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翻訳【16】

簡略の斎戒の経

このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の林園において。そこで、まさに、世尊は、比丘たちに告げました。「比丘たちよ」と。「幸甚なる方よ」と、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

「比丘たちよ、八つの支分を具備した斎戒布薩は、〔このように〕入ったなら、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成り〕、大いなる光輝と〔成り〕、大いなる充満と〔成ります〕。比丘たちよ、では、どのように入ったなら、八つの支分を具備した斎戒は、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成り〕、大いなる光輝と〔成り〕、大いなる充満と〔成るのですか〕。比丘たちよ、ここに、聖なる弟子が、かくのごとく深慮します。(1)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者たちとして、棒を置いた者たちとして、刃を置いた者たちとして、恥を知る者たちとして、憐憫〔の思い〕を起こした者たちとして、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者たちとして、〔世に〕住む。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、命あるものを殺すことを捨棄して、命あるものを殺すことから離間した者として、棒を置いた者として、刃を置いた者として、恥を知る者として、憐憫〔の思い〕を起こした者として、一切の命ある生類たちに利益と慈しみ〔の思い〕ある者として、〔世に〕住むのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第一の支分を具備したものと成ります。

(2)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、与えられていないものを取ることを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者たちとして、与えられたものを取る者たちとして、与えられたものを待つ者たちとして、そこで、この、清らかな状態の自己によって〔世に〕住む。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、与えられていないものを取ることを捨棄して、与えられていないものを取ることから離間した者として、与えられたものを取る者として、与えられたものを待つ者として、そこで、この、清らかな状態の自己によって〔世に〕住むのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第二の支分を具備したものと成ります。

(3)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、梵行ならざることを捨棄して、梵行者たちとして、遠く離れて歩む者たちとして、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、梵行ならざることを捨棄して、梵行者として、遠く離れて歩む者として、淫事から、村の法(淫習)から、離れた者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第三の支分を具備したものと成ります。

(4)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者たちとして、真理を説く者たちとして、真理に従う者たちとして、実直の者たちとして、頼りになる者たちとして、世〔の人々〕にとって言葉を違えない者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、虚偽を説くことを捨棄して、虚偽を説くことから離間した者として、真理を説く者として、真理に従う者として、実直の者として、頼りになる者として、世〔の人々〕にとって、言葉を違えない者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第四の支分を具備したものと成ります。

(5)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位を捨棄して、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位から離間した者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位を捨棄して、穀物酒や果実酒や〔他の〕酔わせるものによる放逸の境位から離間した者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第五の支分を具備したものと成ります。

(6)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、一食の者たちとして、夜〔の食事〕を止めた者たちとして、非時に食事することから離れた者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、一食の者として、夜〔の食事〕を止めた者として、非時に食事することから離れた者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第六の支分を具備したものと成ります。

(7)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物と花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位を捨棄して、舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物と花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位から離間した者たちとしてある。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物と花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位を捨棄して、舞踏と歌詠と音楽と演芸の見物と花飾や香料や塗料を保持し装飾し装着する境位から離間した者としてあるのだ。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第七の支分を具備したものと成ります。

(8)『生あるかぎり、阿羅漢たちは、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕を捨棄して、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕から離間した者たちとして、低き臥所を営む⸺あるいは、臥床において、あるいは、草の敷物において。わたしもまた、今日、そして、この夜のあいだ、さらに、この昼のあいだ、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕を捨棄して、高い臥具や大きな臥具〔の使用〕から離間した者として、低き臥所を営むのだ⸺あるいは、臥床において、あるいは、草の敷物において。この支分によってもまた、〔わたしは〕阿羅漢たちに見習い、そして、斎戒は、わたしの入るところと成るであろう』と、この第八の支分を具備したものと成ります。比丘たちよ、このように入った、まさに、八つの支分を具備した斎戒は、大いなる果と成り、大いなる福利と〔成り〕、大いなる光輝と〔成り〕、大いなる充満と〔成ります〕」と。〔以上が〕第一となる。

注釈【0】