、激しい風雨がやってくるなら、その〔風雨〕は、その湖水において、波を生じさせであろう、という、〔このことは〕。友よ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人は、かつまた、安楽の捨棄あることから、かつまた、苦痛の捨棄あることから……略……第四の瞑想を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕第四の瞑想の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや……略……交わる者として〔世に〕住みます。……略……学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。
(6)友よ、また、ここに、一部の人は、一切の形相に意を為さないことから、無相なる〔止寂の〕心の禅定を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕無相なる〔止寂の〕心の禅定の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちと交わる者として〔世に〕住みます。彼が、〔それらの者たちと〕交わる者となり、〔それらの者たちと〕親しい者となり、〔本能の〕現じ顕われるままの者となり、談義に専念する者となり、〔世に〕住んでいると、貪欲〔の思い〕が、心を転落させます。彼は、貪欲〔の思い〕で転落した心によって、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。友よ、それは、たとえば、また、あるいは、王が、あるいは、王の大臣が、四つの支分ある軍団とともに、旅の道を行き、或るどこかの密林において、一夜の住に入り、そこで、象の音声によって、馬の音声によって、車の音声によって、歩兵の音声によって、諸々の太鼓や小鼓や法螺貝や鐘鼓の鳴り響く音声によって、蟋蟀の音声が消没するようなものです。友よ、いったい、まさに、或る者が、『今や、この密林において、まさしく、ふたたび、蟋蟀の音声が出現することはないであろう』と、このように説くなら、友よ、いったい、まさに、彼は、正しく説きつつ説いていますか」と。「友よ、まさに、このことは、さにあらず」〔と〕。「友よ、まさに、この状況は見出されます。すなわち、その、あるいは、王が、あるいは、王の大臣が、その密林から立ち去るなら、そこで、まさしく、ふたたび、蟋蟀の音声が出現するであろう、という、〔このことは〕。友よ、まさしく、このように、まさに、ここに、一部の人は、一切の形相に意を為さないことから、無相なる〔止寂の〕心の禅定を成就して〔世に〕住みます。彼は、『〔わたしは〕無相なる〔止寂の〕心の禅定の得者として〔世に〕存している』と、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちと交わる者として〔世に〕住みます。彼が、〔それらの者たちと〕交わる者となり、〔それらの者たちと〕親しい者となり、〔本能の〕現じ顕われるままの者となり、談義に専念する者となり、〔世に〕住んでいると、貪欲〔の思い〕が、心を転落させます。彼は、貪欲〔の思い〕で転落した心によって、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします」と。
そこで、まさに、尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、他時にあって、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします。そこで、まさに、チッタ・ハッティサーリプッタの道友の比丘たちは、尊者マハー・コッティカのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、尊者マハー・コッティカに、こう言いました。「いったい、まさに、どうなのでしょう、チッタ・ハッティサーリプッタは、尊者マハー・コッティカによって、心をとおして、心を探知して、〔このように〕知られたのですか。『チッタ・ハッティサーリプッタは、そして、これらの〔住と入定の〕、さらに、これらの住と入定の、得者なるも、そこで、また、しかしながら、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りするであろう』と。それとも、天神たちが、この義(意味)を告げたのですか。『チッタ・ハッティサーリプッタは、そして、これらの〔住と入定の〕、さらに、これらの住と入定の、得者なるも、そこで、また、しかしながら、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りするであろう』」と。「友よ、わたしによって、心をとおして、心を探知して、〔このように〕知られました。『チッタ・ハッティサーリプッタは、そして、これらの〔住と入定の〕、さらに、これらの住と入定の、得者なるも、そこで、また、しかしながら、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りするであろう』と。天神たちもまた、わたしに、この義(意味)を告げました。『チッタ・ハッティサーリプッタは、そして、これらの〔住と入定の〕、さらに、これらの住と入定の、得者なるも、そこで、また、しかしながら、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りするであろう』」と。
そこで、まさに、チッタ・ハッティサーリプッタの道友の比丘たちは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、チッタ・ハッティサーリプッタは、そして、これらの〔住と入定の〕、さらに、これらの住と入定の、得者なるも、そこで、また、しかしながら、学びを拒絶して、下劣なところへと逆戻りします」と。「比丘たちよ、長からずして、チッタは、離欲を思い出すでしょう」と。
そこで、まさに、チッタ・ハッティサーリプッタは、まさしく、長からずして、髪と髭を剃り落として、諸々の黄褐色の衣をまとって、家から家なきへと出家しました。そこで、まさに、尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、独り、〔静所に〕隠棲し、〔気づきを〕怠らず、熱情ある者となり、自己を精励する者として〔世に〕住んでいると、まさしく、長からずして⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住みました。「生は滅尽し、梵行は完成された。為すべきことは為された。〔もはや〕他に、この場へと〔赴くことは〕ない」と証知しました。また、そして、尊者チッタ・ハッティサーリプッタは、阿羅漢たちのなかの或るひとりと成った、ということです。〔以上が〕第六となる。
注釈【1】
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