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翻訳【16】

ティッサ婆羅門の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住んでおられます。ギッジャクータ山において。そこで、まさに、二者の天神が、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくギッジャクータを照らして、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、一者の天神は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、これらの比丘尼たちは、解脱者たちです」と。他の天神は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、これらの比丘尼たちは、〔生存の〕依り所という残りものがない善き解脱者たちです」と。それらの天神たちは、この〔言葉〕を言いました。教師は、〔天神たちの言葉を〕正しくお認めに成りました(天神たちに随喜した)。そこで、まさに、それらの天神たちは、「教師は、〔わたしたちのことを〕正しくお認めです」と、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました。

そこで、まさに、世尊は、その夜が明けると、比丘たちに告げました。「比丘たちよ、この夜、二者の天神が、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくギッジャクータを照らして、わたしのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、わたしを敬拝して、一方に立ちました。比丘たちよ、一方に立った、まさに、一者の天神は、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、これらの比丘尼たちは、解脱者たちです』と。他の天神は、わたしに、こう言いました。『尊き方よ、これらの比丘尼たちは、〔生存の〕依り所という残りものがない善き解脱者たちです』と。比丘たちよ、それらの天神たちは、この〔言葉〕を言いました。この〔言葉〕を言って、わたしを敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました」と。

また、まさに、その時点にあって、尊者マハー・モッガッラーナが、世尊から遠く離れていないところで、坐った状態でいます。そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナに、この〔思い〕が有りました。「まさに、どの天神たちに、このような知恵が有るのだろう。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者有余依について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者無余依について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』」と。また、まさに、その時点にあって、ティッサという名の比丘が、最近のこと、命を終え、或るどこかの梵の世に再生するところと成ります。そこで、また、彼のことを、〔神々たちは〕このように知ります。「ティッサ梵〔天〕は、大いなる神通ある者であり、大いなる威力ある者である」と。

そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、あるいは、曲げた腕を伸ばすかのように、あるいは、伸ばした腕を曲げるかのように、まさしく、このように、ギッジャクータ山において消没し、その梵の世に出現しました。まさに、ティッサ梵〔天〕は、尊者マハー・モッガッラーナが、はるか遠くから、やってくるのを見ました。見て、尊者マハー・モッガッラーナに、こう言いました。「敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、まさに、来たれ。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、善く来てくれました。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、長きのはてに、まさに、〔あなたは〕この時機を作られました⸺すなわち、この、ここにやってくるために。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、坐りたまえ⸺設けられた、この坐に」と。まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、設けられた坐に坐りました。ティッサ梵〔天〕もまた、まさに、尊者マハー・モッガッラーナを敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、ティッサ梵〔天〕に、尊者マハー・モッガッラーナは、こう言いました。「ティッサよ、まさに、どの天神たちに、このような知恵が有りますか。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』」と。「敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、まさに、梵身天〔の神々〕たちに、このような知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』」と。

「ティッサよ、まさに、まさしく、全ての梵身天〔の神々〕たちに、このような知恵が有りますか。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』」と。「敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、まさに、全ての梵身天〔の神々〕たちに、このような知恵は有りません。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』と。

敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、すなわち、まさに、それらの梵身天〔の神々〕たちが、梵の寿命に満足している者たちであり、梵の色艶に〔満足している者たちであり〕、梵の安楽に〔満足している者たちであり〕、梵の福徳(盛名)〔満足している者たちであり〕、梵の権威に満足している者たちであり、彼らが、より上なる出離を、事実のとおりに覚知しないなら、彼らに、このような知恵は有りません。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』と。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、しかしながら、すなわち、まさに、それらの梵身天〔の神々〕たちが、梵の寿命に満足しない者たちであり、梵の色艶に〔満足しない者たちであり〕、梵の安楽に〔満足しない者たちであり〕、梵の福徳に〔満足しない者たちであり〕、梵の権威に満足しない者たちであり、そして、彼らが、より上なる出離を、事実のとおりに覚知するなら、彼らに、このような知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』と。

(1)敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、ここに、比丘が、両部の解脱者として〔世に〕有ります。〔まさに〕その、この者のことを、それらの天〔の神々〕たちが、このように知ります。『まさに、この尊者は、両部の解脱者である。すなわち、彼の身体が止住するあいだは、それまで、天〔の神々〕と人間たちは、彼を見るが、身体の破壊ののち、天〔の神々〕と人間たちは、彼を見ない』と。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、このようにもまた、まさに、それらの天〔の神々〕たちに、このような知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』と。

(2)敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、また、ここに、比丘が、智慧による解脱者として〔世に〕有ります。〔まさに〕その、この者のことを、それらの天〔の神々〕たちが、このように知ります。『まさに、この尊者は、智慧による解脱者である。すなわち、彼の身体が止住するあいだは、それまで、天〔の神々〕と人間たちは、彼を見るが、身体の破壊ののち、天〔の神々〕と人間たちは、彼を見ない』と。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、このようにもまた、まさに、それらの天〔の神々〕たちに、このような知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』と。

(3)敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、また、ここに、比丘が、身体による実証者として〔世に〕有ります。〔まさに〕その、この者のことを、それらの天〔の神々〕たちが、このように知ります。『まさしく、おそらく、まさに、この尊者は、諸々の〔真理に〕随順する臥坐所を受用しながら、善き朋友たちに親近しながら、諸々の機能を喚起しながら⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むであろう』と。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、このようにもまた、まさに、それらの天〔の神々〕たちに、このような知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』と。

(4)敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、また、ここに、比丘が、〔正しい〕見解に至り得た者として〔世に〕有ります。……略……(5)信による解脱者として〔世に〕有ります。……略……(6)(教え)に従い行く者として〔世に〕有ります。〔まさに〕その、この者のことを、それらの天〔の神々〕たちが、このように知ります。『まさしく、おそらく、まさに、この尊者は、諸々の〔真理に〕随順する臥坐所を受用しながら、善き朋友たちに親近しながら、諸々の機能を喚起しながら⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むであろう』と。敬愛なる方よ、モッガッラーナよ、このようにもまた、まさに、それらの天〔の神々〕たちに、このような知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』」と。

そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、ティッサ梵〔天〕の語ったことを大いに喜んで、随喜して、それは、たとえば、また、まさに、力ある人が、あるいは、曲げた腕を伸ばすかのように、あるいは、伸ばした腕を曲げるかのように、まさしく、このように、梵の世において消没し、ギッジャクータ山に出現しました。そこで、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、すなわち、ティッサ梵〔天〕を相手に議論と談論として有ったかぎりの、その全てを、世尊に告げました。

「モッガッラーナよ、まさに、また、ティッサ梵〔天〕は、あなたに、第七の無相なる住の人を説示しません」と。「尊き方よ、このための時です。善き至達者たる方よ、このための時です。すなわち、世尊が、第七の無相なる住の人を説示するなら、世尊の〔言葉を〕聞いて、比丘たちは、〔それを〕保持するでしょう」と。「モッガッラーナよ、まさに、それでは、聞きなさい。善くしっかりと、意を為しなさい。〔では〕語ります」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者マハー・モッガッラーナは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

(7)モッガッラーナよ、ここに、比丘が、一切の形相に意を為さないことから、無相なる〔止寂の〕心の禅定を成就して〔世に〕住みます。〔まさに〕その、この者のことを、それらの天〔の神々〕たちが、このように知ります。『まさに、この尊者は、一切の形相に意を為さないことから、無相なる〔止寂の〕心の禅定を成就して〔世に〕住む。まさしく、おそらく、まさに、この尊者は、諸々の〔真理に〕随順する臥坐所を受用しながら、善き朋友たちに親近しながら、諸々の機能を喚起しながら⸺その義(目的)のために、良家の子息たちが、まさしく、正しく、家から家なきへと出家する、〔まさに〕その、梵行の結末という無上なるものを、まさしく、所見の法(現世)において、自ら、証知して、実証して、成就して、〔世に〕住むであろう』と。モッガッラーナよ、このように、まさに、それらの天〔の神々〕たちに、知恵が有ります。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものを有する者について、『〔生存の〕依り所という残りものを有する者である』と。あるいは、〔生存の〕依り所という残りものがない者について、『〔生存の〕依り所という残りものがない者である』」と。〔以上が〕第三となる。

注釈【0】