「(1)比丘たちよ、六つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがあります。どのようなものが、六つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、(1─1)かつまた、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有り、(1─2)かつまた、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有り、(1─3)かつまた、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有り、(1─4)かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有り、(1─5)かつまた、善き言葉の者として、善き言葉遣いの者として、上品で、明瞭で、誤解なく、義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有り、(1─6)かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの六つの法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがあります。
(2)比丘たちよ、五つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがあります。どのようなものが、五つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、そして、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有ることが、まさしく、まさに、なく、(2─1)しかしながら、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有り、(2─2)かつまた、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有り、(2─3)かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有り、(2─4)かつまた、善き言葉の者として、善き言葉遣いの者として、上品で、明瞭で、誤解なく、義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有り、(2─5)かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの五つの法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがあります。
(3)比丘たちよ、四つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがありません。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、(3─1)かつまた、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有り、(3─2)かつまた、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有り、(3─3)かつまた、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有り、(3─4)かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有り、しかしながら、善き言葉の者として、善き言葉遣いの者として、上品で、明瞭で、誤解なく、義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有ることなく、かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有りません。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがありません。
(4)比丘たちよ、四つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、他者たちにとって十分なるものがあり、自己とって十分なるものがありません。どのようなものが、四つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、(4─1)かつまた、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有り、(4─2)かつまた、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有り、しかしながら、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有ることなく、かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有ることなく、(4─3)しかしながら、善き言葉の者として、善き言葉遣いの者として……略……義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有り、(4─4)かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として……略……〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの四つの法(性質)を具備した比丘は、他者たちにとって十分なるものがあり、自己とって十分なるものがありません。
(5)比丘たちよ、三つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがありません。どのようなものが、三つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、そして、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有ることが、まさしく、まさに、なく、(5─1)しかしながら、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有り、(5─2)かつまた、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有り、(5─3)かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有り、しかしながら、善き言葉の者として、善き言葉遣いの者として、上品で、明瞭で、誤解なく、義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有ることなく、かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有りません。比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがありません。
(6)比丘たちよ、三つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、他者たちにとって十分なるものがあり、自己とって十分なるものがありません。どのようなものが、三つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、そして、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有ることが、まさしく、まさに、なく、(6─1)しかしながら、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有り、しかしながら、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有ることなく、かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有ることなく、(6─2)しかしながら、善き言葉の者として……略……義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有り、(6─3)かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの三つの法(性質)を具備した比丘は、他者たちにとって十分なるものがあり、自己とって十分なるものがありません。
(7)比丘たちよ、二つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがありません。どのようなものが、二つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、そして、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有ることが、まさしく、まさに、なく、かつまた、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有ることなく、(7─1)しかしながら、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有り、(7─2)かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有り、しかしながら、善き言葉の者として……略……義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有ることなく、かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有りません。比丘たちよ、まさに、これらの二つの法(性質)を具備した比丘は、自己にとって十分なるものがあり、他者たちにとって十分なるものがありません。
(8)比丘たちよ、二つのものがあります。〔これらの〕法(性質)を具備した比丘は、他者たちにとって十分なるものがあり、自己とって十分なるものがありません。どのようなものが、二つのものなのですか。比丘たちよ、ここに、比丘が、そして、諸々の善なる法(性質)において、速き感知ある者として〔世に〕有ることが、まさしく、まさに、なく、かつまた、諸々の所聞の法(教え)を保持する類の者として〔世に〕有ることなく、かつまた、諸々の保持された法(教え)の義(意味)を近しく注視する者として〔世に〕有ることなく、かつまた、義(意味)を了知して、法(教え)を了知して、法(教え)を法(教え)のままに実践する者として〔世に〕有ることなく、(8─1)しかしながら、善き言葉の者として、善き言葉遣いの者として、上品で、明瞭で、誤解なく、義(意味)を識知させる、〔そのような〕言葉を具備した者として、〔世に〕有り、(8─2)かつまた、梵行を共にする者たちにとって、〔教えを〕見示する者として、受持させる者として、激励する者として、感動させる者として、〔世に〕有ります。比丘たちよ、まさに、これらの二つの法(性質)を具備した比丘は、他者たちにとって十分なるものがあり、自己とって十分なるものがありません」と。〔以上が〕第二となる。
注釈【0】