そこで、まさに、静所に赴き静坐している尊者サーリプッタに、このような心の思索が浮かびました。「いったい、まさに、誰を、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきであろうか」と。そこで、まさに、尊者サーリプッタに、この〔思い〕が有りました。「教師(ブッダ)を、まさに、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきである。法(教え)を、まさに、比丘は……略……。僧団を、まさに、比丘は……。学びを、まさに、比丘は……。禅定を、まさに、比丘は……。不放逸を、まさに、比丘は……。友愛を、まさに、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきである」と。
そこで、まさに、尊者サーリプッタに、この〔思い〕が有りました。「まさに、わたしの、これらの法(性質)は、完全なる清浄にして完全なる清白のものである。それなら、さあ、わたしは、これらの法(性質)を、赴いて、世尊に告げるのだ。このように、わたしの、これらの法(性質)は、まさしく、そして、完全なる清浄のものと成るであろうし、さらに、より究められた完全なる清浄のものと〔成るであろう〕。それは、たとえば、また、まさに、人が、完全なる清浄にして完全なる清白の金塊に到達するなら、彼に、このような〔思いが〕存するように、『まさに、わたしの、この金塊は、完全なる清浄にして完全なる清白のものである。それなら、さあ、わたしは、この金塊を、赴いて、鍛冶屋たちに見せるのだ。このように、わたしの、この金塊は、まさしく、そして、完全なる清浄のものと成るであろうし、さらに、より究められた完全なる清浄のものと〔成るであろう〕』と、まさしく、このように、わたしの、これらの法(性質)は、完全なる清浄にして完全なる清白のものである。それなら、さあ、わたしは、これらの法(性質)を、赴いて、世尊に告げるのだ。このように、わたしの、これらの法(性質)は、まさしく、そして、完全なる清浄のものと成るであろうし、さらに、より究められた完全なる清浄のものと〔成るであろう〕」と。
そこで、まさに、尊者サーリプッタは、夕刻時に、静坐から出起し、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者サーリプッタは、世尊に、こう言いました。
「尊き方よ、ここに、静所に赴き静坐しているわたしに、このような心の思索が浮かびました。『いったい、まさに、誰を、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきであろうか』と。尊き方よ、そこで、まさに、その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『教師を、まさに、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきである。法(教え)を、まさに、比丘は……略……。僧団を、まさに、比丘は……。学びを、まさに、比丘は……。禅定を、まさに、比丘は……。不放逸を、まさに、比丘は……。友愛を、まさに、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきである』と。尊き方よ、そこで、まさに、その、わたしに、この〔思い〕が有りました。『まさに、わたしの、これらの法(性質)は、完全なる清浄にして完全なる清白のものである。それなら、さあ、わたしは、これらの法(性質)を、赴いて、世尊に告げるのだ。このように、わたしの、これらの法(性質)は、まさしく、そして、完全なる清浄のものと成るであろうし、さらに、より究められた完全なる清浄のものと〔成るであろう〕。それは、たとえば、また、まさに、人が、完全なる清浄にして完全なる清白の金塊に到達するなら、彼に、このような〔思いが〕存するように、「まさに、わたしの、この金塊は、完全なる清浄にして完全なる清白のものである。それなら、さあ、わたしは、この金塊を、赴いて、鍛冶屋たちに見せるのだ。このように、わたしの、この金塊は、まさしく、そして、完全なる清浄のものと成るであろうし、さらに、より究められた完全なる清浄のものと〔成るであろう〕」と、まさしく、このように、わたしの、これらの法(性質)は、完全なる清浄にして完全なる清白のものである。それなら、さあ、わたしは、これらの法(性質)を、赴いて、世尊に告げるのだ。このように、わたしの、これらの法(性質)は、まさしく、そして、完全なる清浄のものと成るであろうし、さらに、より究められた完全なる清浄のものと〔成るであろう〕』」と。
「サーリプッタよ、善きかな、善きかな。サーリプッタよ、教師を、まさに、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきです。サーリプッタよ、法(教え)を、まさに、比丘は……略……。サーリプッタよ、僧団を、まさに、比丘は……。サーリプッタよ、学びを、まさに、比丘は……。サーリプッタよ、禅定を、まさに、比丘は……。サーリプッタよ、不放逸を、まさに、比丘は……。サーリプッタよ、友愛を、まさに、比丘は、尊敬して、尊重して、近しく依拠して〔世に〕住みつつ、善ならざるものを捨棄し、善なるものを修めるべきです」と。
このように説かれたとき、尊者サーリプッタは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、まさに、わたしは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって語られた、このことの義(意味)を、詳細〔の観点〕によって、このように了知します。尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、僧団にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、学びにたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、禅定にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕なく、不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、不放逸にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕なく、不放逸にたいし尊重〔の思い〕なく、友愛にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なき者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。……略……。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有し、友愛にたいし尊重〔の思い〕なき者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されます。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。……略……。
尊き方よ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有し、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されます。尊き方よ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕を有し、僧団にたいし尊重〔の思い〕を有し、学びにたいし尊重〔の思い〕を有し、禅定にたいし尊重〔の思い〕を有し、不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。
尊き方よ、まさに、わたしは、世尊によって、簡略〔の観点〕によって語られた、このことの義(意味)を、詳細〔の観点〕によって、このように了知します」と。
「サーリプッタよ、善きかな、善きかな。サーリプッタよ、まさに、あなたは、わたしによって、簡略〔の観点〕によって語られた、このことの義(意味)を、詳細〔の観点〕によって、このように了知します。サーリプッタよ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。……略……。サーリプッタよ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、不放逸にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
サーリプッタよ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕なく、不放逸にたいし尊重〔の思い〕なく、友愛にたいし尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。サーリプッタよ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕なく、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なく、僧団にたいし尊重〔の思い〕なく、学びにたいし尊重〔の思い〕なく、禅定にたいし尊重〔の思い〕なく、不放逸にたいし尊重〔の思い〕なき者であるなら、彼は、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕なき者です。
サーリプッタよ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕なき者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。サーリプッタよ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。……略……。
サーリプッタよ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し、法(教え)にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有し、友愛にたいし尊重〔の思い〕なき者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されません。サーリプッタよ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。
サーリプッタよ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されます。サーリプッタよ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、法(教え)にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。……略……。
サーリプッタよ、まさに、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有し、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者として〔世に〕有るであろう、という、この状況は見出されます。サーリプッタよ、すなわち、その比丘が、教師にたいし尊重〔の思い〕を有し……略……不放逸にたいし尊重〔の思い〕を有する者であるなら、彼は、友愛にたいしてもまた尊重〔の思い〕を有する者です。
サーリプッタよ、まさに、わたしによって、簡略〔の観点〕によって語られた、このことの義(意味)は、詳細〔の観点〕によって、このように見られるべきです」と。〔以上が〕第六となる。
注釈【0】