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翻訳【13】

実証の可能の経

「比丘たちよ、六つのものがあります。〔これらの〕(性質)を具備した比丘は、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ることが不可能となります。どのようなものが、六つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、『これらは、退失を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知せず、『これらは、止住を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知せず、『これらは、殊勝を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知せず、『これらは、洞察を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知せず、そして、真剣に為さない者として、さらに、正当に為さない者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの六つの法(性質)を具備した比丘は、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ることが不可能となります。

比丘たちよ、六つのものがあります。〔これらの〕(性質)を具備した比丘は、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ることが可能となります。どのようなものが、六つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、『これらは、退失を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知し、『これらは、止住を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知し、『これらは、殊勝を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知し、『これらは、洞察を部分とする法(性質)である』と、事実のとおりに覚知し、そして、真剣に為す者として、さらに、正当に為す者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの六つの法(性質)を具備した比丘は、気づき〔の場所〕気づきの場所において、まさしく、その場その場において、実証の可能性に至り得ることが可能となります」と。〔以上が〕第七となる。

注釈【0】