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翻訳【14】

第四の不可能となる状況の経

「比丘たちよ、六つのものがあります。これらの不可能となる状況です。どのようなものが、六つのものなのですか。〔正しい〕見解を成就した人は、自作されたものとして、安楽と苦痛を妄信することが不可能となります。〔正しい〕見解を成就した人は、他作されたものとして、安楽と苦痛を妄信することが不可能となります。〔正しい〕見解を成就した人は、かつまた、自作されたものとして、かつまた、他作されたものとして、安楽と苦痛を妄信することが不可能となります。〔正しい〕見解を成就した人は、自作のものではなく、偶発生起したものとして、安楽と苦痛を妄信することが不可能となります。〔正しい〕見解を成就した人は、他作のものではなく、偶発生起したものとして、安楽と苦痛を妄信することが不可能となります。〔正しい〕見解を成就した人は、かつまた、自作のものではなく、かつまた、他作のものではなく、偶発生起したものとして、安楽と苦痛を妄信することが不可能となります。それは、何を因とするのですか。比丘たちよ、なぜなら、そのように、〔正しい〕見解を成就した人には、彼には、そして、因が善く見られたものとなり、さらに、因によって集起した諸々の法(事象)〔善く見られたものとなるからです〕。比丘たちよ、まさに、これらの六つの不可能となる状況があります」と。〔以上が〕第十一となる。

清涼の章が第九となる。

その〔章〕のための摂頌となる。

〔そこで、詩偈に言う〕「清涼の状態、妨げ、奪われた者、『聞こうとし』があり、『捨棄せずして』があり、捨棄されたものと不可能、そして、また、四つのそれなる状況があり、〔章となる〕」と。

注釈【0】